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どこからが「失敗」なのかはわからないけれど

私は、離婚経験者です。

それを告げると、結構な割合で、顔を曇らせてしまう人がいます。
まぁ、笑って聞く話でもないのでしょうが。

顔を曇らせる真意がわからないのがアレで。
離婚の原因なんて、それぞれなので、必要以上にかわいそうにと思ってもらわなくても大丈夫なこともあるのです。
離婚直後は、確かに、大変といえば大変です。
子どものこともあるし、事務手続きもあるし、精神状態が悪いこともあります。
そういうことに対する思いやりであれば、すみません。
それは、素直に、ありがたいです。

ただ、明らかに、拒否反応が出る人もいます。
「なんだか嫌なことを聞かせてしまったようでごめんなさいね。」
と思うわけですが。

でも、今後もこの人とはつきあいが続くなぁ、と思う相手なら、さらっと会話に挟み込むようにして告げておくようにしています。
いい歳なので、家族ネタの世間話は多いので、そうしないと、後々、面倒だったりするので。

離婚なんてものは想像したこともなく、幸せな人生を送っている人からしたら、「失敗」だろうなぁ、と思います。
多分、以前は頻繁に連絡が来ていたのに、離婚を告げた時からパタッと音沙汰が無くなる人というのは、そう思っているのだろうなぁ、と思いますし、それはそれで、寂しいけれど、めんどくさいので、まぁ、いいです。

あとは、他人と競争するようにしながら幸せを感じるタイプの人から見ても、「失敗」なんだろうなぁ、とは思います。
まぁ、そういう価値観から見たら、そうでしょうから、まぁ、いいです。

私が自分で「失敗」だと思うのは、離婚そのものではなくて、離婚前に自分が取った行動についてであって。
結婚自体は、「成功」とか「失敗」とかではないと思うのです。
もし、自分の配偶者が、「自分は結婚、成功した!」と言っているのを聞いたら、微妙な気持ちになりませんか。
この結婚って、チャレンジだったの?みたいな。

でも、この違和感は、当事者でしかわからないことだと思うので、世間一般から見たら、「失敗」とされるのであろうことは、重々承知していますし、当事者であっても「失敗」だったと納得できるケースもあるのだと思います。

ただ、勝手に外側から「失敗」だと分類されて、優越感とか哀れみとかを持たれると、正直イラーっとすることもありますが、実際、そういう人たちは、色々な意味で、基本幸せなんだろうな、と思ってもいるので、抗うつもりは無いです。
そんな風に生きていけることは、羨ましくもあります。

ただひとつだけ。
この「失敗」のおかげで、私は確実に以前の私よりスキルアップしています。
それは、仕事のスキル云々な、なんだかかっこいいものではなくて、ものすごく地味な、毎日の生活能力のことです。

『大豆田とわ子と三人の元夫』に、網戸が外れてそれをはめ直すことに、主人公の大豆田とわ子がうんざりするシーンが度々出てきます。
それをやってくれる「誰か」がいてくれたら・・・という感じ。

これって、すごくうまいなぁ、と思いました。
直せるんですよ、網戸なんて。
女性だって、歪んだり壊れたりしていなければ、大体は1分かからないで直せる。
でも、持ち上げるのって、少し腕の力が要るんですよね。
旦那がいたら、「お願い」と言いたくなる。
やってもらえたら、なんだか少し頼もしく見える。
こういうちょっとしたことで頼らせてもらえる相手がいること。
それって、幸せですよね。

でもね。
離婚して、何度外れても、自分が直す以外にはない、という主人公の生き方がベースにあるドラマだから、この描き方を「うわぁ。これはうまい。」と思うのです。

話を戻すと。
上のイラーっとするタイプの人というのは、網戸をはめることを試すこともなく、「後で旦那にやってもらおう」とする傾向の人に多い気がします。
一事が万事、というか。
網戸も、蛍光灯も、家具の組み立ても、害虫退治も、テレビの配線も、PCの設定も、試すことも説明書を読むこともなく。
そういったことって、家庭以外のことにも影響が出たりするもので。
他人にまで、「やってもらおう」とするのが、滲み出ていて、苦笑されていたりもするのですが、多分、本人はそれでやってきたし、ここから先もそうやって生きていき、そして、大体は幸せな人が多いので、まぁ、いいです。
それはそれ、です。

で。
ひとしきり、そんなこんなな打撃を受けた日は、不快な思いもあるわけですが。
下手なりに家のメンテナンスをした後に、軽く胸を張り、「どうだ」と思うのです。
多分、誰もどうとも思わないとは思いますが。

結婚していた頃の私は、まさに旦那に色々やってもらう人でした。
そして、強がるでも何でもなく、その「私」と、地味なことだけど、色々なことができるようになった「今の私」だったら、「今の私」の方がずっと「いい!」と思います。

あの頃の私が、今のスキルを持っていたら、私は離婚に繋がる「失敗」のいくつかを防げたかもしれません。
もっと若い頃の私が、こんな程度でもやろうと思っていたら、私はもっともっと幸せだったのかもしれません。

でも、まぁ、結局、私の人生としては、こういう環境になって、必要に迫られたからやったわけで。
こう書いたからといって、今更離婚を嘆き悲しんでいるわけでもありません。
私が離婚したことで今もなお胸が苦しくなるのは、子どもに関することだけです。

というわけで。
「失敗」したからこそ、できるようになったことが増えた。
このことは、前を向く原動力にもなってくれる。
離婚してよかった、とは、口が裂けても言えないけど。

ひとりの人間として。
今の自分の方が、若い頃の私より、自分で自分を好きでいられます。
繰り返し言いますが、決して離婚してよかった、とは思ってはいませんが。
今の私で結婚してみたかったです。