かっこよくて、かわいいと思えること

こんにちは、こんばんは、おはようございます。

どうも、お久し振りです。日常と非日常の狭間でひいこら言っている間に、気づいたら秋服ですら肌寒く、冬が迫ってると感じる季節になっていました。時の流れの速さを感じますね。というか秋ってこんなに短かったっけ。。

突然の脱線から始めると秋といえば紅葉!



世情として旅行の賛否とかは一度置いておいて、知らない土地を歩き回るのが好きなのでふらっと一泊二日で旅に出ました。俗世を離れる感覚です。
自分にとっては非日常でも、そこに住んでいる人にとっては日常で、その交わる何かが面白くて不思議だなぁと感じます。こういう話については、今書きかけの物語があるのでいつか書き上げたいですね。


さて、脱線を元に戻して今回のお話。
ほんっとうにありきたりなので、オトナの大半はすでに知ってると思うんです。でも改めて思った事だから書き記しておきたいと思いました。だって、実はまだ心の奥底では認められないでいる今日のあなたにも知ってほしいから。

*かっこいいは作れる
*かわいいは作れる
(注 : 但し、相応の努力と確固たる価値観が必要)

ほらまた根性論!でたよ根性論!そんな声も聞こえてきそうな気がします。耳が痛いです。。
でも努力って言うのはある意味当たり前で、努力をせずにあなたの思うかっこいいとか、理想のかわいいになれるのかって話でもあると思うんです。あなたのかわいいやかっこいいがあなたに近いところにあれば、努力なんて要りません。

例えば体型。こんなの努力以外の何で作るんでしょうか。
例えば服装。これは努力というよりは価値観でしょうか。

天邪鬼なので、誰かにとってかっこいいコトが、とてもダサく見えてしまうことがあります。今年のトレンドをかわいいと思えないことがよくあります。
一時期はセンスというものがわからなくて、誰かのマネをした時期もありました。でもそれは、その誰かがやるからかっこよくて、その誰かが着てるからかわいいものでした。

2、3年ほどで不意に気が付いたんです。あ、これは何か違うな、と。
求めているかっこよさはこういうもんじゃない。半端にどうこうするもんじゃなくて、もっと胸が高鳴るもんだと。かわいいというのは、もっと心躍るものだと。

人間的な価値観は根性論やら協調性が地盤になってるので、周りが良いと言っているトレンドを追いかけたこともあります。いつからか正しいとは限らないトレンドという無形物に振り回される気がしてました。けれど、その地盤に個性という言葉が合わさって、ようやく自分で納得できるようになったという感じです。

センスは良くないけれど、でもかっこいいと思えるし、かわいいと思える。いままでやれなかったことに手を伸ばせる。そんなものを身に纏ったほうが絶対に楽しいし嬉しいし幸せだって。そう思うようになりました。

自分のような人にとってはこれは正しくて、またある人にとっては間違ったことなのでしょう。トレンドや流行りを追い求めることは否定しないです。追える力があるのは、見えないところで確実に努力されているからだし、その努力は称賛すべきものだと思うから。
けれど自分とイコールにはならないって、それだけなんです。


人それぞれ違うから個性だし、同じ服装で並び立たれても怖いし、創造力が失われてしまう。だから、同じじゃなくてもいいんだって。そういうこと。
世間一般で言われているかっこいいやかわいいが、自分にとってかっこよくてかわいいとは限らない。だから、自分のモノサシで測ってかっこいいものや、かわいいと思えるものを大事にすればいいんです。


たとえば、奇抜な色に染めた髪なんかも同じでした。

昔は奇抜な色に染めた髪の人を一概に怖いと思ってました。自分とは相容れないと思っていました。けれど、今は自分が染めていて、かつての相容れない誰かになっています。
考え方が変わることは怖い事でした。けれど行動してみたら簡単でした。想像力が創造したかつての凝り固まった考え方よりも、今の好きなものを好きだと言える自分をかっこいいと思えること。かわいいと思ったことに手を伸ばして、行動したらかわいくなれること。

必要なのは少しの勇気と創造力でした。

かわいいは、かっこいいは作れる。
あなたのなりたいあなたはどんなあなたでしょうか?

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