八重山民謡・解説

連日の投稿になります!やいまぬむじかです。
本日は民謡を披露していただく大石定治(おおいし・さだはる)さんの配信に先駆けて、民謡曲の歌詞、背景、歴史について簡単な解説をさせていただきます。


沖縄の民謡は主に方言で歌われており、日本国内においても独特な言語を有していた琉球王国。配信ライブにおいて、まだ沖縄民謡を聴いたことのない方や、歌詞の意味・発音がわからない方も、この記事を参考にしていただいてより一層、音楽に浸っていただけると幸いです♪

また、この記事は定治さんのライブの曲順に合わせて書いていますので、

ぜひライブを見ながら同時解説をお楽しみいただけると幸いです♪




はじめに

沖縄県は以前、「琉球王国」という名を持つ国でした。アジアの中心と呼ばれるほど近隣国に容易なアクセス海路をもつ貿易国家であり、当時の日本・中国・アジア諸国とも交易が深かったこともあり、様々な国の文化や風習を取り入れたまさに「チャンプルーの国」でした。

※チャンプルー…適当な野菜や食材をとりあえず一緒に鍋で炒めた沖縄の郷土料理。家庭によって好みの味付け・食材などが多数あり、厳密なレシピ等は存在しない。転じて、「ごちゃ混ぜ」のような意味でつかわれることも。ちなみに筆者の家にはオクラチャンプルーがあります。今後沖縄の食べ物の記事も書いていきますね!

中でも有名な文化のチャンプルーは「龍の爪」ですね!


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画像出典-http://chugokugo-script.net/chugoku-bunka/ryu.html


古くから中国では、龍は偉大な存在なので「王様の象徴」でした。中国の王はその権威を示すモチーフとして度々龍の絵や像を使っていましたが、中国と交流のある沖縄も王の象徴として龍を使用していました。


しかし、龍は中国王の大切な存在…。琉球王家はそこで中国の王様に配慮して




爪を一本減らしたのです!


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画像出典元-http://ippunkan-neta.seesaa.net/article/431227901.html

(著作権ギリギリじゃない?!!!)

しかし中国王もその配慮に感心したのかどうかはわかりませんが、その後沖縄は4本爪の龍を王の象徴として使用していきます。
その後、日本に龍の絵が伝わり、日本は3本爪の龍の絵を描くこととなります。


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Oh...  japanese Dragon...     so cooooool......

画像出典元-https://matome.naver.jp/m/odai/2137718618769641601/2137718757470426703

このように、中国をはじめとした大国を相手にした交流を持つ沖縄ですが、主に武力等は使用せず、平和的な方法で各国とのいい関係性を築き上げていきました。

その平和的な方法こそ、音楽。


全沖縄県民が踊りだしたくなる民謡に「唐船ドーイ」という曲があります。
唐(当時の中国)から船が来た喜びを表す歌で、当時は中国からの使者や貿易船にに対し国中で歓待を行っていました。国としても、強国とはいい関係でいたいですし、農民たちにしても、村に仲のいい隣人がきてくれるようなものだったのでしょうか。もしかすると貿易によって経済もよくなっていくことを全ての沖縄人が知っていたのかもしれませんね。

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デニーも踊るカチャーシー(沖縄の伝統的な踊り)

画像出典元-https://www.asahi.com/amp/articles/ASL9Z76P5L9ZTIPE01N.html




沖縄に根付く音楽の文化は、こうした王国全土を挙げた音楽の発信からか、農民たちにまで広く浸透しています。中でも王国の中心地・那覇市首里から離れた離島には、農民たちが畑仕事をしながら歌う「労働歌」が多く残ります。

そんな背景があるため、沖縄民謡の中には文化・風習・想い…言い出せばきりがないほど様々なものが今でも残っています。
今回はそんな民謡を是非堪能していただけるよう、皆様にこの文章を送らせていただきます。

注)地域によって歌詞やお囃子の言葉に若干の差異がある場合がございます。唄い手さんの唄う歌によってどの地域の歌が歌われているかを聴き分けてみるのも面白いかもしれませんね!







