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成長とは∩探しと変換作業

上記 #にこる図書館 第3回で本の紹介をした文の中で、

どちらのサッカー選手(余白が大きい人)の方が選手として理想的であるか?と置き換えて考えると...

という表現をし、後の細かい説明は別で紹介しますと書きましたが、今回はその細かい説明を、昨年の期限付き移籍での経験を軸に説明していきたいと思います。

先に言っておきます。長くなります。

成長するとは結局どういう変化なのか

いきなり話は変わりますが、皆さんは「成長」と聞いてどういう状態、変化をイメージしますか?
※ここでは身長が伸びるという成長ではなく(その成長も追い求めたいが)、サッカー選手として、ビジネスパーソンとしてという職業においての成長とします。

私が今まで持っていた成長の簡単なイメージはこんな感じ。

成長_image

成長とは階段を一つずつ上っていくようなものであるというイメージを持っていました。時には段差が低い階段だったり、時には段差が高い階段だったり、成長とは矢印が右肩上がりになることだと感じていました。今思うと、成長という言葉を理解していると思っていただけであって、解像度が低い抽象的な理解に留まっていたなと気付かれます。

そんな理解の浅かった自分が国内外全タイトル獲得を果たしたベレーザを出てアメリカに行き、そして現在スウェーデンでプレーをしているのは「成長したかった」から。

具体的にどういう成長をしたかったのか?を紐解くために、まず「どうしたら成長したと言えるのか」を明確にしてみます。

①「自分ができることが(→)もっとできるようになる」という変化
②「自分ができないことが(→)できるようになる」という変化

私は成長というものが上記の2つの変化に集約されるのではないかと考え、自分の中の成長の定義として仮設定しました。


成長とは∩探しと変換作業

サッカーというスポーツは「勝利」を目指すという明確な組織(チーム)としての目的があるので、成長の定義を自分の中で整理し次に考えるべきは「自分がしたい成長はチームが求めていることと重なるのか?」ということだと思います。
(年齢がもっと上がると「選手としての完成度がどれだけ高いか?」が評価されるので、「自分の完成度がどのチームの完成度を上げることに繋げられるか」を考えるべきだと思いますが、現時点での自分軸で話を進めます。)

自分が成長したいこと、成長したくないこと(自分の特性に合っていないこと)、それを組織が求めているのか、求めていないのか。それを自分はやりたいと思うのか、思わないのか。色々な条件で考えた結果、下記のような図で自分の頭の中を整理することが出来ました。

成長_base

「A:チームが求めること」とは、いわゆるチームがどういうサッカーをして勝ちに行くのかという戦術(枠組み)であり、その上で自分が担うポジションでの具体的な役割にあたるもの。

「B:自分がやりたいこと」とは、頭の中のイメージ。例えば、メッシのすーーーんごいゴールを見て’自分がやりたい!’と思うプレー。

「C:自分ができること」とは、ピッチ内外で自分ができること。

なんとなくイメージはつきますでしょうか?

次に行きます。

この3つの要素で自分のプレーを整理したときに、スウェーデンでの期限付き移籍期間(3ヶ月)で結果を残すためにはまず、自分のパワーの向きを「[A]:チームが求めること」だけに向けるべきだと考えました。

それは、シーズンがスタートしてから半年以上の積み上げがあるチームに、強烈な異物(自分)が入るからこそ、歩み寄らなければお互いが生きる道はない→組織として機能しない=チームが勝てなくなる、と感じたからでした。そしてここで歩み寄るべきは異国から飛んできた自分であり、チームが求めることをとにかく理解し、それが例え自分がやりたいことでなかったとしても、自分ができることでなかったとしても、体現する(プレーする)べきだと感じたので、チームが求めることに全力を注ぎました。

要素[A]に全力を注ぐということがどういうことなのか、もう少し具体的に説明します。

成長_A

上記を見てもらうと分かるとおり、要素[A]に全力を注いでいるとは言いつつも「A∩B」「A∩C」そして「A∩B∩C」という重なりの部分の要素[B]と[C]、自分のやりたいこと、できることにもパワーを使っていることが分かると思います。

つまり、要素[A]に全力を注ぐということは、

「自分というプレーヤーが提示できるものと、このチームの求める何とが∩(共通)なのか」を自分自身が見つけること、チームメイトに示すこと、そして信頼を得ること。(濃い赤で塗られた「A∩B」「A∩C」「A∩B∩C」の部分のお話)

