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歌謡曲からROCKまでの道のり 【#音楽の履歴書】

 先日読んだ、ささいな笹さんの「音楽の履歴書」が面白く、とても興味深かったので、私も参加してみます。
ちょっと前半は、昭和感が満載ですが、まあ、そこは目をつむってください。

幼小のとき

 父親が歌謡曲が好きで、家でよく流れていました。
ピンキーとキラーズ、山本リンダ、小林旭、山口百恵、内山田洋とクール・ファイブなど。

父親は、庭で大音量でかけながら、草むしりや日曜大工をしていました。
けっこう近所迷惑だったと思います。

ただ、田舎で、隣の家までけっこう距離があったので、当時は何も言われませんでした。
もしくは、父親がパンチパーマだったから(普通のサラリーマンでした)何も言われなかったのかもしれません。

 とにかく、日常的に耳にしていたので、自然と覚え、後にカラオケで
歌っていると、年配の方たちに喜ばれました。

小学生のとき

 小学校に入り、この頃はアイドル全盛期。
松田聖子、中森明菜、小泉今日子らアイドル達を「ベストテン」や「夜のヒットスタジオ」で見ていました。
カセットデッキで歌番組を直接録音し、聞いていました。
時計の音、ドアの音まで録音されてしまうのは、当時の「あるある」です。

 私が好きだったのは、中森明菜。特に「セカンド・ラブ」が大好きでした。

 高学年になり、番組「夕焼けニャンニャン」が始まって、おニャン子クラブにどハマりします。
高井麻巳子さんが好きで、うしろゆびさされ組の歌を友達とよく歌ってました。
雑誌「明星」の付録に歌詞本がついていて、それを見ながら「バナナの涙」を教室で歌っていたのを思い出しました。

中学生のとき

 中学に入ると、私の町にもTSUTAYAができ、CDがレンタルできるようになります。
CDをカセットへ録音して、デッキで音楽を聞いていました。
この頃よく聞いていたのは、渡辺美里
「センチメンタルカンガルー」や「恋したっていいじゃない」を聞きながら、友達と長電話をして、よく親に怒られてました。
西武球場(西武ドーム)のコンサート、行ってみたかったな。

 ほどなくして、バンドブーム到来。
少しやんちゃな友達は、BOØWYBUCK-TICKをよく聞いてました。

私は、たまたま行った高校の文化祭で、軽音部のライブを見て影響され、
JITTERIN'JINN・JUN SKY WALKER(S)・THE BLUE HEARTS・
プリンセスプリンセス
を聞き始めます。

 また、番組「夢で逢えたら」がきっかけで、ユニコーンを知り、ユニコーンが載っていた雑誌「PATi・PATi 」を買っていました。
そこに文通コーナーがあり、「ユニコーン・レピッシュ好きな人、文通しませんか?」に応募。
高校生のお姉さんと文通した良き思い出があります。

あと、友達が永井真理子が好きで、影響されてよく聞いていました。
先日、ファーストサマーウイカのラジオ番組にナヲちゃんが出演したとき、「ZUTTO」を歌っていて、懐かしかったです。
同世代なので、選曲がツボなんですよね。

高校生のとき

 高校に入り、部活動で外出する機会が多くなって、ウォークマンで音楽を聞くようになります。

この頃、ドラマがきっかけでDREAMS COME TRUE と出会います。
きゅんきゅん片思いしてたときなので、恋愛の歌詞を勝手に自分と重ねて、陶酔していました。

 同じ部活の友達が聞いていた、大江千里・遊佐未森・KANはカセットテープをダビングしてもらい、こちらもよく聞いていました。

専門学生のとき

 実習中に知ったMr.Childrenは、アルバム「Atomic Heart」がきっかけでした。
ここに収録されている「雨のち晴れ」の歌詞に「もうちょっと もうちょっと 頑張ってみるから~」というフレーズがあります。
この歌詞のおかげで、毎日のレポート&実習を乗り越えられたとおおげさではなく、思っています。
このことは、#ミスチルプレイリストをさらし合おうにも書いています。
ここからずっと聞き続けているので、聞いている年数が一番長いバンドです。

社会人(前半)

 
 社会人になってからは、車通勤だったので、ラジオをよく聞いていて、
そこで気になった曲をレンタルしてました。
この頃によく聞いていたのは、スピッツ・JUDY AND MARY・Cocco
・My Little Lover・小沢健二・ゆず
です。


 あと、CDショップに行き、店員さんおすすめPOPを見て、バンドを知ることもありました。
フィッシュマンズ・サニーディサービスはそれがきっかけで知ったバンドです。

 2000年の夏休み、友達から「音楽フェスにUAが出るから一緒に見に行かない?」と誘われました。
アメリカ旅行の翌日だったけど、スピッツもイエモンも出るっていうので、二つ返事でオーケーしました。
当日、茨城のひたちなか市がこんなに遠いんだと、初めて知りました。

 会場に着くともう始まっていて、NUMBER GIRLが演奏中でした。
アーティストをけっこう近くで見ることができ、ドキドキ。
ただ、雨も降ってきて、何の装備も持っていない私は、すぐに限界がやってきました。
時差ぼけもあり、友達には申し訳ないけど、先に帰らせてもらうことにしました。

 が、結局、台風のため、フェスは中止。
友達は一番見たかったUAを見ることなく、家路に着きました。
電車の冷房が、濡れた身体をキンキンに冷やしてくれて、とにかく寒かったのを覚えています。

その数年後に、ひたちなかへ毎年通うなんて、当時は思ってもみませんでした。

社会人(後半)

 ROCK IN JAPAN FESTIVALとCOUNTDOWN JAPANに毎年行くようになり、フェスに出演しているバンドを中心に聞くようになります。

くるり・ASIAN KUNG-FU GENERATION・GOING UNDER GROUND
BEAT CRUSADERS・フジファブリック・音速ライン・Base Ball Bear・
サンボマスター・9mm Parabellum Bullet・チャットモンチー・
ストレイテナー・曽我部恵一BAND・SPECIAL OTHERS・RADWIMPS

10-FEET・dustbox・HAWAIIAN6・Northern19

一番、音楽を聞いていたときで、ライブハウスにもよく足を運んでいたときです。
ライブに行くと、もれなくグッズも買っていたので、バンドTシャツやタオルがそのまま実家に残っています。あれ、どうにかしなくては。

現在

 今は音楽を聞く時間も限られているので、雑多に聞くことはなくなりました。
Mr.Children・星野源・ Coldplayをよく聞いています。

 赤子育児に煮詰まっていたとき、「SUN」をラジオで聞いて、久々に身体を揺らしながら、哺乳瓶を洗いました。
曲を聞いたときに、鬱々としていたのが、ぱあっと明るい気持ちになれました。
このことは、チャレンジしてみたにも書きました。

それ以降、すっかり源クラとなりました。

悔やまれるのが、COUNTDOWN JAPANでSAKEROCKを見るチャンスがあったのに、ちゃんと見なかったんですよね。
後ろのほうで友達と話しながら、ぼんやり聞いていたので、これは本当に悔やまれます。

 この記事を書くにあたって、久々にmixiの日記を読み返してみました。
なんか恥ずかしい内容だった。擬音が多い。
あ、でも、当時のフェスのタイムテーブルやどんなライブハウスに行っていたのか、思い出せてよかったです。

長々と書きましたが、まだまだ書けそう。
ささいな笹さん、楽しいハッシュタグをありがとうございました。

(おしまい)

貴重な時間を使って、最後まで読んで 頂き、ありがとうございます。 よかったら、また覗きに来てくださいね。