死ぬという概念について

最初に投稿するのがなんでこれなのかっていうのはまああるんですけどね。一番最近考えることなので。

私は犬が死んでも友達だった人が死んでもあぁ死んだんだねと感傷的な気持ちにはなりましたが 悲しいという気持ちは抱けませんでした。いじめで死んだ人の話を聞いても救われてよかったねとしか思えませんでした。

冷たく見えると思います。私も自身のことを当時そう思いました。

死ぬっていうと大体の人は悪いイメージをもってあると思います。

死ぬということは不幸せなこと。周りを不幸にすること。良くないこと。そんなかんじだと思います。

自殺することに対して死ぬ「くらいなら」なぜ足掻かなかったのかというコメントもあったりするのでそういう傾向があると思います。

なぜ死ぬことはダメなのでしょうか?

私にとっては死ぬことは無になれることであり幸せになれることです。そしてなぜか怖くもあります。幸せなのに。

この怖いってところにポイントがあるのだと思います。

大抵の生き物がなぜ生きるのかというと子孫を残すためです。種を生き延びされるのが個です。自分から死にに行くというのはそこから背く行為です。生物上間違ってる行為というわけです。もちろん動物によっては例外もあるでしょうが。

生きるために生理的要求である食欲、性欲、睡眠欲があります。生きるために安全要求である住やセーフティー要求があります。生きるために社会的要求であるどこかの集団に入っていたい、愛されたい要求。生きるために尊敬や認められたい要求があります。そこから反するわけです。だから怖いのでしょう。だから悪いイメージなのでしょう。

けれど生きてることに絶望している。生きることをやめたいと思ってる人にとっては死ねるということは救いです。死ねるから生きていけます。生から逃げれるからこそ生きていけます。

そこは多分正常な人からはわからない感覚なのでしょう。死にたいと言いながらも死ぬつもりはないし、生きててって言われたい人たちからも。価値観の違いは 頭で文章でわかっても、理解することや納得することは難しいのです。

だから否定するわけです。その人から見たら不幸せなんだと思います。その人自身から感じたこととは関係なしに。


ただ否定はして欲しくないなと思います。死ねるからこそ私は生きてるので。ただそういう人もいるし否定する人もいるねって話です。

眠くなったので終わりです。



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