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このnoteをお読み頂き、ありがとうございます。

今回は自分の今までの経歴や大切にしている考え方の整理として書き残しておきたいと思います。

自分で言うのもあれですが、異業種を4回転職とかなり特殊な職業経歴と思なっています。
しかし、今や転職が当たり前の時代になってきており、世の中の時流が合ってきたなというのもありますし(笑)、ありがたいことにそんなぼくでも今はITベンチャーの役員として元気に楽しくやれています。

そんな少し変わった人の話ですが、昔のぼくのようにキャリアに迷っている人の少しでも参考になれば幸いです。

生まれ

1989年7月3日、千葉県に生まれました。

幼いときは外で遊ぶのが大好きでやんちゃな少年でした。いつも母親に怒られていた記憶しかありません。

ただ幼稚園の年長時代、風呂場での骨折をきっかけとして、突然運動が好きでなくなり、食に目覚め、デブまっしぐらの道を歩みます。

学生時代について

学生時代は「The 無難」な人生でした。

幼い時に両親に迷惑を掛けまくったせいか、勉強だけはそこそこの成績を取ろうと頑張っていましたが、目立つものではなく、平均よりいいかなって感じ。

部活も中学、高校、大学といろいろな運動をやりましたが、特に目立った成績はありません。

一番良かったなと思っていることは、大学時代の最後の半年間にやった家の近くのカフェバイトでの出会いでした。

ある会社のオーナー夫人の地元がぼくの近所だったようで、趣味みたいな感じで始めたカフェでしたが、そこで働く人達がとても魅力的で今でも忘れられません。

だいたい従業員3人で接客、調理を回していたんですが、一言で言うと「いい年した大人(40代後半~50代ぐらい)なのに、とにかく人生死ぬほど楽しんでいるな」と言った印象を受けると同時に「こんなに自由に生きていいんだ」といい意味でとても刺激をもらった人達でした。

おそらくここで経験がその後のぼくの人生観に影響を与えたことは間違いありません。

某地銀での経験について(2012/4~2014/3)

2012年4月1日より東京の地銀にて社会人生活がスタート。

最初に書いておきますが、実はすごく銀行で働きたかったというよりかは、「とにかく就職しなくては」という想いからいろいろ就活した上で最終的に決まったのがここだったという感じです。
(学生さんあるあるだと思いますが、、)

ただ辞めた今でも最初のキャリアスタートが銀行で良かったと思っています。

というのもお金というのは人生に密接に関わっているにも関わらず、誰かに教えてもらうという機会がほとんどありません。

それをお給料を頂きながら、お金について2年間実践を通じながら学ぶことができたのは今でも貴重な財産です。

また自分の区画が書いた地図を渡されて、その区画にある家を全て訪問するといったかなり度胸試しな営業をやったことも忘れられない思い出です。(笑)

職場で働く人にも恵まれてとても楽しい2年間を送れたと思います。

しかし銀行というのは現在「供給過多」な状態で、みずほ、三井住友、UFJといった「メガバンク」、各自治体を中心として展開している「地方銀行」、地域に密着している「信金」、店舗を持たない「ネット銀行」など多岐に渡り、お客様の奪い合いとなっております。

また政府の方針で金利は「ゼロ金利」を続けており、本業の「お金を貸す」といったことで利益が生みにくいといった問題点がありました。

そういった状態の中でいかに利益を上げるかというのは非常に難しく、時に利益を上げるために行っていることが「お客様のためになっているか」と自問自答したくなる時もありました。

ぼくはそこから恥ずかしながら安直にも「民間企業で利益を上げるのはとても大変だ」という結論に至り、仕事もプライベートも充実させられる仕事に転職することを決意しました。

国立大学職員の経験について(2014/9~2016/10)

