孤独を恐れるな
情報が溢れるこの現代に流れてくる(特にコロナに関する)ニュースを信じることが出来ない。あれは良い、これはダメ、が言っている人(お医者さん)によって変わると、どれを、誰を信じて良いのか分からなくなる。
また、芸能人やアスリートのニュースの、メディア側の悪意のある切り取り方や報道を見ていると、メディアを信じることが出来なくなる。
きっと私たちが触れている情報は、私たちの何かを操作するために意図的に切り取られたメッセージや内容なんじゃないか、と思うとどんどん猜疑心が強くなる。(もちろん、素敵な記事や信頼出来る記事も沢山ある)
だから自分が(ニュースではない)見たもの、感じたこと、経験したことを信じようと思っているが、それでも上記のような情報にも積極的に触れに行く。それは’まずは知ること’から始めないと、自分の世界も広がっていかないと思うからである。
でも、とにかくビュー数を稼ぎたいがためのタイトルや記事の内容、裏で見えない何かが関係していそうな発言、またそれに対するたくさんのコメントを見ていると、疲れる。そしてその疲れを何かで取り戻そうと、YouTubeやNetflix、ゲーム(やらないけど)などの娯楽に矢印の方向を変える。
すると、ふと気付く。
自分の心の声と向き合うことを忘れている。
自分は今まで、人に相談をしたことが思い出せないくらいその経験が無い。あったとしても大体自分の中で答えは決まっていて、背中を押して欲しいだけ。(背中を押してもらうことは相談では無いですよね?)
結局、自ら考えて決断をしないと意味(納得感)が無い、と生意気にもかなり小さい頃から思っていたし、誰も自分と向き合う方法なんて教えてくれなかった。だから自分なりに自分自身と向き合って来たつもりだったけれど、人に相談をせず自分と向き合えているのかも不透明なまま、私はここまで来た。
日本を飛び出してから、ずっと孤独だった。
こういう言い方をすると、冒頭の内容も含め、凄く暗い奴じゃんと思われるかもしれないが、決してそうでは無い。
日本を飛び出してからサッカーはどんどん楽しくなり、好きになるし、サッカー以外の自分の興味の幅や深さも、どんどん広がっていってるから凄く楽しい。
それでも私は孤独だった。
このnoteを書こうと思ったのも、大好きな大切な友人とのやり取りがきっかけだったのだが、その友人が言っていた言葉が、自分が孤独だった理由を言語化してくれた。
日々のタスクや人間関係、目の前の誘惑に気を取られて自分の声に耳を傾けるのは難しい。その中でも一度立ち止まって自分と向き合う事は、日々目まぐるしい生活をしている周りの人とは違う事をしているから物理的にも精神的にも孤独に感じる。
確かに、SNSを一日に使う時間を10分に制限をしたり、日本を飛び出したことによって、自分の繋がりのあったものや人から物理的に離れたり、本を読んで自分自身と向き合うきっかけを作ったりすると、世の中の流れに逆らっている感覚や、どんどん一人になっていく感覚、孤独を感じていた。
しかし、世の中の流れが常に正解では無いのであれば(正解だったとしても)、それに逆らい孤独を感じることは勇気がいることで、難しいことかもしれないが、必ず意味のあることであるはず。
と考えると、「孤独」とは必ずしも悪い意味ばかりでは無いのでは、と感じ、孤独がどういう状態なのか分からなくなってきたので定義を調べてみた。(知れば知るほどどんどん分からなくなる不思議なループ)
孤独(こどく、英: solitude)とは、精神的なよりどころとなる人や、心の通じあう人などがなく、さびしいこと(Wikipediaより引用)
また、哲学者の三木清さんは『哲学ノート』の中の箴言で、以下のような趣旨のことを言っていたそう。
「孤独は山にはなく、むしろ町にある」
(同じくWikipediaより引用)
この言葉を読んで思い出したのが、一人でシアトルの山を登りに行ったあの日。(お母さんに今までで一番心配をかけて怒られた日としても有名な日)
孤独ではあったが、孤独では無かった。
矛盾しているように聞こえるけれど、この言葉が綺麗に当てはまる様な不思議な感覚が山には隠されている。
それはきっと、自分が居たから。自分と心が通じ合っていたから、そう感じたんだと思う。
これを'もう一人の自分'と訳することも出来るのかもしれないけれど、少し自分が持っているニュアンスと誤差が生まれるような気がする。まだ上手く言葉に出来ないけれど、そんな気がする。
恐らく自分は今後も、人に相談をするということはしないかもしれないけど、自分が自分にどう向き合ってその時どう感じたかを、自分と向き合う孤独な仲間に聞いてもらいたいな、それで救われるなと友人との対話で感じました。
自分と向き合うことは時に辛く、寂しく、孤独で、楽しいと感じることは多くないかもしれない。たまには自分から逃げても良いかもしれないし、誰かに心の空白を埋めてもらっても良い。
でも、自分は絶対逃げない。
だからこれからも孤独を恐れず、少しばかりの優しさと勇気を持って自分と向き合っていこうと思います。そして山を登り続けようと思います。
ダラダラと書いてきて、ただ自分の決心を書いただけの文になりましたが、どこかの、悩んでいる誰かの少しの助けになったら嬉しいです。孤独の喜びになります。
読んで下さった方、ありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?