アカデミアをぶっ壊せ!
アメリカのアカデミアが周回遅れで"左翼にあらずんばインテリにあらず"状態になっていると聞く。
実家で語り継がれる大学の"吹き溜まり化"
本邦でも1960年代以降が露骨に似た状況が続いているが、この時代に一大学教員として学生運動を大学側から見ていた祖父から聞いた話。
ちなみに祖父は東大じゃないけど別の東京都下にある大学の工学部の教員だった。
そして、その祖父の子である自分の父親も、さらに別の大学の工学部の教員だったのだが、自嘲気味にこういう話をしているのを聞いたことがある。
何らかの形で社会から排除されてしまう"社会的排除"が問題になっている中で、マイノリティが暴れているという構図が、昨今のポリコレ炎上の背景にある。
白饅頭氏の言うような「快適性を得るための"必要経費"」と相似の構図だ。
一方でこれではポリコレ炎上がフェミニストやらリベラルのシノギのネタになるのも無理はない。
一番の問題は、こういう"社会適合性の低い人間"を"変な奴"として囲っておく余裕が社会から失われたことである。
そうして大学をはじめとするアカデミアが"吹き溜まり"と化す。
祖父と父が気付けた理由?
工学部と言っても幅が広いが、傾向として企業で働いたことがあるとか、学外の人間と関わる機会が多い教員やスタッフが多い。これが思考の純化を防ぐ。
実習や演習、研究も一人で行うものではなくプロジェクトベースで行われることが多く、人間の間で揉まれる機会がそれなりにあることで、他者と関わる作法が養われる。これが社会適合性を培う。
そして卒業生の進路が幅広く、人数も多い。単なる先輩後輩の上下関係以外の"斜め"の関係のリソースが多いということだ。
これらの工学部ならではの事情があって、祖父が言うように全共闘は東大工学部関係では盛り上がらなかったのだろう。
これが薬学部になると卒業生の進路の幅が狭いし、業務的に関われる学外の人間も、ある程度の"人種"の中の狭い範囲になってしまうので、案外"世間知らず"な教員がいる。
こういう"狭い範囲"の中で過ごしていくうちにエコーチェンバー現象が起きるのは無理もないし、件のオープンレター騒動が起きた背景もこれだろう。
"吹き溜まり"と化したアカデミアを解体し、"社会適合性の低い人間"(社会不適合者)の居場所を別に確保することが急務なのかもしれない。
そのことが新たな怨念を生むかもしれないが…
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