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幸福論

2014年ごろから記録を残しているインスタグラムの投稿が3000だったので近況を書いてみることにした。

年末だとかを口実に、欲望のままに過ごして痛い目(主に悪魔の二日酔い)を見たり自分のことが嫌いになりそうになったので、自分を律することをはじめた。

30歳がいよいよ近づいてきて、身体も少しは変わって来ているのかなと思った。なにより、このままでいいのか?まったくよくはないぜという気持ちに支配されていた。けっして不幸ではないがぜんぜん幸せではないなと思った。なにがどうして幸せじゃないのか、なにが悲しいのかと日々考えていたがよくわからなかったし、そんな心持ちでは歌もできず、部屋も散らかる一方だった。恥ずかしいことだけど、何にもない日がかなしく、ひとりの時間がまったく楽しめなかった。 

あまり良くない夢で目覚めることが増えていた。ある朝、目が覚める直前に僕は夢の中で自分の感情と欲望と目標のブレインストーミングをしていた。起き上がってペンを持ったらA4の紙は言葉と線と円でぐちゃぐちゃになった。解決にはならなかったけれど、自分のことが少しわかった。

友人にそんな話をしたら、アランの幸福論が好きだと教えてくれたので古本屋へ行った。幸福論という漠然としたタイトルは、幸せってなにとか思いつめちゃう僕にはぴったりだった。その店で見つけられたのはラッセルの幸福論だった。けれどラッセルから読み始めたのが僕にはとてもよかった。なんでだろうと曇っていたところがみるみるクリアになった。わかっていたつもりだけれど、やっぱりたいしたことじゃなかった。ということがわかった。ほぼ100年前の本なのに、自分にはとてもありがたいことが書かれていた。人間は100年前からはあまり進歩していないのかもしれない。

ひとまず、部屋の中でできる自分の機嫌がよくなることをやってみた。とても大事だとはっきりしたことは、部屋を散らかさず洗い物をためずに米を炊いて味噌汁と一菜を作って食べる。これができるだけで嬉しくなれた。自堕落は敵なのか。

睡眠のリズムを整えて、朝は朝食と夕飯のために煮炊きなどをしてから余裕を持って一駅分歩いて仕事に出る。飲酒は週の半分以下にして煙草も減らしてみる。夜はスマートフォンは伏せて本を読む。本を読んで身体が凝ってきたら呼吸を深くして筋肉を伸ばす。レコードに針を落とすのが億劫にならないように部屋を保つ。

10日ほど、ずいぶん軽やかでいられている。
あくまでも僕にとってはの話だけど結局は心の持ちようだったみたいだ。僕は単純だし、僕の問題も単純だったらしい。別の店で手に入れたアランの幸福論を今読み進めている。この実験をもう少し続けてみよう、できれば習慣にしよう。乱れたらまたやりなおそう。

今日は母の誕生日だった。午前中に電話をかけた。なにか贈ろうと思うよ、と言ったらべつにいいよ、お金ない人に貰ってもねえと言われた。両親は今年還暦だ。やっぱりこのままではいけないにきまっている。

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