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学歴や教育環境について思うところなど

おはようございます、ユキッ先生です。

息子の慣らし保育がわりと順調で、文章を書ける時間が捻出できています。

嬉しいことです。

私は勉強(学問)が好きだ

おそらく私は勉強が好きです。うーん、「勉強」というよりも「学問」なのかな。
生活のなかで見つけた疑問について、納得する解決法、ないしはヒントを集めることができたときに、ものすごい充実感を覚えるタイプであることは確かです。この充実感、安上りでオススメです。
その疑問は、たとえば「この漠然とした生きづらさの原因は何か」といった抽象度の高いものから、「さつまいものいちばんおいしい調理法」「このテレビドラマの、私にとっての面白みは何か」などに至るまで。
もっと絞りたいなと思うぐらい、生活は疑問と関心に満ちています。

好きすぎて社会人大学院に行きました。学歴上は院卒、マスター持ちです。
ただ、本業とは直接的には何の関係もない分野だし、給料が上がるわけでも出世できるわけでもなく、ほぼ趣味、はっきりいって現状何のメリットもありません。

そんな私に、最近話題になった「上野千鶴子先生による東大入学式祝辞」は、大変なインパクトがありました。
氷河期世代の社会学徒としては、上野先生の存在には特別なものがあるのですが(著作や主張を、すべて読破したり理解したりしているわけではありません)、趣味で大学院に通った一人の働く母としては、刺さるものがありました。

そして、それを補完するように書かれたまきむぅさんのこのコラムもまた名文だと思います。
「ああ、私は”学問”をすることがが好きだったんだな、これからもそれを続けるのだな(安上りと思える範囲で)」と、改めて思いました。

一人で始められるから、スポーツも音楽も才能がなかった私向きです。

「学問をするる時はね、誰にも邪魔されず
  自由でなんというか救われてなきゃあダメなんだ
   独りで静かで豊かで・・・」

生家に大卒はいなかった

生家はもともと農家でしたが、生業が専業農家というわけではなく、物心ついたときは「親類を含めた兼業農家の拠点(本家だもんで)」みたいな感じでした。
おもな出荷作物はコメとぶどうでしたが、ぶどう畑は小学生の頃に立地の行政上の理由でなくなりました。
母方の実家はいまも専業農家で、ぶどう栽培が家業です。

祖父は、オンシーズンはコメ栽培の傍ら、ミシンのメーカーでセールスをしたり、国鉄の貨物に勤めたりしていました。
父は、農家の5人きょうだいの長男で、測量士でした。地元の農業高校の土木科を卒業して大阪の企業で10年勤め、その後お見合い結婚のために地元へ戻りました。
母は、同じく農家の4人きょうだいの末っ子で、女子高の家政科を出て、土産物売り場の売り子をするなど、いまでいうフリーターのように、結婚するまでは定職はなく、転々としていたそうです。私が小学生になった頃からは工場でパート勤務もしていた働き者です。私は半分くらいは祖母に育てられました。
兄は地元のコンピューター専門学校を出て、大阪に本社のあるアパレル企業の工場で、CADをやっています。

ちなみにコメの栽培は現在は人に任せていて、父も兄も母も田んぼには出ません。栽培した飼料米をJAに出荷して、お金でなく食用米(きぬむすめ。とても美味い)をもらう、というシステムだそうです。

親類も似たような感じで、2つ上の従兄が地元と別の地方国立大を出てUターンし現在は役所に勤めていますが、大卒は圧倒的少数派なのでした。

田舎の娘が想定外で大学に進む

そんな家庭に生まれた娘が、小さいころからそこそこ読書やら勉強が好きで、高校は地元の進学校に進んだことで「大学に行く」という選択肢が家族に認識されたわけです。
逆にいうと、それまでは「この子を大学に入れたい」という特段の意志はなかったんだということに、おそらく中学生の中盤ごろに、うっすら気づきました。
同世代の地方出身者ならわかってもらえる人がそこそこいるのではと思いますが、私はとにかく早くひとりで都会に出たくて、トレンディドラマで見たW浅野やキョンキョンみたいになりたかったんです。
具体的に言うと、中学から高校時代は「音楽ライター」「編集者」に憧れていて、「『GB』や『What’s IN』の出版社に勤めるなら、大卒の資格が必要そうだ!」というのが大学に進んだ直接の動機です。どっちもソニーマガジンズやんけ。
親や親類に「女子が大学なんて出なくていい」などのことを言われたことはありませんが、大学に行く必要性とか、何をする場所なのか、という情報は身近な人から聞いたことはなかったのです。
で、そんな我が家の経済的な事情も忖度して、「なるべく自身の教育には金をかけさせたくない。勉強なんてむしろ私が好きでやってることだし」という思いが常にありました。
なので、高校の進路指導方針ともあいまって、受験もかろうじてうまくいって、結果的に「奨学金を得ながら、学費の安い国立もしくは公立に」という進路になったわけです。

