かわいい・きれい・かっこいい問題(けっきょくは愛されたいのだ)
自問自答ファッションで定番の「かわいい・きれい・かっこいい」ワークをやっていなかったなと思ってやってみます
自分に「かわいい」「きれい」「かっこいい」って言ってあげたらどう感じるのか
ひとから言われたらどう感じるのか、想像してみようっていうやつです
1 「かわいい」
自分で自分に「かわいい」って言ってみると:
ってけっこう否定的な気分…
自分の中では「かわいい」=「甘ったれ」みたいなイメージがあるのかも
他人に対して「かわいいひとだなー!」って思う時は「かわいい」=「さわやかな愛らしさ」って感じに思うんだけど
なんで自分に言う時はそんな辛口評価なのか…
そして、自分=「かわいい」っていうのに違和感はないようだ
「そんなことないでしょ」系の否定は浮かんでこなかった
ひとから「かわいい」って言われると:
…自信過剰なやつですみません
正直、まわりの男性からよく言われるから
たぶん性格とか行動を指していると思われる
年齢よりかなり性格も行動も幼い
社会的な立場とか仕事ぶりと比較して、プライベートでの子どもっぽさとかがかわいくうつるらしい
女友達からはどっちかというと「かわいい」より「きれい」と言われる
2 「きれい」
自分で自分に「きれい」って言ってみると:
わたしはどうやら「きれい」=「生まれつきの造形」と思っているようです
きめ細やかな肌の遺伝子、整った顔のパーツとバランス、細長い手足…
「きれい」=「自分には一生手に入らない生まれつきの造形」かなぁ
ひとから「きれい」って言われると:
あれおかしいな….
ちょっと待って…自分で言うときには「きれいは生まれつき」設定なのに、ひとから言われると「きれいはがんばった結果」ってなるのか?!
なんということでしょう…!
どっちなの!どっちなのよ!!
3 「かっこいい」
自分で自分に「かっこいい」って言ってみると
「かっこいい」はおもに見た目より行動に対しての言葉かなと思う
かっこよく生きたい
ひとから「かっこいい」って言われると
かっこよくありたい
ひとから言ってもらえたらうれしい
でも反面、「かっこいい」=「自立しているからひとりでやっていけそう」って思っているので、誰からも守ってもらえないかも…っていう寂しさがでてくる
なんだかんだ、やはり「守ってもらいたい」っていう気持ちがあるのかな
「守ってもらう」というよりは「だいじにされたい」
たまには心配されたい(心配というより不安にさせてるのかもしれないけど)
あぁわたしはひとから「目が離せない」と思われたいかも
すぐふらふらどこかへ行って好きなことして遊んじゃうし、すぐにしょんぼりして座り込んだりしちゃうけど、そんなわたしも見守っていてほしい
「あのひと、いつも新しくておもしろいことしてるから目が離せない」って言われたい
芸術方面のアーティストとか、いつも実験的で新しい試みしているひとに向けられる世間の期待に満ちた眼差しとかうらやましいと思う
自由にのびのびと新しい遊びに集中して、それで世界がその価値に気付いてくれたら言うことないよね
けっきょくのところ、わたしは目立ちたがりなのかもしれません
それならそれで、目立つポジションにいるひとが着る服を選んでもいいのかも
むしろ行動でどっちにしろ目立つ(理想)から、服で目立たなくてもいいのかも…ってなんとなく思った
いつも行動や表情が明るくて華やかなのはわたしの美点だと思う
余談
愛という言葉は英語のLOVEを訳すために福沢諭吉が作ったと聞きました
それ以前に、キリシタンのかたがたが聖書の翻訳のためにLOVEにあてた単語が「御大切」
わたしはこの訳がとても好きです
愛するってどういうこと?っていう問いへの答えだと思っていて、ただ「大切」だけでなくて「御」がつくことでなんかほんとにだいじで大切っていう思いが、愛するってことなんだなーと思っています
今回の自問自答で「だいじにされたい」「見守られたい」という感情があるのに気付いたのですが、それってたぶん「愛されたい」に通じるのかなぁと思ったり
たぶん、まわりのひとにはだいじにされていると思うので、そこに気付いて愛を返していけたらいいなぁと思いました
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