1. てぃんさぐぬ花(てぃんさぐぬ・はな)

「てぃんさぐぬ花」とは、鳳仙花のことを指し、この歌が作られた時代には、子どもたちや女性がマニキュアのように爪に赤い色を付けるために使っていた花でした。
この歌では、爪を染める花(化粧道具)や、船、夜空の星々などと、“普段の日常にありふれたもの”と“家族の大切さ”を並ばせて唄っています。
農民たちの憩いでもあった音楽にのせて、人生で大切なことを唄う沖縄民謡の代表曲です。


一、 てぃんさぐぬ花や爪先に染みてぃ 親ぬ寄し言や肝に染みり
(てぃんさぐぬハナや、チミサチにスみてぃ、ウヤぬユしグトゥや、チムにスみり)
(てぃんさぐぬ花は爪の先に染めて、親の言うことは心に染めなさい)


二、 夜走らす船や、子ぬ方星目当てぃ 我ん産ちぇる親や、我んどぅ目当てぃ
(ユルハらすフニや、ニぬファブシ ミアてぃ ワんナちぇるウヤや、ワんどぅミアてぃ)
(夜を行く船は北極星を見る、私を生んでくれた親は私を見る)


三、 天ぬ群星や、読みば読まりしが 親ぬ寄し言や、読みやならん
(ティンぬムリブシや、ユみばユまりしが ウヤぬユしグトゥや、ユみやならん)
(天の星々は数えれば数え切れるが、親が言ってくれた言葉は数えきれない)

子ぬ方星(にぬふぁぶし)…北極星。方角における「子」(北)の方にある星。






2. 安里屋節(あさどや・ぶし)…竹富島の歌

安里屋節は竹富島に伝わる歌です。
当時の社会では、国王に仕える役人はさまざまな勤務地に赴任し、村長として村を管理していました。(国家公務員の転勤族みたいなものです。)
しかし、勤務地には妻子は連れていくことはできず、単身赴任しなければならないのですが、勤務地に住む女性の中からお世話役の女性を近くにおいてよいという慣習がありました。
新しく赴任してくる村長(昔は与人親と呼ばれていた)のために、役人たちが村で一番の美人・クヤマをお世話役にするためにするため、本人と両親に話をつけたものの、役人のうちの一人・譜久村目差役がクヤマに惚れ込んでしまい、村長が赴任してくる前に先手を打ってクヤマに告白!
クヤマは次の村長への礼儀などを大切に考えているため、譜久村さんの申し出を断る…。
といった内容で、村の役人の恋愛模様を唄っています。


やはりいつの時代も、恋とは素敵な原動力となって芸術を生み出すのですね!

ちなみに僕だったら自分のラブロマンスを唄われるなんて恥ずかしくてしょうがないですがね!!!


また、この曲は「安里屋ゆんた」としても歌われています。
「ゆんた」とは、男女で交互に歌いあうデュエットのようなものですが、労働の合間に歌われるものであるため、本来は三線による伴奏はありません。
安里屋節と安里屋ゆんたで歌詞も少し違うので、二人の恋の行方が気になる方はぜひ調べてみてくださいね♪


一、 安里屋ぬ くやまにヤゥ あんちゅらさ 生りばしヤゥ
(あさどやぬ くやまにやぅ あんちゅらさ まりばしやぅ)
(安里屋のクヤマ乙女は 絶世の美人に生まれていた)


二、 目差主ぬ 乞よたらヤゥ 当りょうやぬ 望みょうたヤゥ
(ミザスィシュぬ くよたらやぅ あたりょうやぬ ぬずみょうたやぅ)
(目差主には見初められていて、与人親には望まれていた)


三、 目差主や ばなんぱヤゥ あたりょう親や くれゆむヤゥ
(ミザスィシュや ばなんぱやぅ あたりょうやや くれゆむやぅ)

(目差主さん、わたしは嫌です。与人親さんにご奉公いたします)



3.安里屋ゆんた(あさどや・ゆんた)

一、 安里屋ぬ くやまにヤゥ あんちゅらさ 生りばしヤゥ
(あさどやぬ くやまにやぅ あんちゅらさ まりばしやぅ)

(安里屋のクヤマ乙女は 絶世の美人に生まれていた)

※お囃子「マタハーリヌ ツィンダラ カヌシャマ ヤゥ」 (また会いましょう、美しき人よ)

二、いみしゃから あふわり生りばし くゆさから 白さ産しでぃばし
(いみしゃから あふわりまりばし くゆさから しるさすぃでぃばし)

(幼少のころから美人で、小さいころから色白で器量の良い子に産まれていた)


三、目差主や ばなんぱヤゥ あたりょう親や くれゆむヤゥ
(ミザスィシュや ばなんぱやぅ あたりょうやや くれゆむやぅ)

(目差主さん、わたしは嫌です。与人親さんにご奉公いたします)


