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心が豊かであることを強要される「心の資本主義」が僕らをより憂鬱にする

オシエルズの矢島です。

もうタイトルで言いたいことは8割伝わってると思うんですが、あえて本文で詳しく述べるならば、「豊かな心さえあれば、貧しくてもやっていける」っていうものの考え方に、半分は賛同しますが、半分は「じゃあ心を鍛えて貧しいままでいろってか!」という天邪鬼な自分がいたりするわけで。

ユーモア・スキルについて研究するうちに、マイナスをプラスに変換するとか、ネガティブ思考をポジティブにするとか、そういう一面ばっかり見ていて、「これさえあれば心を豊かにできて、大抵のことがあっても大丈夫だなぁ」と【思い込んでいた】んですが。

そもそも、心を豊かにする必要ってあるんですかね?なんで豊かにしなきゃいけないんでしょう?そりゃお金と一緒で、貧しくないに越したことはないですよね。人にも優しくできるし、卑しいよりは人に好かれるでしょう。

でも、それって裏を返すと、「自分の貧しい環境は変わらないけど、物の考え方だけで何とかやり過ごせ」「金持ちは金持ち、貧乏人は貧乏人、良い境遇の人を妬まず恨まず、お前の環境の中で身の丈にあった幸せを見つけろよ」って言われてるような気がしてならないんですよね。

この「心の資本主義」の考え方っていつ頃始まったんでしょう。引き寄せの法則だとか、ポジティブ心理学だとか、7つの習慣だとか、マインドフルネスだとか、もう本当に色んな心理学系ビジネスに応用されてますよね。

僕はそれを否定も肯定もしてませんし、これで世の中が良くなるんなら賛成なんですけど、心を豊かにしなさいという通り一遍な教育には嫌気を感じていて、貧しい心があるから、人間は色んな欲求を文明の発達に生かしてきたんだろうが!とも思ってるわけです。

おそらく、人間の文明が成熟しきって、2度の世界大戦を経験した人類全体が、「やはり大事なのは心なんだ」ということに気づいたんでしょう。先進国でも自殺率が高い日本は心が貧しいかもしれないし、決して豊かとは言えない国でも幸福満足度は高い。物の考え方によって人の幸福は決まるという、いわば「絶対的幸福」という考え方なんだと思います。

僕もそれに賛同してます。ただ、これを強要されることが嫌な人たちっていますよね?何で貧しいことを貧しいまま受け入れちゃいけないの?と。私はありのままでいたい!と。もう私は十分貧しさに耐えて生きてきた!と。

お笑い芸人の視点で語らせていただくと、笑いの源泉は2つあって、1つは権力への反抗、もう1つは貧困や挫折に打ち克つための手段です。「心が豊かな人がユーモアを発揮できる」という人がいますが、僕はそうは思っていなくて、「心の貧しき人がユーモアに昇華して、豊かになろうとしている」と考えています。

笑いにはある意味の反骨精神というか、風刺というか、弱者のメッセージのようなものが含まれているんですが、それに基づけば、少し矛盾する言い方ですが、「貧しき心を持つこと」ってすごく大切なんですよね。「僕らは貧しい心を持っている」ことを自覚して、初めて豊かになれるんです。

「心が豊かでなければいけない」「貧しい心こそ諸悪の根源」という雰囲気は、より憂鬱な人を増やし、不平や不満、要望を言い合えるような場を破壊します。それは、権力者からすれば、弱者を飼いならす格好の言い訳になります。貧しいことを貧しい!苦しいことを苦しい!と叫べる社会こそ、本当のあるべき姿なんじゃないでしょうか。

だからこそ、本当に必要なのは「心を豊かにすること」ではなく、「ありのままの心を受け入れ、ありのままの他者を歓迎すること」だと思います。心が豊かになれない人を責める権利など誰にもありません。「僕、今とっても心が貧しいです!」と言える場が、世の中で1つでも多くなることが重要なのです。

そのためにも、日本即興コメディ協会が推進する「心理的安全性」向上のための様々な研修、そしてユーモア・スキル養成講座をさらに発展させていきたいと考えています。

「おい、何最後になって宣伝ぶち込んできてんだよ」とツッコミをいれたアナタ。申し訳ありません。まだまだ私、心だけじゃなく、経済的にも貧しいもので…笑。

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