遅咲きルーキーたち

コーストガード


2008年に「The 33-Year-Old Rookie」という自叙伝が発売された。独立リーグおよびマイナーリーグに11年間在籍した末にフィラデルフィア・フィリーズ等で活躍したキャッチャー、クリス・コーストの二冊目の著作だ。NCAAのディビジョン3という微妙なレベルの大学でプレーした後、ドラフトされないまま独立リーグでプレーし続け、26歳でクリーブランド・インディアンズ(当時)とマイナー契約したのを皮切りに数チームを転々とした後、11年目でようやくチャンスに恵まれ、事情を知る地元ファンからの熱狂的な歓迎を受けるも、開幕目前に外野の控えを必要とするチーム事情からロースターを外され涙を流すシーンは強烈に印象に残っている。結局、2006年中に昇格を果たし翌年また昇格してからはメジャーに定着し、その名前が沿岸を意味するコーストと読みが同じことから沿岸警備隊をもじった「コースト・ガード」と呼ばれる赤いバスローブに白いTシャツ姿の熱狂的なファンクラブの応援でも知られるようになった。

普通、こうした機会に恵まれない遅咲き選手のデビューは再建期の弱小チームに多いのだが、2006年のフィラデルフィアはリーグ2位の成績なので珍しいことだったのかもしれない。それだけ力量を評価されていたのだろう。実際に65試合でOPS .881という成績なのだから当然か。

チームの解体


さて、GAP創業者の息子で金持ちだらけのMLBのオーナーたちの中でもトップクラスの大金持ちであるジョン・フィッシャーが主要オーナーであるオークランド・アスレティックスだが、2021年にはMLB30チーム中23位の総年俸額だったところを、今年はトータルでその半額ほど、順位にして29位にまで削減させられ、3年連続でプレーオフに進出していたチームは解散、再編されることになった。実績のある選手はことごとくトレードで放出され、驚いたことに2011年から監督としてチームを6度のプレーオフ進出に導いたボブ・メルヴィンまで移籍した。

そんな状況下で、2022年のキャンプから大勢のマイナーリーグの選手たちがチャンスを与えられることになった。2013年のドラフト1位、ビリー・マッキニーはその中でも特筆すべき変わり種だ。チームが最も優勝に近かった2014年にシーズン途中のレンタル補強のためシカゴに移籍したのを皮切りに数チームを渡り歩き、何度もチャンスを得たものの、両コーナーを守る外野手にしては長打力不足は否めずレギュラーに定着することはできなかった。それが8年ぶりに古巣アスレティックスに復帰することになったのだ。筆者は密かに、もしかしたら第二のマックス・マンシーになってくれはしないかと淡い期待を寄せていた。

マンシー現象


現在ドジャーズで活躍するマンシーはマッキニーの前年、2012年にアスレティックスにドラフト8巡目で入団した内野手で、2021年の同チームのドラフト1位の同名選手とは誕生日まで同じだけれど血縁関係もない全くの別人だ。選球眼の良さが売りで、確かに四球を選ぶ能力に長けてはいるものの、オークランド時代のマンシーは長打があるわけでもなくヒットも少ない、メンドーサ・ラインを超えることはほとんどない典型的なマイナーリーグの選手だった。2017年には40人枠から外れ、彼のキャリアはそのまま消滅するか、日本や韓国での再起を目指すことになるはずだった。

そんなマンシーが突然その才能を開花させ、今では強豪ドジャーズの不動のレギュラーとして君臨し、オールスターやワールドシリーズに出場しているのだから、驚くべき話である。この現象にはいくつか説明が必要な背景がある。

マネーボール以降の世界


2000年代に低予算ながら何度もプレーオフに進出するオークランド・アスレティックスの強さが話題になった際、注目されたのは統計データを積極的に活用するその戦略だった。やがてそれは他のチームにも取り入れられ、今日ではデータは当然のように活用されるようになった。去年からGoogleに変わったがそれ以前はAWSがデータ解析のインフラとして利用され、試合中継中に特に大きなプレーが再生されると、打撃なら打球速度や打ち上げ角度と軌道、守備なら打球が放たれた瞬間から野手が反応を開始するまでの時間やボールの落下地点から直線距離で何%ロスしたかといった驚くほど詳細な数字がStatcastの名称でIT企業のロゴ付きで紹介されるのが今のMLBなのである。

だが、データ活用がMLB全体に広がるにつれ、皮肉なことにそのパイオニアであるアスレティックスの成績は低迷していった。結局選手の評価は市場価格なので、データを活用してゲームに勝つ確率を高める選手を発掘する戦略も、それはあくまで他チームで過小評価されている選手だからこそ低予算のチームでも手が出せるというカラクリであって、他チームが同じような指標で評価するようになった途端に競争優位ではなくなってしまったからだ。どこの誰が見てもデレク・ジーターの選手としての価値を見誤ることはないので、予算が潤沢なチームであればそういった高額の選手に加えてアスレティックス好みの選手まで根こそぎいい条件で引っさらってしまうわけだから、まあ当然の話ではある。

