2018年

1月の年越しは、野方の船戸荘で迎えた。大晦日の晩、ラーメン屋の閉店作業を30分早く終わらせると時計は23:45。寛大の家をマップで調べて自転車をすっとばす。ひとりで年を越すのはいやだとすっとばす。寛大が船戸荘のあの階段の2階から手を振ってくれた23:59。駆け上がる階段を間違えて登り直してお邪魔します。小形とまさよしとおにぎりくんと寛大の幼なじみの女の子がいてたしか鍋を囲んでいるところだった。あいさつする間も無く日付は変わった。2018年に僕は滑り込んだのか。2017年を滑り抜けたのか。初対面の人もいながらも楽しい夜を過ごした。こたつにいろんな方面から足をつっこんで朝は早めに目覚めるも、誰も起き上がれず昼前にようやく家を出て高円寺の氷川神社へ初詣に行った。きれいに晴れていたな。おみくじの中身は忘れちゃったな。1月の最初の週末、札幌へライブのために戻った。SAKE祭はやっぱりよかった。とてもみじめな思いをした。歌いながらあんな気持ちになるなんて。何も為さない自分やそれまでの悔しい気持ちが覆い被さるように僕を小さくつぶした。僕に強い言葉をぶつけるのはいい友だからこそ。だからこそ僕は情けない自分を恥じた。理想と自分とにはものすごく大きな隔たりがあったのをいよいよ見るしかなくなった。ここに戻ってきてもいいのじゃないかと心変わりをどこかで期待していたんだ本当は。だけどここにはもう二度と戻らないぞと思った。空港を歩く荷物がやけに重く感じて飛行機に乗った。が、帰って数日で僕は途端に思い立ち、この部屋を出ないかと元恋人と猫に伝えた。勝手を言ってしまったなと思う。そのときの僕がやるべきことはどう考えても札幌でやるほうがよかった。東京にはとても居たかったけれど、そう思うならばまたこの街に住むだけのことだろう。この頃はよく夜中に映画を見た。

2月。住んでいた部屋は空っぽになり、無音の部屋には話し声が足音が響いた。少し先に春を匂わす陽射しが部屋を決めたときに戻ったみたいな気にさせた。なにかがはじまることには変わりはないんだ。一緒に暮らしたふたりで七ツ森へ行った。いい時間だった。ひとり部屋に戻ってぽろんと鳴らしたギターの音がやけに響いて涙が止まらなくなりながら歌った。3Cという部屋番号の名前の歌ができていた。僕はひとりになって家もなくなった。東京にはあと1週間残って毎日働く。小形の家、寛大と諒の家、ひろしさんの家、肉彦くんの家に泊めてもらったりした。みんなわざとらしくなくただ優しかった。あみさんと2人で飲んだ。吉岡さんとも阿佐ヶ谷で飲んだ。同郷のそうさんとこばしくんとペリカン時代に行った。ひろしさんたちが送別会をひらいてくれて楽しかった。東京には僕が思うよりもずっとすばらしい友たちが居たんだなと今更気づいてとても帰りたくなくなった。締め作業して翌朝一の勤務の夜には事務所に無断でこっそり泊まったりもした。店長も同僚もみんな素敵な人で別れは惜しかった。最後の夜は高円寺で歌った。みんないた。まさもひろたちもいてみんなで送別会をしてくれた。小形と寛大と高円寺で朝まで飲んだ。ギターが二本あるから寛大が空港までついてきてくれた。扉をあければ のジャケットはこの日に寛大が撮ってくれた写真だ。ふたりで移動中にいい話をしたのをよく覚えてる。飛行機が何故か欠航してちょっと高級な便で帰った。帰る才能なのか。2月17日は、ちょうど2年前に上京した日だった。

3月。荷ほどきをするには、実家の部屋に残されたいらないものを捨てる必要があった。捨てる勇気はかなり身につけていたがあまりにも物が多すぎて帰ってきて1ヶ月ぐらいでようやく部屋は完成した。机の位置を変えたり壁の張り物をすっきりさせたりした。そしてレコードを聴けるようになるまでには試練がたくさんあった。フルアルバムの計画を練り、パラディーゾ 、グッドナイトなど作りかけの歌もできはじめ、ライブも多すぎないくらいにやり、とりあえずのアルバイトも始めた。末には東京で2本ライブをした。帰ってもすぐ東京に行く予定があったのはなんだかよかった。家がどこなのかよくわからなくなる不思議があった。本を読み始めた。

4月。髪の毛を短く切った。かなり気分は変わった。だけど波には乗れず。はじめたばかりのスープカレー屋の仕事はすぐにやめてしまった。長年働いたセイコーマートに週に3,4出るだけという、自分の時間が莫大にある期間に突入する。レコーディングをすすめようと決めるもアルバムの在り方が定まらず難航。仕事探しも停滞。数年ぶりにローグで共演した数少ない歳下の友達吉江とうれしい意気投合。遊んだり一緒に働いたりするようになる。

5月。タツヤさんから声がかり即興的なサポートをすると思いきや僕がタツヤさんの新曲たちの大半を歌うことになりハウアブルーズとしてライブをした。ボンドさんがドラムで僕とタツヤさんがダブルでエレキギターボーカルだった。バンドで歌う久しぶりの感覚に血が騒いだ。自分の歌では得られない気持ち良さを知った。夏に近づくにつれて楽しみはひとつずつ増えていった。5月末に偶然目にしたミュージックビデオに僕は撃ち抜かれてしまい、ずいぶんハートを掴まれた。路面電車に乗って、マイジェネレーションの2曲ができた。 ヒロキとサヤカさんとレコード館へ行った。

