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外国の永住権を持つということ

自身の心の備忘録を残す。

米国永住権が抽選で当たったのは1991年。
1回目の語学留学から日本に戻り、
2年後、できれば大学に入りたいなーと思って
渡米したのが1991年。
永住権抽選には一人何通も応募できた年。
周りは100通とか1000通とか出していた。
私は、1通と思っていたら、
気の毒に思った友人が10通コピーして出してくれていたらしい。
当たったのは私だけだった。

何十枚もある最終の取得申請書。
当選者のほとんどは弁護士を通して作成していた。
その費用ももったいないと、
自分で適当にサインをして出したのに、
永住権が送られてきた、1992年。

10年1回の更新と知り、
まぁ、10年後は更新しないだろうなーと思った。
10年間。
折角、合法的に働けるんだからと仕事を始めた。
旅行会社を経て、日本語ラジオ局のアナウンサー、
その後、独立起業をした。

会社を起ち上げたばかり、
夢と希望と野心と!
1回目の更新、2002年。

これからの10年は絶対ここでやる!
でも、次の更新時はどこにいるかわからないなーと思った。
 
起業しての10年間は、まさにギラギラ。
たくさんの出会いと経験と。
中国進出も考えた。
何度か中国本土に渡り、人脈を作ったりもした。
結局、進出しなかったが。
 
その間に、母が他界し、
東日本大震災があり、
その年に父も他界、みなしごになった。
2回目の更新、2012年。


フリーペーパーの広告雑誌事業の先を考え始めた。
あと10年はここにいるが、
その先は日本に戻るだろうなーと思った。

東京オリンピックが決まり、
日本語以外でのコミュニケーション事業経験が、
日本で役に立てるかも!と、
二拠点を考え始めた。

2018年、二拠点事業展開をはじめた。
2019年、コロナで事業が凍結。
2020年、東京オリンピック延期。
2021年、無観客オリンピック開催。

3回目の更新、2022年。


コロナ禍での日米政府の対応を体験していた。
ロシアのウクライナ侵攻での日米政府の対応の違いを見ていた。
軍備や核、隣国の問題。
極端な円安。
自分なりにたくさんのことを考えた。
 
せっかく持っている権利を
今は、手放すべきではないと思った。

そして10年後、4回目の更新の事を思った。
都合50年のアメリカ在住となる。
今は、4回目も更新するかもしれない・・・
または、アメリカ国籍を取るかもしれないと
思った。

そう思ったのは、はじめてだ。
改めて、こうしてまとめると、
いつも、10年先のことは全く考えられていない。
でも目の前の時間は、
自分なりにとてつもなく必死に生きているようだ。
きっと私は、これからもそうやって生きていくんだろうな。
たくさんの方々に、教え導いていただき、支えて頂きながら。
 
だから、これからの10年。
少しでもご恩を返せるよう、
感謝の気持ちを忘れぬよう、
生きていこうと思う。
 
そして、2032年。
選択肢を持っていることに感謝しながら、
どう考えるか、どう決めるか。
ちょっと楽しみでもある。