国立大学職員は2014年の9月よりスタート。

前回の銀行から期間が空いているのは、試験を受ける必要があったのはもちろんのこと、実は2週間だけセブ島への留学にも行っておりました。

そんな中意気揚々と始まった新しいキャリアですが、配属先は医学部のお金を司る部署。

学内でも屈指の予算が付く学部でしたが、個性的な先生に出会えたこと、解剖室など普段見ることのないものを見せてもらえたのはかなり貴重な経験でした。

余談ですが、ぼくはこの部署に銀行の経験を買われて配属されたのかと思いきや、ここに移動するはずの人が拒否してしまい、ぼくが代わりに配属されたそうです(笑)

それぐらい大変な部署という認識が学内ではあったようですが、ぼくとしては知らないことだらけの新しい世界でとても楽しかったです。

しかし、働きながらここで感じたのは「ムダ」の多さでした。

公務員の方ならあるあるだと思いますが、ついた予算は使い切らないと翌年削減されてしまうという理由から、本当に必要なのかわからないものを購入したり、「なぜこれを今やるのか?」といったことがたくさんありました。

利益を上げる必要はないけれど、ここでもまた「お客様(今回の場合だと学生や先生)のためになっているのかな?」という想いが日々沸々と湧いてきて、今後についてモヤモヤしていました。

そんな日々が続き、いろいろと調べる中で何気なく出会ったのが「プログラミング」

当時は今ほどの盛り上がりもまだなく、「文系でもエンジニアになれる」というのが少しずつ認知されてきていた時でした。

ITの世界なんて文系の自分にとっては物凄く遠い世界と思っていましたが、調べれば調べるほど興味が湧いてきて、次第に今の自分が抱えている悩みを解決できないかと考えるようになりました。

というのも銀行員も公務員も課題の根本を考えていくと、「目の前のお客様に必要なモノ・サービスを提供できているのか?」といったところだと気づき、そこから「プログラミングを使って自分でそれを作ってしまえばいいじゃないか!」というのがぼくがたどり着いた結論です。

今思えばかなり安直ですが、銀行員と公務員で抱えていた悩みがどっちも解決できる最高の方法だと心を踊らせていました(笑)

そうと決めたら速攻民間のプログラミングスクールに入学し、土日や平日の夜プログラミング漬けの日々。

そのままそのスクールにIT企業を紹介してもらい、気がついたら転職してました。

中小IT企業の経験について(2016/11~2017/12)

2016年11月に50名ほどのIT企業に転職。

ここはぼくがエンジニアスクールで学習していたいわゆる「web系」の人材は非常に少なく、サーバーを専門とした「インフラ系」と呼ばれる人が多く在籍する会社でした。

しかし、まさにこれから「web系」も盛り上げて行こうぜ!という感じで、ぼくにとっては活躍できるかついろいろなことが経験できる願ってもないチャンス。

人数が少なかったこともあり、狙い通りお客様への説明からやりたかった実装など、工程の上流〜下流まで一通り経験させてもらいました。

ただぼくの中でこの業界に飛び込んできた時に決めていたものがあります。

それは「フリーランスになる」ということ。

理由としては、自分の手で生み出したものがお客様のためになっているというの直接感じられるようになりたかったというのがあります。

今までずっと「お客様のためになっているのか?」という想いがあり、それを感じられるようになりたいという一種の飢えを感じていたのかもしれません。

この会社で働きながら実力UP、案件を獲得する方法などを空いている時間で学び、約1年後にこの会社を去ることとなります。

フリーエンジニアの経験について(2018/1~2019/9)

2018年1月よりフリーランスとしてのキャリアがスタート。

自分がやりたいことがようやく見え始め、そのスタートラインに立てたという高揚感は今でも忘れられないものがあります。

しかしと同時に今まででのキャリアで一番大変だったと感じる期間でした。

ぼくが入った当時は5名ほどのベンチャーでまさに「これから!」といった状態。

そんな状況で入ったぼくでしたが、基本的なことはわかるとは言え、とても自走できる状態ではなく、思ったようにコードを書けないという日々。

手や思考が止まりまくりました。。

そんな中で様々なチャンスを与えてくれ、大事な社員のように扱ってくれた社長には感謝しかありません。

ただ今思うと「役に立ててないな」という日々が続くことは本当に心苦しかったです。

話は変わりますが、ある時からは毎月社員が入ってくるようになりました。

最初は社長と元々知り合いの優秀なメンバーが多く、意思疎通も円滑にできておりましたが、段々会社が拡大していくにあたって、知り合いでもない未経験の方も雇用するようになり始めました。

