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2022/04/01 マガジン限定記事「それでも私たちが対話を続けるべき理由」への長文コメント

※500文字でツッコミが終わらないので記事にしました。

ツッコミというか長文の引用がしたいだけなんで。

どっかで読んだな、その議論、という類で見れば↓なんですが、それはさておき。

マイノリティ意識が被害者意識に昇華して、その被害者意識からくる攻撃性から自分を、共同体を、そして社会を守ることを考えた方がいいかもしれません。

「腐フェミ」の女性からのメールの文面に感じる特権意識は、これ↓じゃないか、と思えるわけです。

*1:本書の原題は、『Cynical Theories: How Activist Scholarship Made Everything About Race, Gender, and Identity - and Why This Harms Everybody』である。プラックローズとリンゼイはポストモダニズムの理論を「Cynical」と形容した。その理由は、第一義にはポストモダニズムが、宗教、近代主義、マルクス主義といった、あらゆる「大きな物語」を懐疑したためだ。Cynicalには、「人々の言動が善意や誠意に基づいていると信じようとしない態度」(英辞郎)という意味がある。ポストモダニズムは現実を支える近代的理念を大々的に攻撃し、不信を広めた。ところがそうした「不信の理論」であったはずのポストモダニズムは、時代を経て大きく変化し、絶対的な「社会正義」を掲げる理論になった。プラックローズとリンゼイは明言していないが、ネガティブな「不信の理論」から過激な「正義を確信する理論」への大転換もまた、ポストモダニズムの「皮肉 cynical」な転回と呼べるはずだ。
 このように訳ありの含意を帯びた原題から離れ、私があえて『特権理論』と名付けた理由。それは応用ポストモダニズムが、「白人」「男性」「異性愛者」「健常者」などのマジョリティは「特権 privilege」を帯びているとして、かれらを告発する理論でもあるためだ。なお特権 privilegeという言葉は、本書では非常に頻繁に使用されている。後述するように応用ポストモダニズム理論には、みずからに対する懐疑や検討や反証に対し、「弱者を脅かす危険な振る舞いであり、そのような発言や検討をするべきではない」と反撃するメカニズムを備えている。したがって「特権を批判する理論」は、みずからの特別な地位を自明視するといういみで「特権を帯びた理論」でもある。それは皮肉な事態であるとの考えから、本書のタイトルを『特権理論』と名付けた。

プラックローズ&リンゼイ 著『特権理論:ポリティカルコレクトネス、アイデンティティポリティクス、フェミニズムはいかなる理論的根拠に基づいているのか』(2020年)/90点 - リベラルアーツの扉:海外教養書を読む https://liberalartsblog.hatenablog.com/entry/2021/10/29/215004

"お目覚め(a.k.a. WOKE)"連中の妙な特権意識の一つの発露と見ますが、さて。

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