三文掌編③「ドーナツと時計と向う脛」

 この手もいつかは灰になるのだ。

 そう思うと繋いでいる小さな掌の湿った体温を今ここで感じていることは、とてつもない神秘に思えた。

 わたしは母となって娘の手を握っているが、もう娘として母の手は握れない。

 

 長く患っていたから覚悟は出来ていた。いや、出来ているつもりだった。  あちこち動き回るようになった娘の世話と日に日に弱っていく母の間で、わたしはその日に向かってこころの隙間で覚悟のようなものを持とうとしていた。子より親が先に逝くのは自然の流れだし母の年齢もあった。自分では母の死というものを理解しているつもりでいた。そのときが来たら受け止められると思っていた。でも実際、わたしは受け止めきれずにいた。

 自分を産んでくれたその人がこの世からいなくなるということは何て心許ないことなのだろう、そう思っていつもより強く娘を抱きしめた。ただ抱きしめるだけでいつものことがあまり上手く出来なくなった。

 さっきまでもそうだった。火葬が済むまでの待ち時間、娘がうろうろとしているのをいつもならいさめるか膝に乗せて何か一緒に出来る遊びをするのだが、それもせずに温いお茶をぼんやりと呑んでいた。いつもは口うるさい夫の叔母もそんなわたしを咎めるでもなく、娘の相手をしてくれていた。

 普段は夏休みとお正月くらいにしか会わないような人たちが集まったので興奮してしまった娘は、きゃっきゃっとはしゃいで狭い部屋のなかを駆けまわった。あまりの落ち着きのなさに見かねた叔母は、これ美味しいよといって小さい一口ドーナツを待合室に置いてあったお菓子入れから取り出して渡した。娘はそのざらめのついたドーナツを気に入ったようで口の周りに砂糖の粒をたくさんつけながら満足そうにいくつも頬張った。その顔を見て、今までずっと忘れていた子どもの頃のことを思い出していた。

 子どものときに母が作ってくれたドーナツ。どうやって作っていたのかわからないが、粉から混ぜて捏ねて家で揚げてくれていた。でもそれが全然甘くなくてぱさぱさしていて、あまり美味しくないのだ。それでも母がお菓子を作ってくれるという、そのこと自体がうれしくてわたしは牛乳と一緒によくそれを食べた。小学校に上がる頃には母も働きに出るようになって忙しくしていたから、そうするとあれは五、六才のときのことだったのか。

 もったりとしたドーナツの重さが口のなかに広がったような気がしてはっと息を呑むと、骨となった母とそこに立てかけてある微笑む写真の母と、同時に目が合った。その写真を見つめながらわたしのなかの母は一体いくつなのだろうとふと思う。元気に動き回る母の姿を思い出そうとするともうすでにぼんやりとしていて、写真のその人が自分の母親なのだということに確信を持てなくなる。

 おかあさん、と娘が呼ぶ。一緒に握った長い箸を骨にあて、娘は困ったようにわたしを見上げていた。安心させようと少し微笑んで身を寄せようとしたとき、娘が乗っているステンレスの踏み台の角に向う脛をしたたか打ちつけた。すすり泣きと壁にかかった大きな時計の秒針だけが響く高い天井に、ぶつけて飛んだ鈍い音はすぐに吸い込まれていった。そうしてまたもとの静かな音だけが残った。秒針の一定なリズムは妙に無慈悲に響いて聞こえた。


 各人への挨拶を終え娘の姿を探していると、火葬場の入口に生えている草花をしゃがんで見ていた。向かって行くと、あ、と声を上げ足のところを指差した。あおくなってる。

 一足しか持っていなかった黒のストッキングが破れてしまい、濃い肌色のストッキングをはいていた。指差すところを見ると、脛の辺りにぼんやりとした青色が透けて見えゆるやかに膨らんでいた。そのことに今、初めて気が付いた。いわれてみると微かに痛みを覚えはじめた。

 さっき骨を拾っているときに踏み台にぶつけたのだ。あのときは全然痛くなかったのに、気付いてしまうとじいんとした痛みが向う脛に走っていく。

 この鈍い痛みに消えてほしくないと思う。消えてしまったら何だかかなしいと思う。でもどうしてかなしいのかはわからない。それから、これは仕方のないかなしみだと思う。

 ため息を吐くと娘がきゅっと手を握ってきた。あおたん、あおたん、といいながらいたずらっぽく笑う。その顔を見ていると安心出来た。

 今度ドーナツ作ってあげようか、と思いつきでわたしはいう。娘は目を見開いてきらきらさせ、ドーナツ!と叫ぶようにいって繋いだ手をぶんぶんと振り上げた。

 この子は甘くないぱさぱさのドーナツを食べてくれるだろうか、そう思いながら娘に負けないように繋いだ手を大きく振って歩き出す。


7さんより頂きました「ドーナツと時計と向う脛」で書きました。

原稿用紙6枚也。

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