おそらく地元で暮らす私の親世代にとっては「地元の国立を出て、教員になるかか役所で働く」が、想像可能な大卒女性のライフコースの限界だったのかなあ、とのちに感じました。

大学で出会った同級生たちとの環境格差を知った話

ちょっと前のこの増田のエントリとも、関連するのですが。

そんなこんなで18の春、結果的に望んだ「一人暮らしをしながら都会の大学に通う」生活をかなえることができて万々歳だったわけですが、入学してみたら、同級生たちはさほどテンション高くなくて、驚きました。
むしろ私の通っていた大学は同級生たちにとっては志望順位が高くない場合が多かったようです。
同級生にも、親が公務員だったり、名の知れた企業に勤めている人が多く、出身校を聞いたら「ナントカ大学付属」とかで、都会ではそういう学校が「選べる」のだということが実体験として初めて分かりました。
実家から通っているというのも大きいものの、「アルバイトをしなくても生活ができ」て、「奨学金をもらっていない」人が多いというのも驚きでした。
みんな生まれながらにして、大学に行くことが想定されている人たちだったわけです。

あと、バイトもいろいろやったのですが、なぜかどうしても単価の良い家庭教師や塾講師を選ぶ同級生たちに対して、これだけさまざまな経験ができるのに、なぜそれを選ぶのだろう? という気持ちが強かったです。
ちなみに当時、家賃6万、生活費仕送り6万(コメと野菜は現物)くらいが親の負担額だったように記憶しています。そこに奨学金で+約4.5万。バイトで+5~10数万くらいかな。それで旅行サークルに所属して、長期休暇のたびにサークル合宿を兼ねた国内旅行、プライベートで比較的リーズナブルなアジアなどへの海外旅行ができていたと。

そういえば、すべり止めでとある関西の私学に約30万の入学金を払って、結果的に行かなかったので無駄になってしまったのですが、それが巡り巡って保険の給付金(前回の記事参照)になったんだわ、と思ってます。

奨学金は最少額のコースで返済して、1社めの退職金で繰り上げ返済を完了しました。現在もそういう仕組みがあるかどうか不明ですが、日本育英会の奨学金、繰り上げると2割ほどキャッシュバックされたんですよね。
(そしてその後、結婚資金を視野に入れていた貯金を、しばらく結婚の予定がなかったために社会人大学院の学費に充てた)

正直、子どもの教育方針とその資金形成には、すごく悩む

ところで、そんな私の夫は高卒です。
正直、会話していて、もっと知識があったらいいのに、と思うこともありますが、現状私が家庭に求めていることはそこではないので、あまり気になりません。むしろ私の生家のメンバーと近い生活感覚があり、それはとても有難いことでもあります。

でもそうなると、子どもの教育のバリエーションを想定・判断するのが私の担当になる可能性は高く、正直かなり迷ってるんですよね。
ひとつの基準として「大学には通えるように」とは確かに思って教育資金形成を始めていて、無論、彼女らの希望を叶えられない、という事態は回避したいです。

そのうえで、観測しうる範囲の実例として(たとえば、私が驚いた同級生やその兄弟とか)、親が用意できる資金と、直面した環境を生き抜く力とは当然別物であり。教育にかかわらず、老後資金とかもそうですが、将来に備える金額の妥当性は最大の謎です。

お金以外で子どものためにできることといえば、

・心身を健康に保つための知識と環境
・たくさんの種類の生業の人と関わる機会

などを、早いうちからできるだけ与えること、かもしれませんね。。。

18までの私が一刻も早く離れて自由に生きたい! と願ってやまなかったた私の生家や地元なんかも、そういう意味ではとても重要な場所なのかもしれないな、と最近思っています。

おしまい


カバー画像/祖母(母)が孫(私の娘)のために作った、50音カード

このクラフトマンシップ、偉大だ。


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