4. 久高節(くだか・ぶし) 小浜島の歌

沖縄本島の久高島からやってきた漁師たちが女性をからかって遊び、面白おかしく歌を作り流行させたといわれています。


一、 久高板船乗りならいて マーラン高舟、舟ぬどぅんぐりしゃぬ 乗りぬ ならぬ

(くだかいたぶに ぬりならいて マーランだがふね、ふにぬ どぅんぐりしゃぬ ぬりぬ ならぬ)

(久高の板船に乗りなれてからは、マーラン高船は、舟が不安定でバランスが取れなくて、乗りづらくてならない)

※(お囃子)ヤリク ヤリ クダカ ヒッチャ ビンド ヌッチャ ビンド
ウヤンマ クンクル ヤーカラ チャカラ チャーカラ ヒヤ ムイシャー
※このお囃子は特に言葉の意味はないそうです。(ウケる)


二、かなし里前ぬ乗る舟や渡中出ぢゃしば、風ぬ押すままへいへいくらくら乗りならし
(かなしさとぅめぬ ぬるふにや とぅなかンぢゃしば、かじぬうすまま へいへいうらくら ぬりならし)

(愛しい里前が乗る舟は、大海原に出れば、風が押すままに、ああ乗り心地もよく、乗りなれると気分も最高)


三、 いらぶねぬ中切ぴとぅきしぢゅてぃかまさばヤゥあんま、いつぃから いつぃまでぃ我妻わにんぐるなりひらゃなー

(いらぶねぬナカンギルィぴとぅきしぢゅてぃかまさばヤゥあんま、いつぃから いつぃまでぃ ワトゥジわにんぐるなりひらゃなー)

(イラブ(ウミヘビ)の中間あたりを一切れ差し上げますね、お姉さん。いつまでもいつまでも、自分の妻(もしくは彼女)になってくれよな)


昔、ウミヘビは滋養に効く高級食材でした。

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おいしいらしい。

画像出典元-https://www.ryukyu-kijimuna.com/food/umihebi/



5.海上節(かいしょう・ぶし)

当時の沖縄本島と離島は船で行き来していましたが、王府と関係する公用船は季節風を利用して航海をしていたので、八重山から沖縄へ出発する際は5~6月、南東から吹く風・「午未」という季節風の日に出航していました。
大切な任務を持った公用船が出発した際に、無事に目的地に到着するよう、一夜がかりで歌い踊り航海の安全祈願をしていました。


一、 嘉利吉ぬ今日出でぃ、午未ぬ生り風

(カリユシぬキユ イでぃ、ンマヒツィぬマりカジ)

(南からの季節風を帆に受け、公用船は今日出航します)


※(お囃子)海上穏やか一路平安 かりゆし かりゆし
(カイショウ ウダやか イチロウヘイアン、かりゆし かりゆし)
(海上は穏やかで安全航海、めでたい、めでたい)

二、一夜込め嘉利吉、夜中込め嘉利吉
(プィトゥユ クめ カリユシ、ユナカ クめ カリユシ)

(一晩掛りで願いを込め、夜中ずっと願いを込めて、目出度き事であります様に)


三、絹ぬ上から嘉利吉、布ぬ上から嘉利吉
(イチュぬウイからカリユシ、ヌヌぬウイからカリユシ)

(公用船の航海は、絹の布上を滑るように、海上が穏やかで、目出度く目的港へ着く事ができますように)


6.童神(わらび・がみ)

この曲は厳密には古典民謡ではなく、1997年に沖縄の女性歌手・古謝美佐子(こじゃ・みさこ)さんの作詞によって作られました。作曲は夫・佐原一哉さん。
子どもを身籠る母の深い愛情を歌にしており、その美しい歌詞によって多くの人々に愛され、様々なミュージシャンにカバーされる「沖縄の不朽の名作」として今も愛され続ける新・沖縄民謡です。また、沖縄では小さい子は感受性が豊かで神高い(かんだかい=幽霊や神様が視える能力に長けている)と表現したりするため、子どもは神様に近い…というような表現から童神(わらびがみ)と言ったりします。神様のように大切な存在でもありますしね。

一、 天(てぃん)からの恵み 受きてぃ此(く)ぬ世界(しけ)に
生(ん)まりたる産子(なしぐゎ) 我身(わみ)ぬむい育てぃ
イラヨーヘイ イラヨーホイ イラヨー 愛(かな)し思産子(うみなしぐゎ)
泣くなよーや ヘイヨー ヘイヨー 太陽(てぃだ)ぬ光受きてぃ
ゆういりよーや ヘイヨーヘイヨー 勝(まさ)さあてぃ給(たぼ)り


