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1,000ステージ立って気づいた「司会は空気」の境地

オシエルズの矢島です。

昨日はダンスショー「THE SILKROAD」があり、そこでお笑い芸人として司会をさせていただきました。素敵なダンサーの皆さん、境界剪画家・杵淵三朗さんによる華やかな舞台美術、そして大和田千弘さん、タクシーマさんによる演奏。何もかもが素晴らしく、出演者ながら圧倒されてしまいました。

今年の4月で32歳になる僕ですが、芸歴は15年ほどになります。MCをピンやコンビ(前コンビ含む)でさせていただけるようになったのは22〜23歳ぐらいからで、5年前から年100ステージ、3年前からは年200ステージのペースで司会をしています。

ざっと見積もっても、1,000ステージは司会をさせていただいたことになりますが、最近になって、ようやく「司会とは何なのか?」という答えが自分なりに出ました。

それは、目立つことでも爪痕を残すことでもなく、「ただそこにいること」もっと言えば「流れのままに何かを起こし、時には何も起こさないこと」ということでした。

一生懸命何かを伝えることもあれば、5秒ですっと終わることもあります。笑いを取りに行く時もあれば、「お前ホントに芸人か?」と思うほど静かに進めることもあります。

司会に必要なのは「空気力」でした。空気のように自然にいて、それでも生命活動には不可欠な存在。火を起こすのにも、呼吸をするのにもなくてはならない空気。一方、8割近くが窒素という、生命活動にほぼ関わらないようなものも多く含んでいます。

物事の流れは大きく「順」と「逆」に分かれていて、「順」とは大きなうねりや流れが生まれている空間であり、その場合、司会はそのまま乗っかって何もしないことが正解です。何を発しても盛り上がり、何をしなくても「良かった」と評価されるような雰囲気です。

ただし、調子に乗ると悪目立ちして、逆に空回って盛り下がります。

このような現象を、僕は焼肉に例えて「カルビ・ホルモン症候群」(通称カルホル症)と勝手に呼んでいます。強火の網の上にカルビやホルモンを投入すると、瞬く間に油で燃え盛って、ほかの肉や野菜も巻き込んで丸焦げになりますよね?司会も同じで、「順」な時こそ調子に乗らないことが大事なんです。

まさに「火に油を注ぐ」ということわざがありますけど、この言葉自体はネガティブなイメージで使われます。イベントやお笑いに盛り上がりが大事だといっても、周りを焼け尽くすような炎や、収拾のつかない事態に及ぶような狂気乱舞に陥れば、たちまちイベントは失敗です。

「逆」の場合は、司会が率先して場を盛り上げる必要があります。その時も、あくまで自然に、空気のように振る舞います。特に共演者が芸人ではない舞台やイベント(結婚式司会含む)は、自身が持つテンションが異質なものであると自覚する必要があり、芸人だからといって何かやったんねん精神は必要ありません。主催から「何かやって」って言われたらやるぐらいで十分なのです。

何度も言いますが、司会は空気です。僕自身、司会をやっていて「司会が良かった」と褒められることがあります。それは光栄なことですが、本当に最高の司会とは、その評価よりも先に「出演者が良かった!」「イベント全体が良かった!」と言われることだと思います。

司会の評価はあくまでも副次的なものです。主としてイベントや共演者の高評価が先にされなければ、それは司会が悪目立ちしてしまったということに等しいと思っています。要所で流れを創り、流れに任せ、流れのままに役割を全うすることが司会の務めです。

この哲学は、実は売れていない芸人にとって非常に好都合なものです。司会には有名・無名関係ありません。その場で観客を味方にすれば、必ず周囲が司会を盛り上げ、助けてくれます。無名だろうが誠実に流れを創っていれば、必ずその人は観客にとって「見たい司会」になれます。

これを理解するのに15年、場数にして1,000回かかりました。自身の経験がどれくらい言語化できたか分かりませんし、誤解を生む表現もあるかと思います。

ただ、もしギャラリーが望んでもいないのに「何かお笑い芸人としてかましてやろう!」と意気込む若手が目の前にいたら、今の僕なら、そいつの首根っこを掴んでこう言うでしょう。

焦るな。
今の観客は誰もお前なんて見たくない。
しかし、見たくなるまで待て。
自然に身を任せて司会を全うしろ。
そうすれば、
いずれその時がやってくる。

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