そして、A − { (A∩B), (A∩C), (A∩B∩C) } 、すなわち、自分が必ずしもやりたいと思っていることでなく、かつ自分ができない、チームが求めていること(薄い赤で塗られた部分)を[B],[C]に変換すること。(つまり、できないことをできるように、そしてできるようになってやりたいと思えるようになること)

この2つが、最初に私が仮設定した成長の定義を、'期限付き移籍'という状況に落とし込んだときに具体となった成長の定義でした。

と整理をして考えたとき、スウェーデンでの3つの円は、成長においてとても好ましい距離感にあったと言えます。それが何故なのか、ベレーザとアメリカでの円の位置関係と比較してみてみましょう。

B∩Cに固執しすぎて失敗したアメリカ

成長_beleza

ベレーザでは、チームが求めること、自分がやりたいこと、自分ができることの重なり部分が大きく、選手としてプレーをしていて一番’楽しい’状態が作れていました。そして日本、アジアでは、この3つの円の合計の大きさ(総体)ではなく、共通部分の大きさ、そしてその密度の高さで結果を残していたような感覚がありました。

しかし(この状態の選手が集まる組織ベレーザに世界のトップと闘う機会があり、仮に世界でも結果を残せていたら、この仮説、理論は覆されますが)、ベレーザのような共通高範囲・高密度状態を実現できない場に自分が身を置いたとき(代表でプレーをするとき)、そしてW杯、オリンピックなど世界を相手にして闘ったとき、自分の円は脆く壊れやすいもので、世界では勝てないと感じました。

それは、3つの円の総体が日本という枠組みでしか形成されておらず、自分の知らないものと触れあい、混じり合いながら形成されたものでは無かったためです。そして海外の強豪国と比較したときに、「A∪B∪C」の補集合(3つの円の周りの部分)から要素を取り出して[A],[B],[C]に変換し、円を大きくする作業が足りないことが原因であると感じたからでした。

その作業をする(成長をする)ためにアメリカに渡るのですが、こういう状況に陥ります。

成長_usa

要素[A]:チームが求めることが、自分のやりたいこと、できることの要素[B]と[C]とかけ離れてしまうという状態です。(こうなってしまったことにも紆余曲折ありましたが今回は割愛)

こうなることはあらかじめ予想はしていたのですが、当時は「B∩Cが要素[A]に何かを与えられるのではないか?」と考え、B∩Cを[A]と融合することに固執していた(パワーを向けていた)ため、要素[A]と要素[B],[C]とを近づける方法を間違え、私は組織において'いなくてもいい'プレーヤーになっていました。

チームはわざわざ私一人のために歩み寄ってくれるものではなく、そして自分もB∩Cに固執するあまり歩み寄ることをしていなかったため、A∩B∩Cの面積の小ささが物語っていますが、当然の結果だったと言えます。

でも、3つの円の総体は大きくなっているじゃないか。と思う方もいると思います。

個人の成長という文脈だけで話をすると、3つの円の総体は大きくなり、未だかつて触れたことのなかった要素[A]を知った、触れたという意味では少しばかり成長したと思います。否。要素[A]を自分の要素に変換できなかったので、成長とは何かを知る道を見つけただけだったんだと思います。(それもある意味成長か笑)

しかしあくまでチーム(組織)あっての個人と考えると、3つの円の総体を大きくするということは要素[A]が要素[B]と[C]からかけ離れることによって達成されるものではなく、要素[A]から要素[B],[C]への変換作業、そして変換作業がある一定のレベルに達した(例ベレーザ→アメリカ)後の要素[A]の入れ替えを繰り返し行うことによって達成されるべきものであると考えています。

つまり、総体が大きくても共通部分の大きさが無ければ意味を成さないということです。そしてそれは、「要素[A]とどう向き合うかが重要である」と同義であるということです。


何と自分は繋がれているのか

スウェーデンでの3つの円は、成長においてとても好ましい距離感にあったと言えるのは何故か、に戻りますが、考えられる理由は3つあります。

まず始めに重要だったのが、チームに加入する前に要素[A]:チームが求めることがあっての要素[B]自分がやりたいこと、[C]できることであるということに気付けていたことです。