(天からの恵みを受けて、この世界に生まれた我が子。私が守り育てよう。
 イラヨーヘイ イラヨーホイ イラヨー(お囃子)愛しい我が子
 泣かないで ヘイヨーヘイヨー 太陽の光を受けて
 芯の強い我が子 ヘイヨーヘイヨー 健やかに育って。)




二、
夏(なち)ぬ節(しち)来りば 涼風(しだかじ)ゆ送(うく)てぃ
冬ぬ節(しち)来りば 懐(ふちゅくる)に抱ちょてぃ
イラヨーヘイイラヨーホイ イラヨー 愛(かな)し思産子(うみなしぐゎ)
泣くなよーや ヘイヨー ヘイヨー 月(ちち)ぬ光受けてぃ
ゆういりよーやヘイヨーヘイヨー 大人(うふっちゅ)なてぃ給(たぼ)り

(夏の季節が来たら涼しい風を送り、冬の季節が来たら懐に抱こう。
イラヨーヘイ イラヨーホイ イラヨー(お囃子)愛しい我が子
 泣かないで ヘイヨーヘイヨー 月の光を受けて
 芯の強い我が子 ヘイヨーヘイヨー 立派な人に育って。)


三、 雨風(あみかじ)ぬ吹ちん 渡る此(く)ぬ浮世(うちゆ)
風(かじ)かたかなとてぃ 産子(なしぐゎ)花咲かさ
イラヨーヘイイラヨーホイ イラヨー 愛(かな)し思産子(うみなしぐゎ)
泣くなよーや ヘイヨー ヘイヨー 天(てぃん)ぬ光受けてぃ
ゆういりよーやヘイヨーヘイヨー 高人(たかっちゅ)なてぃ給(たぼ)り


(雨風が吹くような中を 渡っていくこの世の中
 私が風よけとなって 我が子の花を咲かせよう
 イラヨーヘイ イラヨーホイ イラヨー(お囃子)愛しい我が子
 泣かないで ヘイヨーヘイヨー 天の光を受けて
 芯の強い我が子 ヘイヨーヘイヨー 名高い人に育って。)


7.あがろーざ節 石垣市大川の歌 


 この歌は、1842年当時の新川村の役人、大宜見信智が工工四(くんくんしー・三線の楽譜)に発表したものである。離島の人々は、那覇で公用が済むとみんなで集まって、各離島の民謡を歌って慰安会を催していました。そこで、「あがろーざ節」を宮古島の人に伝えたところ、宮古島からは「トーガニスィザー節」を交換するように教えてもらったと言い伝えられています。

一、 あがろーざぬ んなかに ヤゥ ヤゥイ
登野城(とぅぬすぃく)ぬ んなかに ヤゥ 
東里の村の中に、登野城村の村の中に

※(お囃子)ハリーヌ クガナ…言葉の意味は特にありません

二、 九年母木ば 植べとぅーし、香さん木ば さしとぅーし

(クニブンギば イべとぅーし、カバさんギば さしとぅーし)

(九年母木=ミカンの木が植えてあった、いい香りの木が植えてあった)


三、
九年母木ぬ下なか、香さん木ぬ下なか

(クニブンギぬスィタなか、カバさんギぬスィタなか)

(ミカンの木の下で、いい香りの木の下で)


ちなみに、沖縄では東のことを「あがり」西のことを「いり」と言います。
東山=あがりやま、西表=いりおもて…など、この由来は東の空から太陽が「上がり」、西の海に「入る」ことから、太陽に関連するといわれています。



  

8.デンサー節

デンサとは、伝承など伝えられることで、上原村の教訓歌として1768年に宮良里賢が上原村の役人に任命されたときに作詞作曲したと言い伝えられている。
定治さんはこの曲にも思い入れがあるそうです(大石定治・インタビュー記事を参照)
なお、後世の人々によってさまざまな歌詞が追加され歌い継がれています。


一、 上原ぬでんさ 昔すぃからぬでんさ、我ん心言ざば聞きゆ給り でんさ
(ウイばるぬでんさ ムカすぃからぬでんさ、バんククル イざばシきゆタボりでんさ)
(上原村のデンサ節は、昔から言い伝えられている教訓歌である
 自分の気持ちを唄いますので聞いてください)