その方々は会社へ慣れるのはもちろんのこと、ITのこともわからないことだらけで非常に苦労されていました。

当時人数も少なかったことから、ぼくもその人たちに対して自分がわかることを説明していました。

最初は何気なくやっていたことでしたが、それを続けていくと「これってどういうことですか?」と少しは頼ってもらえる存在になってきていき、自分の中でもそこにやりがいを感じていました。

そこから段々と自分にとってはこの「初心者にわかりやすく説明すること」というのが得意なのでは...?ということに気づきはじめました。

思い返してみれば、今まで異業種を渡り歩いてきており、全てが初心者の中で早く仕事にキャッチアップしていく上で、「どういう仕組みで成り立っているのか?」というのは必ず理解しようとしていました。

その経験がまさにここで活きてきたのです。

ところがあくまで本業は「エンジニア」。

なかなかそれを活かすチャンスもありません。。

そんなモヤモヤを抱えたタイミングで、この会社に元々創業期からジョインしていた方が始めていたSaaSの導入支援や伴走支援の会社へとお誘いを受けました。

最初は「せっかくフリーのエンジニアになったばかりなのに、、」という想いもありましたが、よくよく考えてみれば、まだまだITツールは一般の人にとってはかなり難しいツール。

それをまずは「こんな形で活用できますよ」と説明してあげられることは、自分が気づき始めたやりがい、強みにも合っているなといった実感があり、最終的にジョインすることとしました。

ITベンチャー役員として(2019/10~)

そして今まさに「SaaSの導入支援、伴走支援」という名目のこの会社で役員として元気にやらせてもらっています。

今思うと試行錯誤してきた約10年間でしたが、自分と本気で向き合えた、かけがえない期間だったと思います。

出てきた課題に対し、自分の中で仮設を立ててそれを検証、間違っていると思えば、また再挑戦。

周りから見れば一貫性のない行動に見えるかもしれません。

しかし人間って本当の自分のなんてすぐには理解できないと思います。
(今のぼくもまだ理解できてないと思いますが(笑))

だからこそ常に検証していくことが大事です。

そしてこのサイクルを繰り返しながら気づいたのが「余白」の重要性。

自分の心の本当の声ってそんなにはっきりと出てきてはくれません。

わずかに聞こえるか聞こえないかぐらいなんです。

それは周りのそれらしい意見や世間の常識といったものが阻害しているから。これって防ぎようがない強力なものです。

だからこそ余白を作って自分と向き合う時間を定期的に作る必要があります。

また「誰と一緒にやるか」というのも非常に大切です。

先ほどの話と被りますが、自分の心の声を阻害する原因として周囲の影響が非常に大きいです。

自分1人が「こうだ!」と思っても、周りの99人に反対されたらとてもじゃないですが、進められません。

人間は社会的な生き物ですから。

だからこそそれを極力進めやすいように周りの環境も整備していく必要があります。

うちの会社では「いい人」と呼んでいますが、もっとわかりやすく言うと、「常に自分のワクワクを持っていて、相手のやりたいことも心から応援してくれる人」だと思っています。

ありがたいことに今一緒にお仕事している人はそんな方たちばかりです。

おわりに

ここまで呼んで頂き、ありがとうございます。

これからもきっと同じところに留まり続けず、いろいろとトライし続けていくと思います。

でも今は昔と違った安心感があります。

ぼくは今この「余白」と「いい人」と共に新しいステージで勝負できているので。

この記事が参考になれば幸いです!



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