白餅の用途

会社の用事で、旧松任市内のお菓子屋に行った。
松任市街地はお菓子屋さんがとても多い。
一本商店街となっている筋があるのだが、大して距離がないその道だけでも何件あるだろう。
ちょっとまわりを気にしてみてみると、お寺が多いことに気づく。
なるほど。
お供えのお菓子として発達した文化か。
近くにおかりや公園と呼ばれた公園がある。
公園と言っても遊具があるような子どもが遊べるような公園ではなく、今にして思えば兼六公園と由来が同じかもしれない。
金沢にある兼六園は藩主前田家の庭園で、かつて地元の人々に「公園」と呼ばれていた。
幼少期、祖母もそう呼んでたし、大学時代、バスの運転手が兼六園下のバス停に着くと「公園下です」という人が何人かいた。
おかりや公園はその類の「公園」なのだろう。
そのことに気づいたのは名称が松任城址公園に変わってからだ。
その前からうっすら元お城?感じで表記すると御仮屋?という知識はあった。
だが、人に説明できるほどではなかった。
仮に住んでいた人が誰なのか知ったのは本当に最近。
加賀藩二代藩主の前田利長が3年ほど住んでいたらしい。
前田の殿様が住んでいたとなると、周辺住民の意識と文化水準はグッと高くなる。
きっと茶道なども盛んだったに違いない。
実際、そのお菓子屋には上生菓子である練り切りがそれなりの数用意されていた。
練り切りを見ると欲しくなる。
だが仕事中なので、今購入しても扱いに困るので、我慢。
正面のショーウインドーの上には、ちょっとつまめるようにお菓子をバラ売り用に並べてある。
そこで普段見ないものを見つけた。
白い丸餅だ。透明なビニールで個包装して4つ置いてある。
何となくこれはまだ柔らかいのではないかと思わせるつやがある。
お会計を待っている間どうしても気になって、むしろ、一個買って食べてみたいという気持ちもあって、思い切って店員さんに聞いてみた。
「この白いお餅はなんですか?」
「報恩講があるので、今の時期だけ置いているんですよ」
お供え用だった!
1個だけくださいって言わなくてよかった。
2個重ねて左右に置くそうです。
だから4個。
でも、なんか、ちゃんとしてる人がちゃんといるんだなと、仏壇も神棚もない家で育った私は思ったのだった。
ちなみに、旧松任市と記したのは、現在はなくなってしまった地名だから。
旧石川郡と合併して白山市になったとき、一番大きな市だった松任市役所が白山市役所になった。
近隣町村にしてみれば、松任に吸収される気分で、地元の地名が消えないように、町名に旧町名をくっつけるという無理をした。
だけど、松任市はそれをしなかったんだよなぁ。
JRの駅は松任駅のまま。
企業も松任支店などと名前を残しているところは多いけど、実際地名にはない名前なのでいずれ不便を感じる世代が多くなると、完全に消えてしまうかもしれない。

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