ある配管工見習いの失投

黄昏デトロイト・ロック・シティー


2022年のデトロイト・タイガーズはパッとしない一年になるという開幕前の予想を大きく下回る成績で、現時点でMLB全チームの中でも下から2番目の9勝23敗、 得失点差はマイナス42で、もうチームを上げて今年で契約満了につき引退するスーパースター、ミゲル・カブレラの個人成績を讃える他にはモップを噛んで屈辱を耐えるくらいしかすることがない。

そんなデトロイトが属するアメリカンリーグ中地区は従来からさほど競争の激しいリーグではなく、印象ではいつも首位のチームがせいぜい隣の両リーグの三位くらいの成績なので、まあこれがアメリカの両海岸とその間の地域格差というものなのかと切ない気分になるわけだが、そんなデトロイトもチームの総年俸額はリーグ全体のちょうど中程で、それなりに投資もしているのだから、開幕前に競争を諦めたいわゆるrebuild期にあるチームというわけではない。rebuildというのはポッドキャストのことではないので念の為。

タブラ・ラサ


一方、今日の試合相手であるオークランド・アスレティックスはポストシーズン進出を続けた(がワールドシリーズ進出は果たせなかった)この三年間の思い出を胸に今年はオーナーから大幅な人件費の削除が告知され、チームは解体され完全なrebuild期に入った。長年この緑と黄色のクラブを支えた選手たちは次々と予算の潤沢なビッグマーケットのチームへと移籍し、マット・チャップマンのバッティングを除くと羽ばたいていった選手全員が事前の予想を上回るといっていいほどの活躍を見せている。そして、彼らの見返りに獲得した有名無名の若手選手たちはこのチャンスを逃すわけにはいかないとスプリングトレーニングから熾烈な競争を繰り広げた。

投手陣は去年の5人の先発ローテーション投手のうち2人が移籍し、残るは3人となったわけだが、そのうちの1人は去年の開幕前にフィラデルフィアからウェイバー(ある程度の年数を経た選手をマイナーリーグに降格させる前に所属チームは他に獲得を希望するチームがあるか募る義務がある)に出されたところをタダ同然で掠め取った(らイニングイーターとして一年間活躍した)コール・アーヴィンであり、もう一人は途中で怪我で消えた遅咲きルーキーのケイプリーリアンなので、信頼できる実績があるのはフランキー・モンタスただ一人しかいない。そしてブルペンは完全に刷新され、唯一残ったのは先日COVID-19関係の休場から復帰直後に1イニングで5失点したルー・トレヴィーノだけという有様。もうトレヴィーノにはイチローの引退試合で魅せた、衰えは隠せないとはいえあの希代の打ちたがりを見送りの三振に切って取ったカッターのような見事な投球は期待できそうもない。

野手の方はといえばこちらもマリエコンドウが通ったあとのように惨憺たるもので、年俸負担が軽くて済むので優勝する見込みがないチームからシーズン途中でレンタルしてきたスターリング・マルテ(交換要員になったのは素晴らしいボールを投げるけどゲーム中に机を殴って怪我をするというアホぶりも披露したヘスス・ルザルド)とジョシュ・ハリソンというエリートのベテランはもちろん、ドラフトからの生え抜きでいつも内野の両コーナーで見事なキャッチボールを披露していたゴールドグラブ受賞者のチャッピーとオリーの二人のマット(チボ・マットの解散とは関係ない)もFAを控え最も交換価値が高いところで移籍、ついでにリーグでも屈指の死球数を誇る(去年は大谷と揉めてましたね)高出塁率の外野手マーク・カナまで失ってしまった。

試合前…


そんな両チームの試合を早朝からMLB.TVで極東の地から眺めているわけだが、これがまた意外や意外、面白いのである。いや、もちろん煌めくスターたちの人外のようなプレーを期待する向きには地味な試合かもしれない。MVPだらけの運動会みたいなエンジェルズやアストロズとはちょっと違う。アスレティックスはこの10試合で三度の完封負けを喫し、その間怒涛の9連敗まで経験している。14勝19敗のチームにしては悲惨なものだが、しかし冷静に考えると、もし仮にその9試合をほぼ互角に乗り切っていれば十分に上位の成績を残しているはずなのだ。無論これはたらればの話でしかないが、それでも連敗中、1点差の試合が4試合、3点差以内に限れば7試合もあったのだから決して夢物語ではない。

今日はダブルヘッダーを含む5連戦の最終日で、初戦と三戦目を勝利したアスレティックスは昨日の4戦目でこれまでのサッカーのようなロースコアのゲームに飽き飽きしたのか、ルーキーだらけのデトロイトのピッチャーに襲い掛かり序盤で6得点して早々に試合を決めた。投げてはトロントから獲得したほぼ無名の、球速も平均をやや下回る程度、球種もスライダーがやや目立つ程度でありながらなぜか昇格してから好投を続けている謎の投手ザック・ローグが2試合連続の快投を披露し、MLB30チーム中25番目のチーム打率を誇る(われらがアスレティックスは29番)デトロイト打線を7回まで無失点に抑えてチームも9対0の圧勝だった。

