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放送局を辞めた理由

こんにちは、ユキッ先生です。

世の中には、いろいろな職場を辞めた人が、その後匿名でその思いを綴る「退職エントリ」と呼ばれる読みものがありますね。
インターネッツの大海原に漂っているそのリンクを捕獲するたび、なるほどあの企業や業界は投稿者の目線を通すとそんな風であるのだな、と、毎度興味深く拝見しております。
私自身もおもに酒場などで友人に尋ねられることがときどきあるので、キャリア整理を兼ねて記してみたいと思います。
とはいえ、約10年勤めた放送局を辞めたのも、もう10年も前の話になってしまいました。いわゆるひとつの、10年越しの退職エントリキタコレですよ。

※いまはだいぶ変わって、良くなっていると思います。いや、これより悪化してたらヤバない? 知らんけど。むしろ知ろうともしてないけど。

なぜ辞めたのか

まずは簡素にまとめます。

1。激務で命の危険を感じた
2。上司から「残業をつけるな」と言われて財産の危険を感じた
3。10年やったらだいたいわかった
4。転職活動で披瀝できる程度の実績を残せた
5。その他プライベートなこと

1。激務で命の危険を感じた

放送局といってもまあラジオ単営なんですけど、私はおもに番組とWebの制作に携わっていました。
入社当初から数年間、制作部門に所属する社員のメイン業務は番組プロデュースでした(私は例外的に、新卒から2年間は研修という名目でAD半年、Dを1年半やった)。
スタジオで実際働いているDやADの人々は、おもに制作会社所属やフリーランスのスタッフだったのですが、年々社の景況が悪化していったことが理由で、外注費を削ることになりました。
外注費を削るということは社員が現場の仕事をやるということでありまして、それなりに(当時できる限りの)編成上の工夫をしても、生放送の番組は早朝から深夜、土日もあるわけです。

在籍の最後らへん、私は月~木のお昼の番組Pをしつつ、金曜昼の番組P 兼 構成をしつつ、金曜早朝は生放送のディレクターをしていました。

金曜昼番組の構成(原稿書き)が一通り完了してから金曜早朝の仕込みをして、仮眠を取って早朝生放送でキューを振るのが常でした。木曜は夜中2時~3時から役員応接室の会議用デスクや総務のソファーに寝袋を敷いて寝て、朝5時半頃には起きてスタジオに入るという日々が半年ぐらい続きました(仮眠室もあったのですが、だいたい他の番組スタッフが使っている)。

生放送が終了して軽くミーティングすると朝8時過ぎで、その後いったん帰宅しお風呂&あわよくば再度仮眠、昼の番組開始に間に合うように、11時半ぐらいにはまた出社、というリズムであったかと。

そのサイクルのとある金曜朝、自宅に徒歩で戻るときに、気づいたんです。
「あ、なんか私、斜めに歩いてる」

で、普通の週ならまだいいんですけど、世の中が連休になる期間などには、昼間の番組がイベント的に公開放送をやったりするんですよね。
となると、事前準備の作業、および当日の拘束時間が膨れ上がります。
そのとき「このままここで働いていたら、私は死ぬ」と思いました。

私が辞めたら一時的に先輩にしわ寄せがいく、というのももちろん知っていましたが「そんなん知るかい」という勇気と冷静な判断力がまだあったのが幸いでした。

2。上司から「残業をつけるな」と言われて財産の危険を感じた

社員が現場の仕事をするという方針が表明されたときに、そうなると一部社員の勤務時間がめちゃくちゃになるのは目に見えてましたが、当時のボスが言いました。
「なお、月20時間を超える残業代は出ないので、それを考慮したうえで勤務表を付けるように」

以下は、2009年07月22日03:05のmixi日記からの抜粋です。

▽夜2時
 タクシーで帰ろとしたら
 財布の中身が約370円
▽これはいかんと
 コンビニでお金下ろそとしたら
 残高が約740円
▽クレジットのキャッシングで
 なんとか給料日まで生き延びますが
 今週末はリサイクルショップで
 不要品売りさばいて
 夜の店で2日間アルバイトしたい
▽もしくは路上で詩を書いて売る。
▽お金はどうやったら
 手っ取り早く手に入りますか?
 ちなみに自由時間はかなりないみたい。

多少の脚色はしているとは思いますが、これが31歳正社員の日記かね?

なお、退職金は250万で、日常の危機を乗り越えた上に奨学金繰り上げ返済ができたというオマケつきでした。

3。10年やったらだいたいわかった

毎日、新譜や映画プロモーションのミュージシャンや俳優さんが来局するし、ナショナルクライアントの企画を考案したり計画したり実行したり、仕事自体はとてもやりがいがあって面白かったんです。
同じ日が二度とはない仕事ですからね。
ただ「業界として、ドラスティックな転換ってこの先にはないのではないか?」と思い始めました。 

諸先輩方の活躍を見るに、ある程度の名を為せるのは音楽業界方面か、広告業界方面。たとえば大物アーティストをブッキングするとか。クライアントをいっぱい付けて大規模予算プロジェクトやキャンペーンを成功させるとか。
うーん。前者は私向きじゃないなあ。後者は…先輩がたに任せたほうがたぶん早い。

いまでこそ、radikoでのエリアフリーやタイムフリーが実現して、ラジオというコンテンツが持つ事業的可能性に多少ワクワクできますが、当時の私にはその手の技術革新は思い及ばなかったのです。

4。転職活動で披瀝できる程度の実績を残せた

20代後半、二度めの過労自律神経ぶっこわれ症のときにも辞めたいブームがあったのですが、その時信頼していた人に「君にはまだ実績がない」と言われて思いとどまりました。真面目かよ。
その後「個人的に大好きないくつかのジャンルにかかわる仕事」を達成できたら、納得できるレベルだと考えました。

結果的に、達成したと自分で思ってる事例は下記の通りです。
・ラジオ局で(当時)おそらくいちばんパンを売った
・軽く鉄ヲタ。そんな私が生活を変えるような新線の開業日の特番を担当する
・お店をやるのも夢。そんな私がお酒メーカーのタイアップで、期間限定ワインバーを展開
・憧れていた某都市へ海外取材(ただし過労が引き金となるミスで、結局国際線に乗り損ねて未遂に終わった)

いずれもネタとして個別にパンチがありすぎるので、詳細は記事を改めます。。。

5。その他プライベートなこと

普通に30代をどう生きるか考えると、やはり仕事の比重が大きすぎることには危機感が大きかったです。
あと、やはり業界が狭いので、私的なことによるやりにくさも正直増えていってました。仕事で元カレ(複数)とか顔合わせたくねーわ。やりづれーわ。

そんなわけで、家庭を持つことも可能性のひとつとして前向きに検討するならば、別の世界に身を投じてみるのも良いのではという判断です。

…以上、いろいろ勘案して辞めました。


前の職場には、辞めた日の夜中2時頃までいて、次の職場は翌日9時に出社でした。
で、化粧ポーチをまさかの前の職場に忘れたのに気付いて、朝7時半に旧職場に出向き、担当していた早朝番組のADちゃんにこっそり連絡して、会社の玄関でポーチをこっそり渡してもらいました。

とりあえず退職により、寿命が延びたのは確かです。
当時の私に会えるなら、10年後にまさかの2児の母をやっていることを、声を大にして伝えたいですね。会わないけど。

おしまい。


カバー写真/そのへんのタワマン。いつも高い。なお筆者は住んでいない。


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