孤独な人は関わった人を孤独にする
以前、母方の祖母の「死に方」が孤独死みたいだった、という雑感を書いた。
その時はこう書いたわけである。
結婚は女性にとってのセーフティーネットではなく、子どもが同居もしくは近居していないと、孤独死する可能性が高まる構造がある、と感じたのであった。
結婚がセーフティネットにならない
東洋経済オンラインの「『夫セーフティネット』崩壊が突きつける過酷現実働く女性を襲うコロナ禍の『沈黙の雇用危機』」という記事は、2020年に日経新聞が「女性不況」という言葉を使って表そうとした状況が深刻化したことを伝える。
このような構造の遠因は、女を安い労働力として家庭から引っ張り出す規制緩和とグローバル化にある、と以前に指摘したことがあった。
ここで指摘したのはあくまで経済的な要因であるが、人的要因に目を向けると個々の家庭の抱えるリスクによって、本人どころか子の人生を狂わせてしまいかねない。
孤独は「遺伝」する
こういう一般的?に想像のつく構造そのものを議論するのは、実は本題ではない。
これは個人的な仮説だが、社会経済的なファクターというより個人の問題が「遺伝」するのではないか。
小学生以下がメインターゲットの文化系イベントの運営手伝いをしていて実感することなのだが、今時、学校や塾の先生か両親以外、大人と対話する機会が無い子供の割合が高いんじゃないか、という実感がある。
自分が少なくとも祖父も父も同じ土地で育っている人間である、ということを前提にして言えば、移住しても移住先で代を重ねるごとに「土着化」していった結果としての自分と、両親が新しくできた街に移住して、そこで生まれた子供、というのは現代という時代の時代背景を見れば、人付き合いに対するマインドが違うのは不自然なことではないだろう。
移住者も輪に入らなければならない、輪に入れる時代が終わり、「二段階の郊外化」の結果、今や家族の外は「危険な場所」であるという不安が蔓延する時代である。
そもそも人間関係市場はレモン市場である
孤独化について別の視点で述べるとすれば、人間関係市場はレモン市場である。
その結果何が起きると言えば、マッチングアプリの問題が典型だ。
このような状況が続けば、手持ちの資本の差が人間関係の格差を生み、さらに資本の差を拡大させるというループが回ることが以前の指摘である。
このような市場を生き抜くのか退出するのか。
ちなみに生き抜くためには試行錯誤しかない。
そのようなレモン市場に耐えられないということが、例えば性愛からの退却現象という形で現れる。
そして、あとはすべてシステムに頼って生きていく。それは実に合理的な選択だ。
結局のところ、孤独な人間にかかわってはいけない
更に言ってしまえば「持たざる者」は「奪う者」である、ということが重要で、だからこそ良かれと思っても「持たざる者」とは関わってはいけない。
必要なのは試行錯誤の試行数と、1つの良質な関係だ。
私的な教訓
これまでの人生経験を踏まえて思うのは、この3点。別に友人が多いことにこだわる必要はないが、質にこだわってほしい。
環境が変わると縁が切れる人、関係が続く人に分かれる。
環境が変わっても関係の続く人との出会いは偶然を装う
身内の不幸は人間関係の組み換えを引き起こす
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