二、島持つぃどぅ家持つぃ 舟乗るぃどぅゆぬむぬでん
舟頭舟子 親子 揃らにば ならぬでんさ

(スィマムつぃどぅヤームつぃ フニヌるぃどぅゆぬむぬでん、シドウフナグウヤファー スらにばならぬ でんさ)

(舟頭と舟子のように、親子も一心同体にならないと前進できない)


三、親子かいしゃー 子から、兄弟かいしゃー 弟から
(ウヤファかいしゃー ファーから、キョダイかいしゃーウトゥドゥから)
(親子の良い関係は、子の理解の良さからである兄弟の良い関係は、弟の出方や良さからである)




9.うりずんの詩


この歌は定治さんの作った曲です!
うりずんとは、「潤い初め(うるおいぞめ)」が語源とされ、 冬が終わり大地に潤いが増してくる時期(2〜4月)のことで、日本本州の春とは趣が少し異なる。 若葉がいっせいに咲き、草花はその彩りを増して、大地を潤していくていく、新しい命や季節の芽吹きを表す言葉です。
ここではあえて、その解説はいたしません。前回のrica tomorlさんも、大石定治さんも「聴きたいように聴いて、何を思うかは聴いてる人次第」という言葉を話してくれました。
歌は唄っている人のものでもあるし、聴いてるあなたのための歌です。」
この言葉を胸にぜひとも定治さんの音楽をお楽しみください。

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10.小浜節(クモーマ・ブシ) 小浜島の歌


小浜島は、石垣島と西表島の間にあり、外周16.5kmの小さな島です。1751年、小浜島の役人に任命された武芸の達人・宮良永祝は島の「新里加武多氏」が謡っていた小浜節を琉歌体に改作して工工四に発表したものです。


一、小浜てぃる島や果報の島やりば (お囃子)シタリヌ
  大嵩ばくさでぃ 白浜前なし  (お囃子)ヤゥ ンナ
(クモマてぃるスィマや カフぬスィマやりば、ウフダギばくさでぃ シルパママイなし)

(小浜という島は、果報な島であるから、大嵩を腰当てにして白浜を前にして、良い島だ)


二、大嵩に登てぃ 押し下し見りば、稲粟ぬなをり 弥勒世果報
 (ウフダギにヌブてぃ ウしクダしミりば、イニアワぬなをり ミルクユガフ)
(大竹に登って四方を見渡せば五穀が豊かに稔って弥勒世の豊年万作だ)


三、
稲粟ぬ色や 二十歳頃美童、粒美らさあてぃどぅ 御初上ぎる
 (イニアワぬイルやハタツィグルミヤラビ、ツィヅィジュらさあてぃどぅ ウハツィアぎる)(五穀の豊熟せる色は二十歳頃の乙女の色艶のようだ。粒も並み揃ってあるので、神仏に御初稔として捧げる)

 ここでいう大嵩とは、今では「うふたき」と呼ばれる高さ99メートルの山です。





12.月ぬ美しゃ節(ツィクィぬ・カイしゃぶし)


 八重山では月にまつわる歌が数多くあり、月ぬ美しゃ節はあがろーざ節と共に八重山を代表する子守歌です。歌詞の順番は統一されておらず、ゆったりとした眠気を誘うメロディーで、今も夜になると島中のどこかから聞こえてくる、懐かしさと愛情をはらんだ不思議な旋律です。
ここでは有名な歌詞を解説していきたいと思います。

一、月ぬ美しゃ十日三日 女童美しゃ十七つぃ

(ツィクィぬカイしゃトゥカミッカ、ミヤラビカイしゃトゥナナつぃ)

月がきれいなのは(旧暦)10日~13日で、女性がきれいなのは17歳だ

(お囃子)ホーイ チョーガ  ※やっぱり意味はありません

一、東るからあーりおる大月ぬ夜 沖縄ん八重山ん照らしょうり

(アーるからあーりおるウフツィクィぬユ、ウクィナんヤイマんティらしょうり)

東の空から明かりをもたらし、上りおいでになる大月の明かりの神様よ、沖縄も八重山も限りなく照らしてください


一、あんだぎなーぬ月いぬ夜 ばがーけら 遊びょうら

(あんだきなーぬツィクいぬユ ばがーけらアサびょうら)

(あれほど、美しい月夜の晩だ、若者たちよ、語り遊びましょう)


一、寺ぬ大札んが絹花 黄金花 咲かりょうり

(ティラぬウフフダんが イチュパナ クンガ二パナ サかりょうり)

