YAMAHAのFG200Dとステッカー

アコースティックギターの後ろに貼っていたたくさんのステッカーをほとんど剥がした。友達のバンド、憧れたバンド、自分のバンドのも。歌い始めの頃は、ライブの前にステッカーを見て勇気をもらったり、ステッカーが見えるようにわざと後ろ向きにギタースタンドに立てたりもしていた。最近は、なんだかごちゃごちゃしていてみっともなく感じていた。
きっと何年か前の僕なら、僕がしたこの行為をすごく悲しく思うだろうけど、そんなことはないよ。ステッカーをみて、いつかのことを思い出すことはもうなくなる。忘れられないことだけ、覚えていればそれでいい。あんまり思い出さなくなるだけで、きっといつかまた思い出される日が来る。最初に貼ったステッカーがいちばん頑固に貼りついてた。だいじなのは今がどうか。

昔の話。僕の使っているYAMAHAのアコースティックギターは、FG200D。今から8年前、高校1年生の夏、札幌東区役所の近く、ゼットという中古楽器屋で買った。ゼットにはこのときと合わせて2回しか行ったことがないけれど、一階にはかなりの本数のアコースティックギターとクラシックギターがあって、木のにおいがしたのを覚えている。二階はエレキギターとエフェクター、それと楽器を調整するのはスペースがあった。今は中古楽器はたぶん扱っていなくて、バーみたいな感じになっている、らしい。
この店には中学のひとつ上の友達が連れて行ってくれて、そういえば自転車で行ったなあ。アコギはやっぱりYAMAHAがいいよと言われるままに、たしか3本ほど弾き比べた。コードは2つくらいしか弾けないし何もわからなかったけれども、一番安いものはやっぱり安い感じの音、その中で一番高いのは大きくていい音がして、とてもおどろいた。選んだのはその中間の1万円で売られていたFG200D。これでもじゅうぶんいい音だよって、友達は言ってくれた。
この頃、僕はまだ始めたばかりのベースをゴリゴリ弾いていたので、この2年後ぐらいにギターをちゃんと弾くように、弾けるようになる。そうなればなるほど、ギターがいい音で鳴るようになった。これは気のせいじゃないと思ってる。FG200Dはどちらかというと安いモデルだし、部品のつくりも正直安っぽい。だけど、本当によく、音が鳴る。よほどのギターじゃないかぎり、自分のギターの音にはかなわないと思ってる。とってもいい買い物だったな。今となっては、弾いた中で一番高いのギターはなんだったのか気になる。次に買うなら僕は赤ラベルがほしい、いつか。

僕はベースを弾いていた。中3の高校受験が終わったらベースをはじめるつもりだった。それだけを楽しみに雪解けを待つ僕に、すでにベースを弾いていた中学の同級生トモチカから情報が入った。(彼のことは話せば長くなるな…)琴似の玉光堂という楽器屋が年明けに閉店セールをするという。どんなもんなのか何度か様子を見に出掛けた。楽器の数は次第に減り、残ったものは値下げに値下げがされていく。雪が降り空が暗い2月3日、僕はお年玉を握りしめてトモチカと玉光堂琴似店にいた。
帰る頃には太陽が出て雪景色がとてもまぶしかった、のは記憶の捏造だと思うけれど、とうとう僕はアイバニーズの黒いジャズベースの初心者セットをフライングで買ってしまった。はじめて楽器を買ったことに胸を高鳴らせながらも、普通の顔で帰宅、ベースを部屋の死角になる場所に隠した。ドキドキした。母さんにはすぐばれて怒られて兄ちゃんには白い目で見られ、父さんは何も言わなかった。高校にはしっかり合格し、入部した軽音部で爆弾ジョニーのメンバーと出会うことになる(この話も長くなるからまた今度に)。
話が逸れ続けてしまうけれど、ベースを弾いていた僕は、ギターのコードのことも知っておきたいなとか、単純に6本の弦を上から下にストロークするのは気持ちいいだろうなとか、そんなふうにギターに興味を持っていた。いや、僕には中学生の終わりから好きだった娘がいて、隣のクラスのその娘は歌うのが好きだから僕が横でギターを弾いてみたかった。恥ずかしいけどそれが一番の理由だったな。夢を語ったり仲良しだったけどたぶんその娘には好きな人がいたし最初からずっと友達以上にはなれない感じだった。ぼくは月間歌謡曲を買って、その娘がすきな曲のコードとにらめっこした。2回ぐらいだけ秋の発寒川で制服のまま堤防に座って練習した。別の高校に通っていたこともあるし、冬の終わりころにはすっかり連絡をとらなくなってしまった。僕はあの娘がどんな感情でいたのか、今ならなんとなく想像できる。自分の気持ちに正直なだけで、本当に相手の心を思うことができなかったな。

高校2年生の終わり頃、同級生のバンド爆弾ジョニーは札幌のライブハウスで月に何本もライブをしていた。僕はベースを弾いていたけれど、悶々としていた。友達だったから見に行っていたライブが、好きな歌を聴きに行く、に変わった。僕は、自分はいったいなにをしてるんだろうと思い、僕も歌を作って歌おうと思った。出番を待っていたYAMAHAのFG200Dは、ようやく本当の声を出しはじめた。

高校3年生になり、7月の学校祭が終わった次の日に、生まれてはじめて路上ライブをした。狸小路2丁目。この日のことは忘れられない。終電も逃した。9月には、初めてのライブを札幌LOGでやった。ひとつだけ憧れのバンドの曲をカバーしようと思ったけどぜんぶ自分の曲にした。大学進学に向かう僕は、またしても受験生の年に、自分の衝動を閉じ込められなくなり、ギターを弾きまくり、自分の歌をどんどんつくった。大学に進学するひと月前に、何者ナンダカというバンドを結成した。ライブハウスで、たくさんの人に出会っていく。ステッカーはその証みたいなものだと思う。僕自身はゆっくりでも確実に、どんどん塗り替えられていく。その度にステッカーを貼っていたら、ギターが重くなっていつか背負えなくなっちゃう。それに、こげ茶色の背中はすごくかっこいいんだ。

だいじなのは今がどうか。なら。


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