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今吸う必要なくね?

私はタバコ吸いです。
元は普通のコンビニで売ってるタバコを買ってる喫煙者でしたが
紆余曲折あって今はパイプたばこを吸っています。
たまに手巻きたばこの葉っぱを
キセルのようなものに詰めて吸ったりしています。
喫煙量は1日に平均すると1回くらいです。

大嫌煙時代

少なくとも2019年現在、たばこを吸うメリットは1ミリもありません
健康被害甚だしいと叫ばれ
無断で仕事を抜け出すと責められ
お金を溝に捨てるようなものと蔑まれ
吸うだけで人から嫌われる、社会のゴミです。
禁煙すれば
健康になり、お金もたまり、出世もできて、
彼女ができて結婚できます。多分。
たばこを吸うということはその逆です。

なんで吸うの? 馬鹿なの?

旧時代のオタク

〝宮崎勤〟って知ってます? 我が一族が崇拝する預言者なんですけど。
 嘘です
 まあググってください。知ってる人は結構です。

〝オタク〟って言葉はその頃にイメージが固着しました。
それよりも少し前から定着はしていたのですが、
神の登場で〝オタク〟という人種はティピカルに固定され
以後もその印象を払拭しきれぬまま現代に至ります。
これだけ長い時間をかけても払拭できないんだから
実際に一定以上正しかったんだろうという気もしますが。

社会と接点を持たず自分の世界に引きこもり、
強烈な自己愛に溺れながら
異常な性癖を持っており、
理解し難い思想を持ち言葉が通じず、
犯罪予備軍として人知れず隣の家に住んでいる。

マンガを読むと馬鹿になる。
アニメは教育に良くない。

剰え宮崎勤のように理解を超えた犯罪など起こすのだから
マンガやアニメを好きな人間は存在するだけで社会の害悪
と認識されていたわけです。
家族にオタクがいるだけでも
「親戚や社会に対して恥ずかしい」と思う大人もいました。
今もいるかも知れません。

文字に書くと陳腐ですがまあこんなところでしょうか。
ご存知の通りこの時代は
日本のアニメマンガ文化がサブカルチャーとして独自の進化を始め
こんにちの日本のポップカルチャーにもつながる
重要な土台を涵養した時代で
決して暗黒時代と片付けるわけには行かない時代です。

が、まあ当時と今の時代背景を比較するとか、
犯罪心理学的に見て云々とか
社会の構造が何だとかそういう話ではなくて。

当時の〝オタッキーな人〟っていうのは
そうした社会・空気に包囲され
社会に自分の好きなものをおおっぴらに言うわけに行かず
現代のようにインターネット(パソコン通信)も一般的ではなく
それ故に同じ趣味の人間とつながることもできず
一人で孤独に愛する世界観に矜持を示していたわけです。

ですが同時に上述の悪いイメージを窮屈に思い反発しながらも
バラバラに生きながらもなんとか仲間を見つけ、
いつか来る「理解を得られる日」を待ちあるいは諦めて生き続けた。

まるで宮崎勤という預言者の出現とその活動によって
〝オタク〟たちはディアスポラとなり
それでも信仰を捨てずに耐え忍んで生きてきた。
神々しくも見えませんか? みえませんね。

当時の〝オタク〟というのは
信仰を貫き続けた被排斥民だった。

身の程をわきまえる

隠れたか、隠したか。
ひっそりと同じ経典の民を探して
約束の地と約束の時を待ち続けたわけですね。
勇敢に戦ってもあえなく磔にあって死にました。
戦わなくても報われずに死んだかも知れません。

彼らはなぜ死んだか?
坊やだからではありません、時代に沿ってなかっただけです。
きょうびのポップカルチャーの市民権を考えると、早すぎたんでしょう。

時代に逆らっても意味はありません。
「俺は神を愛している!」と叫んだところで、
手前だけではなく一家郎党一族鏖だったでしょう、
不用意に叫んでも親愛なる同志達に迷惑がかかるだけです。
手前自身も何も得ることはなく。

大嫌厭時代の身の振り方

つまりまあ、
たばこを吸うにせよ「旧時代のオタクを見習え」ということでしょうか。

嫌煙家の運動に、必死になって楯突いても今の時代なんにも意味がなく
彼らをいきり立たせることは
近い将来に余計に喫煙に難儀する環境を作ることになるでしょう。

そもそも今の時代たばこなんて吸う意味が全くないのですから。

たばこ吸いの意識が低すぎる

1ミリも役がなく、周囲に迷惑さえかける行為だと言うのに
タバコ吸いの多くは意識が低すぎる。
せめて自ら進んでゾーニングを形成し、喫煙のTPOを厳格化して
その範囲で吸うべきだ。

私に言わせると大体して
中毒になり吸わずにいられないほど依存してる時点で
たばこ吸いとしてダメダメ

まだ喫煙歴20年に満たない私でもわかる。

酒と同じに考えればいいんじゃないかな。
依存するほどに浸ってはいけない、
そうでない範囲では副次的なメリットが出ないこともないかも知れない。
(最近は酒を飲まない人もいるが)

「嗜む程度に」という言葉は、酒なりたばこなりヲタ活なり
何の領域にでも「そう言えればかっこいいもの」だし
「領域によっては実際にそうあるべきもの」だと思う。

たばこは今それを問われる時代にいる。
そのことに気付いていないたばこ吸いが多すぎる。

私もそれに気付くのに随分かかったのは、否めないけれど。

たばこの旨さと面白さ

……は今後書いていきます。
主に吸ったたばこについてのレビュー+おきもちになるでしょうか。

上で「意識が低すぎる」とは書いたけれど
意識の高い喫煙なんてする必要はもっとないと思っています。
最低限のマナーはある種の「ポジティブな後ろめたさ」として持ったまま
こんな草は意識低く雑に吸えばいいのだなと。

意識高い系として見られがちなのがパイプたばこ葉巻ですけど、
できれば不必要な敷居も下げていきたいですね。
もうちょっと身近にあっても面白いのになとも思います。

「煙草の旨さは中毒と軽度の禁断症状にその充足に因るものだ」

ときにそんな筆致もみるが、そんなことはないと私は考えている。

だからこそ、きっちり自己管理できれば
趣味として昇華できるものだとも思っている。
(車と同じでしょうかね、何の趣味でも同じだとは思いますが)

まだ喫煙歴20年にも満たない雑魚で
しかもパイプたばこに到着したのはここ数年のこと
意識の低いたばこ吸い歴が長かったので
味だの楽しみだのを口にするには些か経験が足らないのは事実なのですが
その内そんなものも今後書いていきたいですね。

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この記事を書いている時点で手元にあるたばこ達。
人によっては吸った後の缶を取っておくのも趣味なのだとか。
確かに物欲を刺激するところはあります。
※左端のGARAMと書かれているものだけは紙巻きたばこ
 唯一吸ってる紙巻きですね。

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