お別れの種類

バイバイという言葉は、僕が子供から少年あるいは青年になってからはずっと使ってこなかった。

またね。と言ってだいたいは手を振った相手の後ろ姿をもう一度見る。しばし見送るか自分が颯爽と進んでいくかはそのとき次第。ありきたりだけど、またね。のほうが好きだ。バイバイとかさよならはもう会えないみたいな気がしてさみしい。

数日前、僕が子供から少年あるいは青年になってから初めて、バイバイと言う別れ言葉を使った。またねって言ったあとに、勢いよくバイバイって言って手を振ってみた。雨上がりで涼しくなった帰り道はやけにしんとしていた。上を向いて帰った。部屋の電気はすぐに消して横になったけどずっとずっと眠れなかった。暗いままギターを弾いたらすぐ歌ができた。これ以上はもう、と思って大好きなお笑いの映像を聴いて気を紛らわせた。気はすぐに紛れた。でもずっとずっと眠れなかった。もうずいぶん前に終わっていたはずの恋愛は、あの言葉によって僕自身の中でもう一度ちゃんと終わった。それができたのはきっととても幸せなことだ。今生の別れだね。元気でいてね、元気でいるよ。君の部屋に明るい光ふりそそげ。

休みの日、はやめに起きて洗濯機をまわして干すまでにいろいろもしくはうとうと。なんだかんだで1時間ぐらい経ってから干す。ここまでは順調。洗い物や散らかった部屋の片付けまでの道のりは遠く、ずっとごろごろしてしまう。何度かギターをかかえ、鳴らしてみる。曲ができそうだったりできなかったりできたりする。夜はどうしよう。一人で飲みに行ってもいい、家で映画を見てもいい。だれかを誘ってもいい、道で歌ってもいい、ただコンビニに行くだけでもいい。ごろごろしたまま終わることもある。スマートフォンでなんでもできてしまうから目が疲れて、小説を読みあぐねる。

仕事終わり、今の時期は18:30前後が夕焼けの絶頂。帰り道の線路にかかる歩道橋に登って缶ビール飲みながらぼーっとしたり、登らずにずっと西を見つめて自転車を漕いで帰る。帰ればいちもくさんに服を脱ぎ、バスタオルをとりつつベランダのクチナシに水をあげる。ずっと給湯器が調子悪くけっきょく水になるのでもう給湯器のコンセントは引っこ抜いたままにしてる。風呂あがりできるだけなにもまとわずに麦とホップを飲みながら、さて今日はなにをしようかと考える。この頃にはもう空は真っ暗になる。歌いに出かけたいような気もするけど大抵気は進まない。音楽を聴けたり、なにかの映像見れたりするときはいい。なんにもしないまま終わっちゃう日も多い。ぼんやり未来について考えたりはする。

毎日こんな感じだ。さすがにこんなのばかりじゃあっという間におっさんになってしまうと思い、todoリスト作ってみたり、今年中にはなんとか発表したい音源の構想を練ったり、などをはじめた。

この、ひとりでいる時間は僕にとってどんなものになるだろう。これからどうやって過ごしてどうなってゆくか。そして誰と会い、話を、だれに出くわすだろう。どうにでもなることだけ、忘れず息をしてたい。

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