しかし、2010年代になり、データを巡る事情は大きく変化した。これまでのデータ活用といえばそれは既存の選手の評価の精度を高めるものだったのだが、センシング技術などの発達により、従来と比較するとより個別の選手に合わせたトレーニングが台頭してきた。例えば、旧来の変化球の習得は選手がさまざまなグリップやアームスロットを試しながらしっくりくる感覚を探す、といった多分に運任せのものだったが、今では高精度のカメラやセンサーで選手の動作やボールの回転、軌道などを解析し、どの軌道からどのあたりでどの程度曲げると効果的なのかを確認しながら握り方や投げ方の動作をデザインしていく作業になりつつある。

興味深いことに、そんな非伝統的なトレーニングが生まれたのは、2000年代のデータ活用の基礎となるセイバーメトリクスが野球の現場とは無関係な倉庫の警備員ビル・ジェイムズによって発展させられたように、素人の異様な情熱からだった。「マネーボール」に強く感化されたカイル・ボディはマイクロソフト社などに勤務しながらTrackManなどの技術やその他センサーや高解像度カメラを駆使して球速を増やしフォームを改善するトレーニングのための施設「Driveline」を自費で建設してコーチ業に乗り出した。その投球理論自体は素人がゼロから考え出したものではなく、60−80年代に活躍した故マイク・マーシャル投手の編み出した理論を現代の技術で実践することに基礎を置いている。またハワイ大学教授の協力を得て、今では日本のプロ野球チームにも取り入れられている重さを変えたボールでの投球練習も考案している。

そんなボディの名を一躍知らしめたのは、現在暴行疑惑で2年間の出場停止処分を受けているトレバー・バウアー投手の活躍によるところが大きい。アマチュア時代から一風変わったトレーニングを積極的に取り入れることで有名だったバウアーが、チームの輪を乱す暴言とコーチの指導を無視する態度が問題視される二番手投手という評価を覆しMLB屈指の投手となった背後にはDrivelineでのトレーニングがあった

2012年のDriveline開設以来、バウアーの所属チームであるクリーブランド・ガーディアンズとLAドジャーズは、垂直跳びが50センチ程度しか出来ないなど決して身体的に恵まれてはいないバウアーが球界屈指の直球を投げる秘訣を探るために早くからDrivelineと接触し、そのスタッフを雇用するなど積極的にそのメソッドを取り入れてきた。また、ヒューストン・アストロズも精密センサーを使った指導を早い時期に採用し、新しいデータ活用の流れにいち早く乗ったことで知られている。

ではその新しい流れとは何か。簡潔にいえば、2000年代のデータ活用が選手の現在の力量の評価に利用するものとすれば、2010年以降の新しいデータ活用は選手の育成に利用するものだ。打撃や投球は詳細に解析され、デザインされ、修正される。それを受け入れるマインドセットがあれば成績を大きく飛躍させることも夢ではない。最近ではマイナーリーグのコーチにDrivelineのような施設出身者やそこで行われているような測定と指導に長けた選手経験のない人物が雇用されることも増えているが、その中には女性のコーチも含まれているのが面白い。

しかし、選手にとって自身が身につけたフォームを改造するのは勇気のいることだ。特に競争の激しいマイナーリーグの下積みを経て這い上がってきた選手なら、それまでの成功の礎となった自分のフォームを捨てるなどなかなかできるものではない。しかし、今でこそアメリカンリーグ西地区に君臨し続けるヒューストン・アストロズは当時は万年最下位で今更捨てるものなど何もなかったし、それはキャリアの灯火が消えかけていたマックス・マンシーにも同じだった。ちょうど2000年代を迎えるオークランド・アスレティックスがオーナーの死と共に予算が縮小されこれまでの戦略の刷新を余儀なくされたように、追い詰められた人たちだったからこそ大きな改善のチャンスに飛びつくことができたのだ。

マンシーを探して


そんな経緯でアスレティックスを退団した後に大成功を収めたマンシーだが、当然アスレティックスのファンは地団駄を踏むことになった。他所で過小評価されていた選手を安く手に入れて活躍させて高く売るのがオークランドの戦略だったのに、これではまるで逆じゃないか。もちろん、マンシーがアプローチを変えるにはオークランドから解雇されるという契機が必要だったのだろうが、それでも惜しいには違いない。

今年のスプリングトレーニングはMLB経験のほとんどない選手たちが大挙押し寄せてきたこともあり、アスレティックスのファンの間では第二のマンシーとまではいかなくても、誰か大化けしてくれないかと期待して選手たちを見ている人も少なくなかった。戻ってきたビリー・マッキニーがオープン戦で見事なアッパースイングのホームランを放つ度に、ひょっとしてこれは…と期待したのも無理からぬ話である。

ところが、そんな大化けした姿を見せてくれたのは、流行りのアッパースイングで豪快に振り回すプルヒッターではなく、シュアな打撃で着実にランナーを進める打撃に目覚めた、こちらも元アスレティックスで復帰してきた内野手、シェルドン・ノイジーだった。

