緑のにおい

仕事あがり、自転車降りて、階段あがり、シャワーあがり、ベランダにて。咲いて枯れてまたあたらしく咲くクチナシを眺めたりにおいをかいだりしながらいつもの第3級ビールを飲む。ずっと使っている薄張りの背の低いグラス。このガラスで飲むのとアルミ缶に口をつけて飲むとじゃあまるでちがう。デヴィッドボウイの聴いたことのないアルバムが部屋では鳴っている。

僕はひとつ失って、それでもこの部屋にはたくさんの好きなものがある。友達はぼくに言ってくれた、おまえには音楽があるよ。そうだな。好きなものやことや、僕の些細だけれど大切なこだわりがいくつもある。そして僕には愛すべき友たちがいる。ハイライトをまた買ってしまっても、いいんだよって甘やかしてくれたりする。

大人になるにつれて、僕は自分のごきげんを自然にとれるようになり、こわいものが減った。失うことはあの頃の僕には絶望だった。こわいから、はじめから覚悟をしているのかもしれない。だけどそれは傷つく勇気がないということ。はじめから、はんぶんあきらめていれば傷つくことはないんだ。それは自分より相手に優しくいられることでもあるはずだし、否定せずに理解しようとすることでもある。そうすることで僕は、誰かに怒ったり誰かを嫌いになったりすることがなくなった。でも時々、するどい友人には、それはちがうんじゃないのと言われたりする。たしかにそのとき僕は言い返せない。僕の強みは僕の弱さであるということだ。本当の気持ちはいつもこわい。本当のことを言うのはこわい。かなしくなるのはいやだ。この感覚は僕だけがわかればじゅうぶん。ものごとはいつも表裏一体でしょう。誠実さも正義も汚いもきれいも。君にとって君は正しく僕にとっては僕が正しい。僕はだれかの心を動かすことができるかな。

今日は乾いた夏みたいな天気だった。あまり外気には触れられなかったけれど。自転車にのるときはここぞとばかりにマスクを首元へやって、みどりのにおいを嗅ぐ。たまらなくいい気になる。草木がよろこぶにおいなんだと今のところは解釈してる。今日の気温で、またいつもとちがう青くさいにおいがしていた。ここ最近、外のにおいをかぐことと停車しているバイクを見つけて観察することを楽しみに生きている。

去年の今ごろ、いろんな公園をわたり歩いた。がくあじさいがきれいな道をわざと通って帰った。道がぐねぐねで1本早く曲がるとえらく遠まわりになるのに、いつも近道をさがそうと冒険した大和町。たくさんお参りに寄った八幡通りの神社の盆踊り、今年は行ってみたいな。夏らしいこと、無事にできたらいいね。これからも、どんなことだってできるんだ。やるならね。梅雨が来るまでの短い季節を僕は嗅げるだけ嗅ぐつもり。


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