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官僚を目指していた私が、旅館の開業を決意するまでの話


はじめに

コロナウイルスが社会に与えた影響は言うに及ばず、私個人に与えた影響もとても大きかったです。なにせ、官僚を目指していたのが、いつのまにか旅館の経営をすることになったのですから。

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はじめまして、今年の春大学を卒業した、佐々木涼悟(23)と申します。
いきなりですが、私は今年の7月から静岡・浜名湖のほとりにある、
やどや・あみ住というこじんまりとした旅館を開業することにしました。

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現在は開業の手続きのため、消防や保健所に通いながら、旅館のHPの製作などをおこなっている状況です。

私は旅館経営者の跡取りでもなんでもなく、ましてや今年の4月まで厚労省の官僚となるべく勉強に励んでいました。
そんな私がなぜ旅館を経営することにしたのかと、その過程で考えたことをまとめてみたいと思います。

大学入学から厚労省の官僚を目指すまで

大学入学とともに、神奈川にある祖母の家に居候させてもらっていました。その祖母が体調を崩し、救急車で運ばれたことがきっかけで介護業界に興味を持ちはじめました。

介護施設でアルバイトをし始め、大学3年次からは、KAIGO LEADERS という介護・福祉・医療従事者の方が多く集まるコミュニティに所属していました。

知見を深めていくにつれ、介護業界が介護保険制度にガチガチに縛られていること、そして現状を変えるためには根本の制度を見直していく必要がある、ということがおぼろげながら分かってきました。

では、制度を変えるにはどうしたらよいか。
真っ先に頭に浮かんだのが厚生労働省でした。

違和感の正体

「厚労省に入ろう。」

勉強のスタートが周りよりも遅かったため、大学4年次は就活をせず、公務員の予備校に入り、勉強に集中しました。

学習は順調に進んでいきました。ただそれと比例して、政府や行政のコロナウイルスへの対応に対して、疑心が強くなっていきました。

「なんでそんな政策を出すんだろう。」
「それってどうなの?」

と、大変生意気ながら思うことが多々ありました。

同時に、私の当初の思いもゆらぎました。私の何倍も優秀な方たちが文字通り死ぬ気で働いた結果として、今の政策があることも分かっていましたから。

「政策を考えるなんて、大それ過ぎていたのかもしれない...」

試験の直前期にも関わらず、徐々に勉強に身が入らなくなっていきました。


そうだ、地元で旅館の経営をしよう

話はさかのぼって学生時代。
私は高校卒業まで静岡県浜松市の西の外れにある、舞阪という港町で暮らしてきました。

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(キャンプマンガ『ゆるキャン』の作中にも登場していましたので、そちらで知っている方もいらっしゃるかもしれません)

舞阪は東海道五十三次の宿場町の1つとして、昔から多くの人で賑わっておりました。ただここ最近は高齢化が急速に進行し、後継者不足も深刻化していました。


そして、コロナウイルスの蔓延がその状況にとどめをさす形となり、歴史ある旅館やホテルが次々と廃業・休業に追い込まれていきました。

大学のオンライン授業化に伴い、コロナ禍を舞阪で過ごしていましたが、自分が慣れ親しんだ場から観光という一つの産業が消滅する危機に瀕し、骨抜きになっていく過程をみるのは、いたたまれないものがありました。

「なにか自分にできることはないか。」

公務員の勉強と並行して、できることをずっと探していました。
そんなとき、耳に入ってきたのが、地元の旅館の経営の話でした。

この旅館の歴史は古く、多くの観光客や地元の方に愛されていましたが、運営者が亡くなったあとはコロナの影響もあり廃業したままとなっていました。

今回、この旅館を再開させることとなりました。

迷いと、決断。

もちろん、この決定をするまでに葛藤はありました。
というか、今も不安はあります。
経験といっても大学時代にホテルで数ヶ月アルバイトをした程度で、経営の経験はもちろん皆無。

また、コロナが完全に収束していないタイミングであることも、かなり悩みました。介護や医療の現場で日夜奮闘されている方の行為を無下にしてしまうのではないかという恐怖があったからです。

そういった不安要素を一つ一つ出していき、一ヶ月悩みに悩んだ結果として出した結論は、

やる

でした。

国内でもワクチン接種への期待感は高まっているものの、具体的な終息時期の見通しは、依然として立っていません。今後の状況によってはさらに廃業する観光施設は拡大すると考えています。

廃業という決断をするということは、コロナが収束したあとも廃業したままということです。いくら補助金を配ったとして、いくら魅力的にPRをしたとして、肝心の産業が消滅してしまえば、後の祭りです。

さらに、コロナが収束したあとも高齢化はさらに進行し、様々な面で大変な時期は続くと思います。

「不景気だから」
「コロナだから」
「高齢化進んでるから」

といったネガティブな言葉に足をすくわれずに、この状況をチャンスに捉え、できることを一つ一つやっていきたいと思います。


最後に

今年に入り、KAIGO LEADERSでお世話になっている秋本可愛さんが発起人となり、介護・福祉従事者をケアするプロジェクトを立ち上げました。

多くの賛同者の方によって、今この瞬間困っておられる方に支援の手を差し伸べる姿は率直にかっこよかったです。

私も、生まれ育った街の魅力が完全に消滅する前に、今この瞬間の観光産業を支える一助となりたいと思います。

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P.S. 開業予定の旅館はかなりよいロケーションにあるので、コロナが落ち着いたらぜひ遊びに来て下さい笑🙇‍♂️

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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