闇落ちオタクにならないために
皆さんどうもこんにちは。
最近休みの日が別の休みの時の限界稼働のツケを精算する日になっています。
これがサー(※30歳)の洗礼か……。
タイトルの通り、闇落ちオタクにならないための話を5つくらいに分けてしたいと思っています。
あっ、ヘッダーは俺のTwitterの下書きです。
こういう風になるなよ、という話です。
闇落ちオタク?
反転アンチとかと同じ部類の、何かを楽しめず呪詛を垂れ流すのみのオタクになってしまった状態、とここでは定義します。
コレが極まり過ぎて全方位に悪口と悪意を振りまき、罵詈雑言でしかコミュニケーションを取れなくなることを呪霊化とか呼んでます。
俺です。こうはなるなよ。
その1:好きと正誤は別けような
何某が好き、何某が嫌い、これは誰しも感じることだと思います。
それと同時に、法規や倫理的に正しい、正しくないこともあります。
その作品の事が好きでも、公式が擁護しようもないことをやらかしたり、キャストが爆発炎上したり、あまつさえ降板交代なんかすることまでを正当化はできないと思います。
どんなにムカつく野郎がいても、そいつの言うことの正誤にその好悪の感情は基本的には関係ないはずです。
ここまで前置きした上で、じゃあ正しいことに従うだけか?というとそうじゃありません。
どれだけ間違ってても、やらかしてても、それでも自分がコンテンツやキャラを好きで居るかどうかは自分で決めることです。
やめるも結構、続けるも結構。
物事に正誤は当然ありますが、その結果を以て自分の好悪を左右させる必要も逆に言えばありません。
「いやでもぉ、自分は好きなんでぇ」を言えるようにしていきましょう。
勿論それによってある程度つらい事が起きるのも覚悟はしましょう。お覚悟を。
それと同時に、気に入らないことは気に入らない!って気持ちの範囲で吐き出していく方が良いと思います。
ガス抜きしないとぶっ壊れちゃいますんでね。いやまぁガチの犯罪行為やらかした人をそれまでと同じに好きでいられるか、とかはういうのはやめといた方がいいっすよ。
その2:だからって好きの気持ちは道具じゃないぞ
さっきの話からの連続気味にはなりますが、
自分の好きの気持ちはあくまでも自分の気持ちです。
それを以て他人を罰そうとしたり、攻撃したり罵ったりすることはしない方が当然いいです。
あなたがコンテンツなりを好きなのは、あくまでもあなたが好きなのであって、それが他者にまで何かしらの威力を持つことはありません。
あくまでも自分自身からのアプローチ、ないし感情として、自分の範囲に収まるものであるはずです。
あくまで気持ちであることには留意しましょう。
ちなみによく言うお気持ち表明どうこうの話じゃないから勘違いしないでね。
ああいうのはやりたかったらやったらいいと僕は思ってるので。
その3:あくまでも推すのも見るのもお前だぞ
これはつまり、他人の視点や意見に自分の思考を任せるなということです。宙船の歌詞みたいですね。
作品の感想を言うのも、その前段階として作品を咀嚼するのも自分自身。
自分の目で見て、耳で聞いて、頭で考えて、その上で感想を持つべきです。
他人と比べて卑屈になることもないし、それっぽい解釈や考察をダラダラと述べる方が偉いなんてことは勿論ないですし、それを以てあなた自身の鑑賞体験の方が劣っているなんてことはあり得ません。
自分で持った感想というのは大事にしましょう。
その上で、自分と他人の感想に差異が生まれることは当然あります。
ただ、それは単純に違うだけです。
多い少ないも勿論ありますが、それは個人の視点の数が違うだけです。
そういう人達を形だけ真似ても何の意味もありませんし、作品を見ることが作業化します。
他人の感想を見る行為はまず巧拙あるにせよ自分の感想を先に持っておくべきです。
その4:ありのままを見なさい!
これは自分自身の経験、とは少し違いますが。
作品にしろ他人にしろ「こうなるだろう」「こういう展開かなぁ」「こういう人かなぁ」みたいな予想ってすると思います。
それ自体が悪いわけではありません。
そこから飛躍して「こうならないとおかしい」「こういう展開の方が面白い」とかを無秩序に言い始めるとヤバいよ、って話です。
人間には誰しも先入観があります。
ありとあらゆる物事を見る際には自己の脳を介するためにバイアス(偏見)がかかり、100%フラットに物事を見るということは不可能です。
ただ、作品を見たりライブを見たりするとき、予想や考察をデカくし過ぎると「自分の予想通りにならないもの」を見続けることになります。
プラスに働けばいいですが、マイナスに働いた場合「自分の期待に沿わないもの」を延々見続けることになり、そこには「期待を裏切られた」という被害者感情が残ります。
被害者感情を剥き出しにして怒り狂う人間がどれほど浅ましく、どれほど醜いかは皆さん心当たりがあることと思います。
そこにその1で述べたような正誤の分別がつかないまま陥れば、「俺の方が正しいのにどうしてそうならないんだ、おかしい」という身勝手の極意みたいな存在が爆誕します。
そうなったらほぼほぼ元には戻れません。
ありのまま見る、描かれたことをその通りに掘り下げて見る、そういう姿勢はまず持っておいた方が健全かな、と思いますね。
その5:自分は自分、一人の人間
これは別になにか大きいことを言おうとか、そういう事じゃなく、かつその3とも重複する内容にはなりますが、
結局のところ何をやるにしても何を見るにしても、自分という一人の人間を通してのことになるはずです。
勿論大枠としてやらかした一個人が界隈代表みたいな扱いになることもあるので、そういう意識はあった方がいいんですが、どういう事をしても基本的には一人の枠に収まるはずです。
どういう感情を持つにしても、それはあなた自身のことです。
それを誤った行動に移さない限りは咎められることはありませんし、他者に強要したり不用意に伝播させなければ自分の中で消化されていくことです。
人間の情動なんて色んな物事に左右されますし、そこに絶対的な正誤はありません。
そこからどういう行動に起こすか、どういう発露のしかたになるか、そこから正誤のラインが生まれるだけです。
そういうラインでの一定の割り切りというか、諦めにも近い気持ちは自分相手にも他人相手にも持っておく方が気が楽かな、って思います。
最後に
深夜テンションでの一発書きにつき、かなり観念的でふわっとした事を書いてきたと思います。
今まで書いてきたことを全部踏み外して、
他人の悪意を模倣し、
感想の序列を設け、
自分じゃない自分の感情を出力し、
世間的な風潮をそのまま自己の発言として出力してきた結果、自分みたいなオタクが生まれました。
今はもう推しとか好きなものとか、反転アンチ化したり自分から切ったりして結構無くなってしまい、あんまり残んなくなってきました。
こうなると思ってたより空虚でつれぇな、みたいになることもまぁ、あります。
こういうゴミを追加生産しないために、この文章が少しでも役に立てればなと思います。
ではまた。