ちなみに「マネーボール」でお馴染みの指標となった出塁率だが、オークランド・アスレティックスは現在、MLB最下位である。

序盤


そんな両チームのことなので、今日も地味な投手戦というか打ち損ない合戦みたいになることが十分に予想されたわけだが、まああながち間違いともいえない展開となった。先制したのはオークランド、昨日の第一打席はずっと粘って四球を選びガッツポーズを決めた上に先制のホームを踏んだトニー・ケンプが、今日は裏をかいて初球からバットを振ってヒットを放つと、盗塁と四球の後に続いたジェド・ラウリーの一塁手のミットを弾くギリギリのヒットで今日も先制点を挙げる。そして身体能力が非常に高いがそれをどう活用すればいいのか誰にもわからないまま、投手や捕手という難しいポジションをたらい回しにされてどこでも少しも開花せず30歳を迎えた勿体無い界のパナマ代表、クリスチャン・ベタンコートがいつもながらのヘッドが遅れ気味のぎこちないスイングで続く。初回に3得点とは豪勢な。しかし投手ゴロエラーで出塁し三塁にまで進んだ去年のステロイド使用の発覚による出場停止が明けたばかりのラモン・ロレアーノがベタンコートの盗塁につられて離塁したところを偽投した相手キャッチャーに牽制されアウトになりこの文のように長い初回が終了した。

ロレアーノがその強肩っぷりから「レイザー・ラモーン」という聞き覚えのあるあだ名で呼ばれていることはもっと日本にも知られていいのではないか。

超人トニー


このシリーズでもスーパープレーを何度も披露しているトニー・ケンプが2020年にアスレティックスと契約した時、彼がレギュラーシーズンのロースターに残ると予想するのは少し難しかった。当時はケンプと同じくマイナーリーグに降格させるにはウェイバーを通す必要があった同じポジションのオプション切れの選手が何人かいて、ジョシュ・ドナルドソン(翌年MVPを獲得)の放出時に獲得した選手の中では白眉と目されていたフランクリン・バレートや、同じくソニー・グレイのトレードで獲得したホルヘ・マテオという将来を嘱望された若手がチャンスを掴むだろうというのが大方の予想だったのだ。それが、ヒューストンやシカゴでいまいち伸び悩んでいたのが嘘のように今ではアスレティックスを代表する選手となっているのだから、一体あのビリー・ビーン率いるA'sのフロントオフィスは彼の何を評価していたのか機会があればぜひ聞いてみたいものだ。しかも、結局マテオこそ低迷するボルティモアでなんとか出場機会を得ているとはいえその成績は降格間違いなしのレベル、バレートに至ってはどこにいるかもわからないのだから、その慧眼はなんで獲得する前に発揮できなかったの?大したものである。

打ち合い、股関節


試合はこの後、両チームとも投手が踏ん張り3−0のまま中盤へと進む。先に捕まったのはオークランドの先発ケイプリーリアン、去年は試合の途中で必ずストライクが入らなくなりそのまま自滅するかかろうじて生還するかのどちらかだったのだが、流石にそこまで危うくはないものの、ヒットの後で四球を出してから長打を浴びるという悪いパターンで失点してしまった。続く打者はあまりの地味さに一時はオークランドに在籍していたこともある、実は長打もそこそこ出塁率は高く三振は少なく2016年には守備をするだけでチームが21失点すると評された自宅勤務がお似合いの野手だったのが嘘のように2020年にはゴールドグラブの候補にさえなったロビー・グロスマン、こちらもきっちりゴロを打って走者を返して試合は1点差に。そして去年、高地や砂漠ばかりで試合するためあまりにボールがよく飛ぶので打者も投手も成績が全く当てにならないことで知られるAAAのパシフィックコーストリーグにて脅威の2点台の防御率を維持したことで出場機会を得たものの、昇格後は悪くないけど良くもない成績を残す微妙な中継ぎのドミンゴ・アセヴェドがミゲル・カブレラの引退土産にきっちり長打を食らって3−3の同点に。

そういえばケイプリーリアンは面白い投げ方をする投手で、右投手にしては投球時に体が左側に開くのだけれど、世の中にはこういう動きの方がスムーズになる股関節のつくりの人がいるらしく、NPBだと西勇輝なんかも割とそんな感じなのだが、必ずしも矯正しなくていい動きらしい。どちらもいいボールを投げてるんだしね。

学歴


試合が決まったのは終盤の8回だった。そろそろ延長戦のことも考えないといけないかなという頃合いだったが、同点の8回のデトロイトのマウンドを託されたのはマイケル・ファルマー、2011年に高卒ながらメッツから1巡目で指名されてプロ入り、デトロイトでメジャーに昇格してからは2016年に新人王、2017年にはオールスターに選ばれたものの、翌年から故障に悩まされ、2019年のトミー・ジョン手術からいまだに完全復活を遂げることができない投手である。とはいえ同点の8回のマウンドを任されるほどの投球はここまでちゃんと披露できている。WHIP(1イニングで走者を出す平均数)は1.05で、四球が多い割には被打率が低い(ええ、BABIPも.171ですけど)からきっと運がいいだけかもしれないけれど、ボール自体は悪くないように見える。だが、好調のケンプとノイジーを簡単に打ち取ったものの、次打者に38歳のベテラン、ジェド・ラウリーを迎えたところでペースを乱し、四球を与えてしまう。