6月。赤と青ふたりでクラブゲットーに出演。赤と青4人で初ライブ。中島公園でさっぽろまつりのテキ屋を手伝った。なかなかたのしかった。23日、25歳になったときなにしてただろうと写真を見ていたら前夜に狸小路で歌ってそのまま歳をとったらしい。誕生日の日は吉江と遊んでたみたい。漂流歌劇団の練習しながらふたりで発寒川でたくさん歌った日だ。7月のでかいライブに向けてCDを出すことに。フルアルバム案をあたためて冷ましすぎた。いっそのことミニアルバムに。それはどうやら功を奏し…

7月。佐古さんと高田拓実さんが来札。佐古さんとの共演がまさか札幌で叶うとは。佐古さんと拓実さんとその友人の方と小樽までドライブに同行させてもらった。ビートレコードで佐古さんが見つけてくれたローザのサンプル盤を買った。
井乃頭蓄音団スリーデイズ。奥山漂流歌劇団5人編成のひとりとして参加。最終日は前座で歌えたし、いのちくのみんなに褒めてもらえたりもした。
ハツキタ夏まつりに参加。燃える炎天下の中で強風に吹かれてトラックのステージで歌った。野外ライブ、最高。地元で地元の人前で歌えたのは初めてのことだった。
最高の日に歌うのが続いて、知らない自分が過去の自分を軽々飛び越えていった。
7月の終わりには数日東京へ遊びにいった。見たいライブがあったから。少ない荷物でたくさん遊んだ。

8月。ライジングサン。信じがたい大雨。一生忘れないだろうサニーデイ・サービスのライブ。3年ぶりのライジングサンってほんとにたのしいな。毎年行きたいよ。夏はすぐ終わる。家族で新十津川に泊まったのもけっこう最高だった。

9月。北海道に大きな地震があった。余震も長く続いた。地震の少ない北海道にもなにが起こるかわからない。みんながたくさんそういうことを考えたと思う。よく会う友達に会うとほっとした。

10月。赤と青で大阪、一人で京都ネガポジでライブ。石指さんのライブも見に行った。京都の路上で寝落ちして六曜社のすてきなモーニング。そのまま鴨川へ行くと歌ができた。今年2枚目のアルバムに向けレコーディングを開始。

11月。奥山漂流歌劇団で東京、いのちくの企画。翌日ソロでひかりのうまで企画。どちらもいいゆうべだった。やりたかった企画をやれたこと、いい日をつくりいい演奏ができたこと、これこそが僕の生きることだ。来年はできるだけたくさん企画をやりたいな。

12月。2年ぶり2度目のワンマン。2部構成で23曲。またワンマンやりたい、そんなワンマンだった。楽しさも難しさもふくめて。来てくれてありがとう。函館は忘れられないな。
ハウアユース 復活。全細胞が歓喜。でも完全な満足はできないのだ。そりゃそうなのだ。だけど3人で演奏できたことはとても素晴らしいことだった。

考え事したり写真や記事やメモを見返しながら書いてたら4時間ぐらい経ってしまっていた。

今年はソロ活動でアルバム2枚作った。企画とワンマンやった。いい日に歌えた。どんどんできることが増えたり、少しずつ上手になるにつれ、演奏するよろこびが増えてきた。音楽そのものになりたいな。できた曲数は少ないけどかなりいい歌が揃ったんじゃないかな。
赤と青、奥山漂流歌劇団、でもたくさんライブした。ソロの本数と同じくらいやってるかもしれない。
赤と青ではみずくみのいい歌たくさんあるのに僕が曲をつけることに苦戦してしまい、年末にようやくひとつできた。赤と青のバンドではボンドさんとまくらが参加して、ライブもいくつかやれた。練習終わってそのまま遊んだり飯食ったりそういうのも楽しかった。エレキギターやアレンジの面でかなり底上げされたし、一音一音がこんなにものを言うのかと知った。
奥山漂流歌劇団では、アコースティックリズムギターを担当。歌とリズムはつよく結びつく。大人数の中でのバランスを考えたコーラスやストロークが磨かれた。ゆっちさん外山くんと一緒に演奏できるのうれしかったし、みんな最高なひとたちだ。京さんにはまたたくさんの人に出会わせてもらったなあ。大勢で演奏するのって楽しい。演奏しててもしてなくても部活みたいだったなあ。
ハウアユースは、莫大な曲数から厳選した曲を限られた時間の中で、つくった。もっともっとの気持ちはあれど、それぞれができることを、やったら自然といい演奏になった。それでいい気がする。はじめて演奏する曲をやれて最高にうれしかった。

この街でやれることはどんどんやろうと欲張って素直に過ごした。退屈な日なんてひとつもなかったんじゃないかな。はずかしながら小さい恋が数えるだけあった。だけど誰ひとりのこともよく知らないまま、ただ勝手に浮かれてゆっくり冷静になっただけだ。人に興味がわくだけで景色が鮮やかになる。顔色もよくなる。僕は恋のセンスがあまりないし、近付かないままがきっとよかったのだ。今年はとくに。今年はそんな年だったかな。

ありがとうね。




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