ここまで長々書いてきて「そんなのチームに属しているんだから当たり前だろ」と思われるかもしれないですが、ベレーザの円の総体を見ると理解してもらえると思います。あれだけチームと自分の共通部分が大きく、そして自分と同じような円の状態の選手が集まり、密度を高くすることができる環境にずっと身を置いているとなると、3つの円がどんどん1つの円に近づいていき、要素[A],[B],[C]の境目が分からなくなります。なので、意外と普通のことが分からなかったりします。

そして2つめに重要だったのが、上記に気付けていたため、自分がチームに加入したときに要素[A]と、要素[B],[C]との共通部分がある程度存在していることにすぐ気付き、信頼を得るまでの時間を短縮できたことです。

アメリカでの円のような共通部分が少ない状態で努力をし続け成長することは可能ですが、3ヶ月でチームに良い結果をもたらすという期限の条件がついたとき、ある程度の共通部分が存在していることは必須でした。

そして最後に重要だったのが「要素[A]が、自分が歩み寄りたい(時間と労力をかけたい)と思えるものかどうか」ということ。

アメリカでの失敗はB∩Cに固執しすぎたこともありますが、要素[A]が自分の特性とかけ離れていたため、自分のやりたいこと[B]、できること[C]への変換にはかなりの時間と労力がかかることが想像できました。それを理解した上で自分の在りたい姿と今を照らし合わせたときに、今自分が時間と労力をかけたいと思う要素[A]ではないと整理できたため、再度移籍を決断しました。(アメリカでも共通部分は始め存在したはずだったけれど、色々あった。割愛。)

もちろん、要素[A]の入れ替えは自分のコンフォートゾーンには無いものに差し替えるので、何かしらの違和感や嫌悪感を抱くのは当然ですが、挑戦、成長とはそういうものです。その違和感や嫌悪感の奥にある’必要性’を、自分の在りたい姿と接続した状態で見つけられるかどうかが、「要素[A]が自分が歩み寄りたい(時間と労力をかけたい)と思えるものかどうか」に繋がっているのではないかと思います。

スウェーデンでは、それらが全て繋がった感覚がありました。


選手としての余白と強調

ここまで来てやっと、「余白が大きい選手とは何か」という話しに入っていけるのですが(笑)、要素[A]:チームが求めることを理解し、体現し、信頼を得ることが、チームに属するプレーヤー(個人)として重要であることを書いてきました。

しかし、自分が自分である良さというものは、[A]チームが求めることという枠組みから外れたところにある創造性であり付加価値です。それが[B]自分がやりたいことと、[C]自分ができることの共通部分、B∩Cの部分です。

成長_付加価値

つまり、

100のパワーを持つ2人の選手がいたとき、
・チームが求めることに使うパワーが90で、それができた上で「アイディアを創出すること」に使うパワーが10の選手
・チームが求めることに使うパワーが30で、それができた上で「アイディアを創出すること」に使うパワーが70の選手

どちらの選手の方が理想的か?ということです。

これに対する答えはポジションによって異なると思いますが、私の場合、チームが求めることに使うパワーを最低限に抑え、残っている余白のパワーで自分にしかできないプレーをすること、また、チームが求めることだけでは劣勢な状況を打破することができないとなったときに、他の手段を考えられる余白を持っておくことが理想であると感じました。

ここでいう「チームが求めることに使うパワーを最低限に抑える」ということが、要素[A]:チームが求めることをいち早く理解し、体現し、チームから信頼を得ている状態です。その[A]と[B],[C]の共通部分が大きければ大きいほど必要なパワーは少なくなり、B∩C、つまり自分の選手としての価値をより強調させることができるということです。

現在は、昨年の期限付き移籍以降、少しずつ要素[A]と要素[B],[C]との共通部分を大きくすることができてきているので、自分のチームに対する付加価値の部分 B∩C をどうすれば要素[A]と上手く融合できて勝利に繋げられるか?というところを試しては思考し、を繰り返しています。

次に大事になってくるのは、「B∩Cをチームメイトに理解してもらう」すなわち「チームの枠組みから外れることを、チームにとって予測可能なものにする」という部分かなと思っています。


成長を今いる場所から見ただけに過ぎない

長々書きましたが、この3つの円に関連するあれこれを考えるとまだまだ綺麗に落とし込めた感覚ではないですし、今回の内容はあくまで成長という過程の一つの切り取り方に過ぎません。

なので分かりにくかった部分も多くあると思いますが、今は「自分のできないことをできるようにしている作業」の途中なので、成長段階なんだなと暖かい目で読んで頂けたら嬉しいです。

スウェーデンで頑張ります(頑張ってます)!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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