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2022/3/29 白饅頭日誌:3月29日「アカデミー賞ビンタ事件についての雑感」への長文コメント

※500文字でツッコミが終わらないので記事にしました。

言葉の暴力が蔓延る原因

言葉の暴力そのものに関しては荒川和久氏が何回も書いていますが、それが最近の離婚事由にも顕れ始めていると指摘します。

それどころか「女尊男卑」の時代に入ったと指摘する人もいます。

それを踏まえると、腕力に対抗するための知力で殴るという行為が社会的合意を得る(=行為を正当化する)ための自力救済論というロジックにこそ、人間関係における非対称性が我慢できない現代人の本音を見て取ります。

責任の外部化というトレンド

鈴木貴博「日本経済予言の書 2020年代、不安な未来の読み解き方」(2020年、PHP)の第6章「半グレ化する大企業とアイヒマン化する官僚たち」で、企業の不祥事防止のためのコンプライアンス強化、責任所在の外部化が進んだことで新しい社会問題を生む、という指摘があります。

「問題は起きても企業はクリーン」という、トップは違法なことはしていないかもしれないが、末端はブラックという構造、これは半グレ組織と同じである、と鈴木氏は指摘します。

さらに鈴木氏は、このような企業の半グレ化から社会の風潮の変化が見て取れると指摘します。

 この企業の半グレ化について、未来の「兆しの芽」としてどこに本質があるのでしようか。私は、社会の風潮が変化していることに最大の危険があると思います。この問題をわかりやすく高校生の例で説明しましよう。
 仮に腕力が強く怖いA君と、気弱でおどおどしたB君がいたとします。B君が 君に「おい、おまえ、あそこからパンを万引きしてこい」と脅します。 B君は断り切れずに万引きして捕まります。
 で、高校を退学になるのはA君なのかB君なのかという問題です。
 江戸時代から明治、大正時代にかけての伝統的な日本社会では、このような場合に罰せられるべきはA君でした。それが社会の風潮が変化して、令和の日本で罰せられるのはB君のほうになってきた。

鈴木貴博「日本経済予言の書 2020年代、不安な未来の読み解き方」(2020年、PHP)
第6章「半グレ化する大企業とアイヒマン化する官僚たち」より

万引きしたパンを食べるのはA君でも罰せられるのはB君、という社会。

こういう社会とは、力が物言う「他人に舐められてはいけない」社会だろうと。したがって、暴力性を見せることがある種のアピールになるという状況を生みます。

ウィル・スミスはカッとなって平手打ちを食らわせたのかもしれませんが、アメリカでは冷ややかな見方をされているし、本邦ではこうだと。

 ようするに、当世における「暴力反対論」とは「(自分に不利な)暴力反対論」ということなのだろう。自分が被害者ポジションや社会正義の側に立てるときは、戦争を憂うる平和主義者でさえ、狂暴な姿を垣間見せる。

白饅頭日誌:3月29日「アカデミー賞ビンタ事件についての雑感」|白饅頭
https://note.com/terrakei07/n/n04d36db0a6a0

この他人に殴らせる作法というのは、最近流行りの「被害者性の文化」(victimhood culture)と相性が良いことも指摘しておきましょう。

まとめ

この件で、クリス・ロック氏側は御咎めなしのようですが、「いかにして安全地帯から空爆するか」という社会的テクニックの先鋭化と、そのような社会風潮からの保身を考えれば、相手をキレさせて一発殴らせることで被害者としての立場と正当性が得られてしまう、現代社会の奇天烈さを見て取ります。

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