兄の結婚式

明日は兄の結婚式だ。結婚式というものには小学生の頃以来出たことがないし、じぶんの兄が結婚するということに実感がわかずにいる。これといってなにかが変わるわけでもないけれどね。改めておめでとうって言おうと思う。

僕の兄は3歳上だ。物心ついたころからとても仲が良くて、面倒見のいい兄のうしろをいつもついて歩いていた。トミカやレゴで遊んだり、キャッチボールやサッカーをしたり、ゲームをしたり、あとは寝る前に兄の作ったおかしな作り話を聞くのがすきだった。芸能人やCMの真似事とかもよくしてた。僕はめっぽう、ものまねは下手っぴだ、今でも。兄ちゃんと僕にしかわからない、暗号や言葉がいくつもある。きっと今でも兄も覚えてると思うな。兄は僕が小学生に上がる頃、友達ができるかなとか何かと気にかけてくれた。兄の友達にはよく可愛がってもらった。歳上の人と接することはけっこう得意だったりするのは、これもあるのかな。
兄は足が速くてリレーの選手だった。それに憧れて僕もリレーの選手を目指して、兄と早起きをして裏の川で走って特訓をした。あのときの朝のひんやりした空気とかひそひそ家を出る感じとか、はっきり覚えてる。そのころから日が昇る時間が好きなのかも。僕は足が速くないから、リレーの選手には落選。小学3年生、生まれて初めて悔し泣きをした。
その年、兄は6年生で、児童会の会長をしていた。リーダーシップがあり喋りが得意な兄はとてもかっこよかった。「俊輝の兄ちゃんだ〜」と同級生に言われることが、毎度うっとうしくもありながらなんだかんだで自慢だったのでした。僕もそれを追いかけて児童会の会長になる。(余談ですが、僕の7つ上の代の児童会長は、奥山漂流歌劇団のケイさん。母校が同じで、お世話になった先生にケイさんもよくお世話になっていた。その先生は15年ほど勤めたあと他校へ転勤、2年ほど前に教頭先生として戻ってきた。去年僕が小学生を訪ねる機会があり、ケイさんの話をしたら、先生はよーく覚えていたのでした。本当にいい先生。)

兄が中学生に上がる少し手前から、母親に対しての反抗期がはじまる。そして、非行に走ったこともあった。その頃からは少し兄弟の距離は遠くなる。僕は兄を反面教師にしようと思った。母さんを悲しませてはいけないんだなって。
高校を出て、兄はすぐに就職をした。とても高校時代に頑張っていた姿を知ってる。
兄はいつも、僕の何歩か先にいたので、憧れでもあり、いろんなことを教えてくれる人だった。だから、小学校も中学校も怖いものは少なかったし、兄を知っている先生や先輩にはいつもよくしてもらっていた。兄がいてよかったなあとその頃からよく思っていた。
僕という人格がつくられるにあたり、兄の存在はとても大きく影響していると思う。僕の性格の大半は、兄がいた僕、だからこそのものなんじゃないかなと思う。思想や趣味は、兄と距離が離れてから見つけたものだけれど、根本的な僕らしさのような部分は、気がつよく口数が多くときに理不尽(こういうと欠点ばかりみたいだけどいいところはたくさんある)兄と過ごしたからこそなんだろうな。
兄が社会人になってからは、会話は減ったけど、いい関係でいられている。
お嫁さんは、いい人だ。兄と一緒になる人があんな人で、よかったな。そしてお酒が大好きで、つよい。

ああ、こんなに長く書くつもりなんてなかったのにな。書いているうちに、だんだんと実感が湧いてきた。なんだかんだでとても慕える兄だね。

あした兄ちゃんや父さんや母さんはどんな目をするんだろう。じいちゃんやばあちゃんや留学先から戻ったひとつ下の従兄弟にも会うのは久しぶりだ。美味しいものと美味しいお酒が飲みたいな。できれば僕のことについてはみんなあまり聞かないでくれたらいいな…!

いつかは、結婚式で歌ってみたいなあと思う。
まあそれは、僕がたいせつなひとと結婚するときに、やりましょう。
式場を出るとき、それを今より強く思っているんだろうな。

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