好きなバンドの一部になるという嘘みたいな出来事


2020年冬、僕のレテパシーズでベースを弾くことになりました。書きたいことが多すぎて困りましたが、思う存分に書いてみます。2012年から記憶をたどっていきますので、長くなります。(僕は札幌出身、2016年から東京で暮らしています)。レテパのホームページに僕についての記事があるのでぜひそちらもご覧ください。

さきに、先日僕がTwitterに投稿した文章を引用しておきます。
「札幌でバンドを始めたての頃、LIVE AT MOTIONを聴きながらスタジオミルクに通っていた18歳の僕はこの未来は想像もしませんでした。ずっと大好きなバンドで自分が演奏する、こんな血が騒ぐことなかなかないです。今までのレテパに最大の敬愛をこめてハローグッバイファックユー。北の風。」


______



2012年春、札幌の高校を卒業した僕は初めて自分のバンド(何者ナンダカ)を組んだ。最初の頃はいつも北20条のスタジオミルクで練習していた。ある日ドラムの太朗が、タワレコで見つけたCDを貸してくれた。僕のレテパシーズ「LIVE AT MOTION」500円で35曲入ってる2枚組のライブ盤。東京の新宿のライブハウスで演奏されている歌の中には、岩見沢、月形、空知、札幌、など北海道の地名がいくつも出てきた。景色や空気の質感や登場する人物の表情などが鮮やかに浮かんでくる歌に僕はとても引きこまれた。すぐに自分でCDを買いに行き、何度も聴くようになった。人生の歴代再生ランキングをつくったなら、間違いなく上位に入ってくるアルバム。


2012年の秋、僕は歌詞に出てきた161倉庫に初めて出ることに。(余談ですがそのイベントの企画者のとしこさんは、2017年にグッナイ小形を僕に紹介してくれた人です)
先輩(奥山京)から、マスターのKC(御曼けゑ志)さんの話はいろいろと聞いていた。どういう人なんだろう?とそれなりに警戒しながら、僕のレテパシーズについて聞いてみた。「あ〜古宮なあ…!」記憶を一気に巻き戻しながら懐かしそうな顔をしてた。古宮大志は札幌に住んでた頃161によく出てたこと、何年も前に東京に行ったことを話してくれた。とにかくその日、KCさんはなんとなく僕を気に入ってくれたようだったし、僕も161倉庫が好きになった。

2013年6月に僕は20歳になり、何者ナンダカのメンバーはみんなレテパが好きだったので初企画で札幌にレテパシーズを呼んだ。ホームページからメールをして、ひろしさんと電話で話をした。企画の打ち合わせをしながら、気になってた歌詞や161のことを聞いたらエピソードを快く話してくれた。
ライブ会場は札幌mole。ちょうどアディさんがドラムとして入ってすぐの頃だった。ハローグッバイファックユーを新曲として演奏していた。(LIVE AT MOTIONの時のドラムの、にたないけん氏と僕は2015年に知り合う。その冬レテパ二度目の来札のとき、ひろしさんから「友達で元レテパドラマーの人が札幌でライブしたいって言ってて一緒に行ってもいいかな?」と電話があり、その人がにたないけんだった。LIVE AT MOTIONは誰かに貸したきり帰って来なくなり、メンバーの名前は覚えていなかったのでとても驚いた。一緒にライブしてみたいと思っていたので嬉しかった。)

2013年9月、東京にライブをしに行く機会がありメンバーの日野くんと僕は、ひろしさんの家に泊めてもらった。連れて行ってもらった近所のオムライスが美味い中華料理屋には今でもよく行っているし、このとき初めて会ったユキコさんはルック商店街に行ってみたら。と行き方を教えてくれた。のちにこのあたりに自分が住むなんて僕は想像もしなかった。
何者ナンダカというバンドはこの2013年の秋で辞めることに決めた。新しいバンドで歌いたくなったから。ハウアユース結成。

2015年5月、毎年出ていた新宿JAMのJAMFESでレテパシーズを見た。新体制の演奏があまりにもよくて衝撃を受ける。バンドってこれじゃんという、あの感じだ。ライブ直後その熱い感想をすぐ伝えに行きひさしぶりの再会。僕のバンド・ハウアユースは好調だったが、メンバーが辞めてしまうことになり自暴自棄になってた僕をひろしさんとユキコさんは優しく励ましてくれた。このゴールデンウィークの間に本当に色々な出来事や出会いがあり、僕は上京することを決めた。

2015年12月、ハウアユースの最後の企画でレテパシーズと161倉庫で共演。翌日はヤハタ企画として、古宮大志ソロ、にたないけん、ひろしさん旧知のヌルマユ、ローグのマスター長津さん、奥山京、堀木光太郎で札幌LOGで演奏。ひろしさんの母校が161なら、僕の母校はローグで、ひろしさんも札幌在住の頃はすすきの時代のローグに出ていたので、この二日間は本当にやれて良かった。札幌にまたライブしに行けたらいいな。

2016年2月 上京。偶然が重なりひろしさんとはご近所になり、よく家に行ったり銭湯に行ったりするようになる。自分のバンド組みたいけどどうしようとか、恋人と別れたとか、好きな人ができたとか、バイクの免許がほしいとか、ひろしさんとユキコさんにはたくさん話を聞いてもらったし背中を押してもらった。正直でいること、誠実であること、妥協しないこと、なんとか自分を通せているのはふたりのお陰でもある。

2017年11月20日 レテパ4thにロックンロールⅡ というケンカのときの歌がある。僕もこの現場にいた。ひろしさんは怒っていたけど、それはちがうってことを何度も伝えようとしてた。あいつらには無駄だった。悔しくて腹が立って僕はボロボロに涙を出しながら怒った。薗田さんがずばっと鋭い言葉を言ってくれてかっこよかった。数時間が経って落ち着いた頃、僕は小太りの男に言いたいことを言った。謝られたけど、一生許さない。そのあと何人かでひろしさんの家に集まった時間はとても穏やかだった。

2020年春 古宮家の引っ越し(あまり手伝えずすいません) 相変わらず近所だし、最近また顔を出すことが増えた。レテパのこういう計画があるよって話にいつもわくわくしながらファンとしての意見をたまに求められたりもしていた。この一年というか半年のあいだに、ひろしさんの考えやスタンスはがらりと変わってきてる。こんないい音源を発表するなら、どうにかしてたくさん聴いてもらいたいって。

昔は、昼前から一緒にOKワインとか飲んでたけど、ひろしさんはずいぶん前に酒をやめた。でも話し方も温かさも鋭さも変わらない。僕にいつも酒飲む?って言ってくれる。最近は曲がどんどんできるんだよって、聴かせてくれた卓録音源がめっちゃよかった。そんな感じなので、家に行くとつい長居してしまう。



________

僕にとって今どきこんなにドキドキしたり新作を心待ちにできるロックバンドって、レテパぐらいです。ライブ見たいなと思ってたら、自分がライブすることになるなんてね。僕だからできることをやります。もうすでにめっちゃたのしい。ライブ、おたのしみに。










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?