(お寺からもらったお守り札は絹花・黄金色の花を咲かせ、子どもたちに夢と希望を与えてください)


一、びらーまぬ家ぬ東んたんがむりく花ぬ咲かりょうり
うり取るぃ彼り取るぃなつぃきばし びらーまぬ家ぬ花ぶんな

(びらーまぬヤ―ぬアんたんが むりくパナぬサかりょうり

 うりトゥるぃカりトゥるぃなつぃきばし びらーまぬヤ―ぬパナぶんな)

ビラーマの家の東方の庭にモウリン花という花が咲き誇っている。

 あれ取り、彼取り、花折りを口実にして恋する男を見てこよう

※ビラマ…平民階級の女性から、士族の青年に対する尊敬語







13.とぅばらーま節

真栄里村の仲筋家に、「嘉那志(かぬしゃーま)」という評判の町娘が生まれました。当時は階級制度が厳しくて、士族の青年たちは横暴で、農村の娘と自由に恋愛できるという権利がありました。青年たちはその権力を振りかざして絶世の美人嘉那志と付き合おうと競い始めました。
まさに恋は盲目で、ハブ(毒蛇)もお化けも出そうな当時の悪路を毎晩仲筋家に通い、木の下から覆面姿で座り込んで待っていました。(怖すぎる。)
嘉那志も相手が一人ならおしゃべりできるのですが、何しろいつも6~7名の覆面男がいるもので怖くて毎夜両親の間で寝ていたといいます。
青年たちは何とかして恋のささやきをしたい、と燃える思いで通い続けるも一度も会えない…やるせない失恋の炎はついに胸を張り割き、喉を通り抜け、誰かが即興で歌い始めたのがこの歌の始まりとされています。
嘉那志が二十前後の頃にこの歌が作られたと推測すると、1814年頃の歌だと推測されます。


一、 仲道路から七けーら通うけ 

「ツィンダサヤツィンダサー」
仲筋かなしゃーま相談ぬならぬ、イラ 

「マクトゥニツィンダサー」 


んぞーしぬ かぬしゃーまヤゥ

(ナカドーミツィからナナけーらカヨうけ、

 ナカスィズィかなしゃーまソーダンぬならぬイラ

 んぞーしぬ、かぬしゃーまヤゥ)


(ナカドウ道から7回も通ったが
 仲筋家のカナシ美人は一度も顔を見せてくれなかった、嗚呼

 あー、愛する美しい人よ)



また、とぅばらーまは「思いを自由に歌詞にして歌う」という文化もあり、前回の記事でも紹介しましたが、定治さんも自身の思いを歌詞にして歌っています。
今回はその歌詞も記します。



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とぅばらーま大会のチャンピオン、大石定治さんのとぅばらーまをぜひお聴きください。



「子ゆー産し、親ゆ成りてぃ、親ぬ習しょーだ言葉や、今どぅ思ーり」。
(音読:ふぁ ゆーなし うや ゆ なりてぃ、うや ぬ ならしょーだ くとぅば や、なま どぅ うもーり)(意味:子を産み、親になって、親の教えた言葉は、今になってわかる)



「大人 高人 なりでーどぅ育てぃきぃだ、腹ぬ底から我なや恨み」
(音読:うふぴとぅ たかぴとぅ なりでーどぅ すだぃきぃだ、ばだぬくす から ばなや うらみ)
(意味:心も体も大きく、学問もできる人に育ててきたのに。腹の底から戦争を恨む。)



「戦世どぅ我な恨み、人ぬ親子散り散りなしねーぬ」
(音読:いくさゆーどぅ ばなうらみ、ぴとぅぬうやふぁ ちりぢりなしねーぬ)(意味:戦の世を私は恨む、親子は散り散りになってしまった)












いかがでしたでしょうか?
方言・歴史・文化は石垣島の中でも地区によってそれぞれ分かれており、その地域特有のものが様々です。共通していることはどの島も音楽・文化を愛し、「我が島美しゃ(ばがすまかいしゃ)」の誇りある精神を持っていることがあるといえるでしょう。
各地域それぞれの文化を、この機会にぜひ調べたり、聞いたり、話したりして、沖縄の文化をより深く知っていってみてくださいね♪


長文でしたが、読んでいただきありがとうございました。


うちま⭐︎ひかる

さいごまで読んでいただき、ありがとうございました。 もしよろしければ「スキ」や「シェア」をしていただけると嬉しいです。