BABIPの申し子


BABIPというのはデータ重視の野球の世界でも頭抜けて面白い指標で、打球がフェアゾーンに飛んだ際にそれがヒットになる割合を指す。理由はよくわかっていないが、これがどんな選手でも平均すると大体30%程度になるというのだ。つまり、この数字が40%になっている場合は、打率が高くてもそれはたまたま飛んだ場所が良くてヒットになっただけ、つまり運が良かったに過ぎないので、やがて平均への回帰が起きて成績は下がることが予想される。逆に見た目の成績が悪くてもBABIPが低ければ、年齢による衰えや怪我など目立った要因がなければ同じく平均への回帰が起きて成績が向上することが期待できる。稀に内野安打が多い打者がやや高い数値が出ることがあるが、たとえイチローでもMLBでシーズン成績が40%に達することはなかった。

直近での面白い例は昨年エンジェルズを解雇されたホセ・イグレシアスで、2020年にボルティモアで39試合とはいえ打率.373という高い数字を残しているが、BABIPは脅威の.407だったのでこの成績が維持されるとは考えにくく、案の定翌年はキャリア平均程度の打率.271に戻っている。BABIPが完璧な指標かどうかはまだまだわからないことも多いが、運の要素を可視化するというなかなか面白いデータであることには違いない。

そんなBABIPだが、これまた興味深いことに、時折、特に足が速いわけでもないのに、やたらとその値が高いまま下がらない選手がいる。今年ブレークアウトしかけているアスレティックスのシェルドン・ノイジーもその一人だ。マイナーリーグの試合がなかった2020年のデータはないがそれ以前の3年間は2017年に.397、2018年には.385、2019年は.368といずれも平均を大きく上回っている。そして、27歳にしてようやく念願かなってMLBに定着しつつある今年はというと、これも脅威の.386という数字を叩き出している。27.1%という高い三振率と.388というちょっと期待外れの長打率が批判されているものの、現在までの打率.281 / 出塁率.346 / 長打率.388という成績は十分な活躍といえるだろう。だって、ドジャーズを放出されてタダ同然で獲得した選手なのだから。

ルーキーたちの5月


結局、開幕ロースターには入ったものの打率1割台と低迷したマッキニーは、いつも後少しのところで夢に届かないその姿を象徴するようなプレーを記録に残して5月9日にウェイバー公示され降格してしまった。代わりに5月10日に昇格したのは同じく今年4月12日に40人枠を外されてしまったルイス・バレーラで、こちらもインターナショナルフリーエージェントとして16歳で契約して以来、長いこと期待され続けたものの結果を残せなかった選手だ。おそらく最後になりそうな10年目のこのチャンスに、昇格から五日後のエンジェルズ戦でクローザーのイグレシアスから見事な逆転サヨナラホームランを放ったのには感動したが、おそらく日本のファンは同日のダブルヘッダーで大谷が通算100号ホームランを打ったニュースしか届かなかったかもしれない。

今年は選手がCOVID-19関連で出場を制限された場合には40人枠を操作せずに下部組織の選手を昇格させることができる(降格させてもウェイバー公示の義務が免除される)ことから、他にもこれまでなかなかチャンスが巡ってこなかった選手たちの姿を見ることができる。東京五輪でその高い守備力が話題になったニック・アレンのように今年中の昇格が確実視されている選手の他にも、ユニークな名前とパワーはないが高い打率と広い守備範囲で昨年AAAで活躍していたミッキー・マクドナルドや、捕手と投手という高い能力を要求されるポジションを経験しながらどちらもチャンスをものにできず30歳になったクリスチャン・ベタンコート(こちらは結果を残してなんとそのまま定着しつつある)のように画質の悪いマイナーリーグの中継でしか観られなかった選手のプレーをきちんとしたカメラワークで眺めることができるだけでもちょっと嬉しい。

上述のバレーラのサヨナラホームランの談話に、ベタンコートから声をかけられたというエピソードがあった。「なんとか四球を選んでお前に回すぞ」と告げられたそうだ。普通、そこは打ってお前に回すだろうに、四球というあたりが打てない勝てないアスレティックスっぽくて切ないのが良かった。そして本当に四球を選んだベタンコートはバレーラに向かって「Vamos! Tu eres el hombre ('Let’s go, you’re the man!')」と叫んだらしい。

アレンやマクドナルドのようなルーキーの初出場は家族が観戦している姿が中継で紹介されるのが通例なのだけれど、クリスチャン・ロープスのような29歳にして初昇格の苦労人の場合は観戦する家族の中に大きなお腹を抱えた妊婦の姿もあったりしてグッとくるものがある。あるいは、大谷に通算100号ホームランを打たれたアダム・オラーのように、極端に打者に有利なAAAパシフィック・コースト・リーグでは脅威的な投球を披露するのにメジャーリーグでは未だその才能を発揮できず、独立リーグまで経験したその苦労を知る家族の観戦するなかで3試合連続でノックアウトされるのは切ないものだ。

そして今日も接戦をものにできず(打てないねえ…)エンジェルズに連敗してしまったアスレティックスであった。

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