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キルディス考察

2024.8.20に行われたバーレスクTSようのBDイベント振り返り。今回はKill this Loveの考察に絞ってお届けします



プロローグ

バーレスク(63エンジェル)界隈のお客さんであればお馴染みのKill this love(通称:『キルディス』または『鬼』)

重厚感のあるサウンドと少しノイズ気味のボーカルをBGMに鬼姫(クィーン)とその従者?である悪魔たちが創り出す世界。タイプ的には『劇場型』というか、そのストーリーを我々は固唾を飲んで魅入るタイプの演目である。

筆者もこれまで、色々なタイプの鬼姫を見てきた。その美しさで人を魅惑するタイプ、超怪奇タイプ、店内を凍り付かせるような咆哮で情念を燃やすタイプ、無論、ショーたるもの演じる者の解釈によって見せ方が異なるのは当たり前なのであるが、キルディスは特にその部分がハッキリ分かれると言うか、多岐に渡る解釈があるので見ていて飽きない。

そして、今回ようちゃんは自身初のキルディスクィーンを演じるにあたって、『エピソード0』と言う形で、自身が創り出そうとする鬼の姿を表現することにチャレンジした。

この試み、実はなかなか面白いと思う。おそらく見たことある方には、朧げながらもキルディスの解、というかストーリーが頭にあると思う。ただ、それが演じている者と一致をしているかといえばそうではないだろう。

何故か?それは我々が見ているのは「鬼になった後」の部分だからである。万物には因果があり、その結果が「鬼」なのだとすれば?いや、そもそも「鬼」という存在って何なのだろう?妄想大好きおじさんにはたまらない禅問答を叩きつけられた感覚である。

余談ではあるが、筆者は今回この文章を書くのを非常に悩んだ。残念ながらエピソード0が撮影🈲だったので、どれだけうまく描写を捉えられたとしてもその場に居合わせた方々にしか感覚の答え合わせができないだろうし、そもそも、このパフォーマンスを言語化するのはかなり難しい😓
だが、鬼の誘惑に取り憑かれた者として、これに挑ませてもらわずに居られないので、書き記してみたい。

鬼という存在


古今東西、太古の昔から人間は目に見えない邪悪な存在を畏れ、これを「鬼」「悪魔」と言ったカタチで表現し、伝承させてきた。日本人であれば鬼という存在は桃太郎や金太郎といった昔話を通じて幼少の頃から刷り込まれている存在である。

では、鬼は鬼として産まれ、鬼として一生を終える存在なのか?

ようバが迫っていた8月の初旬、私の目に1つのイラストが目に止まる。皐月恵先生という私が好きなイラストレーターさん。FFシリーズの天野喜孝先生にインスパイアされた若手女流アーティストさんなのだが、ぜひ↓↓↓のリンクから見て欲しい(直接貼ると版権とかあると思うので)

月明かりに照らされた妖艶な美女を隠す鬼(般若)の面、そして生気を感じない冷めた眼差し。なんか、キルディスのクィーン像にぴったり合致するものを感じた。  

また、最近で言えば、『鬼滅の刃』が上記の問いに1つの解を出したと言える。作中に登場する鬼は元々は人間、その人間が何らかの悲劇や欲望といった抗えない闇に飲み込まれた結果、鬼として生きていく道を選んだ。

そこから導き出されるもの、鬼は人間そのものなんじゃないか?とすれば、キルディスのクィーンはいかにして鬼になり、鬼となってなお何を想うのだろうか?

ようちゃんが導き出した鬼の姿は、まさに上記に対する1つの哀しきエピソードに仕立てられていたと思う。


哀しき鬼姫

⚠️ここからはショーの描写と筆者の解釈ですので、ご参考程度に

まずはエピソード0、幕が上がると、そこには仲睦まじい男女。人が人を愛し、慈しむ、そんな生の歓びに溢れた場面から始まる。

男性が女性に送った羽織物、これは愛のカタチ、この幸せが永遠に続くかと思われた刹那に闇が襲う。

2人の仲を引き裂くのは、悪魔たち(キルディスの他のメンバー)。この悪魔たち、人間社会の闇なんだと思う。時代背景までははっきり分からないが、今も昔も「身分の違い」「敵対関係」など、当人たちの純粋な想いだけでは抗えない「チカラ」があり、良くも悪くも、それは社会の秩序、という名目の元で正当化されできたのである。

必死に手を伸ばし、彼を救おうとするも、彼は闇の中に消える。心にぽっかり空いた穴。慟哭、哀しみ、ありとあらゆる負の感情が押し寄せた末に彼女が取った選択。それはこの想いを封印することであった。

ラストの表現が秀逸だなと思ったので補足。同じく闇に呑まれたようちゃん、幕が閉まった後の暗転前に現れたのは無数の悪魔の手
ようちゃんの想いを少しずつ侵食し、黒に染め上げていくかのような不気味な描写だった。

〈ここからキルディス本編〉

悪魔たちと共に再登場したようちゃん、そこには鬼の角が。
棺から出てきて悪魔たちとのシンクロ。エピソード0からどれだけの時が経過したのかは分からない。しかし、最終的に彼女は闇との迎合を選んだ。そこで自由に舞い踊ることは、かつて自分達の仲を引き裂いた側の立場への転換と捉えられる。彼女も自身の辛い経験のあと、知らず知らずのうちに他者を傷付けてきたことになる。ふとした時に懐疑的になったとしても、すでに侵食しつくした悪魔たちがささやく「仕方ない」それが人間としての秩序だと信じて

大サビ前。自らの羽織物に目を向ける、これは記憶のスイッチ。自らが永らく目を背けてきた過去へのフラッシュバックの引き金である。

今も微かに残る彼の匂い。消え去った、消え去って欲しかった想いが怒涛のように溢れ出す。そして哀しき咆哮と共に訪れる後悔の念。失われた時間を取り戻そうと必死に手を差し伸ばすが、ここでまた悪魔が囁く「もう戻れない」

生の不可逆という、万物に与えられた最大の業、当然断ち切ることのできない彼女は再び収棺される。鬼を永遠に心に宿したまま

どこに書こうか迷ったので。鬼がフィーチャーされる演目だけど、楽曲名は『kill this love』つまり、『この愛を殺して』なのである。

大サビ前の歌詞
In my dreams (夢の中で)
You fill my lungs (あなたは私の肺を満たしてくれる)
You're the air that I′m breathing (だって、あなたは私の呼吸に必要な空気)
You're all I need (あなたは私が必要なすべて)
You're the medicine(あなたは私の薬)
For a heart that is healing (私の心を癒すための)
And I wait for the silence (そして私は静寂を待ち望む)
Deafening (なにも聞こえなくするほどの)

消えない思いが、めちゃくちゃ切ない



エピローグ

実は筆者は当初バーイベに参戦する予定がなかった。ちょっとした運命の歯車が噛み合った結果なのだが、このショーを見ずに、他の誰かに「すごく良かった」、その言葉を聞いていたら嫉妬の炎で自身に鬼が芽生えていたかもしれない。

この社会、どうにもならない事は無数にあるが、人生の「たられば」は大部分が自分の選択に対する後悔なんだとしたら、今を生きる喜びをもっと感じないと行けないなぁと。そして、ようちゃんが創り出したエピソード0は、その生の喜びの一部として与えられたギフトな気がした(言い過ぎ?笑)

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