ラウリーというのは不思議な選手で、アスレティックスに在籍すると活躍し、評価が上がってアスレティックスが給料を払えなくて有望な若手と交換で放出するとその先では怪我や不調で低迷し、また給料が安くなるとアスレティックスが契約するという繰り返しで、去年で三度目のアスレティックス移籍を果たしている。スタンフォード出身で、同級生には1型糖尿病を抱えながらも統計学の修士号を取得してMLB入りし、オークランド在籍時はその果敢な守備から「スーパー・サム」とあだ名されていたサム・ファルドがいる。ファルドは引退してからは選手に統計の意味や活用方法を教えるコーチを経てフィラデルフィア・フィリーズのジェネラルマネージャーになった。ラウリーもオールスターに選ばれた際に「自分で自分のOPSを計算することができる選手です!」と紹介されていたが(長打率と出塁率を足すだけなので誰でもできると思う)、勉強が好きな人には居心地がいいチームなのだろうか。

面白い選手といえば、このデトロイトの投手ファルマーもWikipediaのページの下の方に妙なことが書かれている。オフシーズンには彼は配管工のアシスタントとして働いているらしい。野球のことを考えないで尚且つアクティブでいられる時間が貴重だから、ということだが、年間数億円を稼ぐ人のキャリアプランなんて案外とそんなものなのかもしれない。

そんな二人の対決は四球に終わり、簡単に幕を閉じそうだった8回に少しだけ緊張感が漂い始めた。次打者はセス・ブラウン、ラウリーやファルマーのようなドラフト1巡目で指名されるエリートではなく、指名順位は19位という苦労人だ。直球に強く当たれば打球は遠くまで飛ぶが、守備シフトの影響もあり打率は低く、とにかく長打さえ警戒しておけばなんとかなりそうな打者でもある。当然、そんなことはバッテリーも百も承知で、どの球種も徹底してアウトローへ投げ込んでくる。いずれのボールも全盛期の球速こそないものの、しっかりと意図を感じさせる内容でつけいる隙がない。フルカウントになり、投球と同時にスタートを切るラウリー。今度もきっちりアウトローに構えるキャッチャー。そしてファルマーの投球は…

今時のメジャーリーガーにとって、92mph(148.06kmh)の直球を打ち返すのはそんなに難しいことではない。特にそれが狙いを逸れて真ん中やや内よりに来た、これといって変化もしない棒球であればなおさらだ。とはいえ、これ以外の投球はみんなアウトローに決まっていたわけで、魔がさしたような一球を見逃さず一度で仕留めてみせた打者のブラウンの方を褒めるべきか。打球は右中間スタンドに吸い込まれ、試合は5ー3とオークランド・アスレティックスが再びリードした。

ルール5ピンポン


実績の乏しいアスレティックスのブルペンだが、確かに年間を通じて活躍したことはないけれど投げるボール自体は非常に評価が高く、怪我ばかりしているが重要な場面での登板実績はある2016年のドラフト1位のA.J.パクが7、8回をきっちり抑え、最終回のマウンドに立ったのはダニー・ヒメネス。トロントが2015年のインターナショナルドラフトで22歳の時にドミニカから獲得し、以降ルール5ドラフト(規定の年数を迎えて出場機会がない選手は獲得を希望するチームに移籍することができる。移籍先チームはドラフトのステータスに合わせてその選手を上位のリーグに年間を通じて在籍させる義務があり、降格させる場合は他チームに移籍するためのウェイバーにかけられた後、以前の所属チームに返還される)で2回ほど他チームに移籍しては戻ってくるのを繰り返し、オークランドに在籍するのは今年が2回目という、期待はされているが機会は得られてこなかった投手だ。正直ちゃんと観たことはなかったが、糸を引くような真っ直ぐと本人はスライダーと話しているらしいが縦方向に大きく変化するカーブが非常に効果的で、28歳なのにまだ新人王の資格がある(つまりそれほど出場機会がなかった)とは到底思われない投球を披露している。2アウトからフラフラとファールテリトリーに打ち上げられた打球を追いかけてセス・ブラウンを追い抜いたトニー・ケンプがスライディングしながら捕球してゲームは終了。開幕からMLB第一位のエラー数を誇る守備はこのシリーズ中なんと一度もエラーを記録することがなかった。

次はいよいよ同リーグのライバルで好調のエンジェルズ4連戦だ。大谷の登板予定はない。そういえばCOVID-19の前にちょうどオークランドでジャパニーズヘリテッジデーという催しがある時期にエンジェルズとの試合を観に行けそうだったのだけれど、きっと大谷が投げるだろうと期待していたが例によって何もかもが中止となってしまった。その前の年はイタリアンヘリテッジデーに観戦したので球場のアナウンスが英語とイタリア語併用になったり、唯一のイタリア系だったピスコッティが大声援を浴びたりしていた。来年はどうかな。

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