未然形の青春~『少年ノート』

(※物語初期のネタバレがあります)

ボーイソプラノは2度生まれる。

例えば中学に入ったばかりの頃、初めて入った音楽室で目にした、独特の配列を覚えている。
左から順に、ソプラノ、アルト、テノール、バス。女声と男声が、高音と低音が、この場所では明確に区別される。
男子部の席替えは学期の恒例行事だ。一人、また一人と席を移り、2年生に進む頃には、教室の右側は居場所のない声の吹きだまりと化している。
声変わり、である。
生来の歌声を失うことで、少年は肉体の時間の有限さを知る。
作り替えられた自分を受け入れるまでの短い時間、僕らは確かに揺らいでいた。

   *  *  *

鎌谷悠希『少年ノート-Days of Evanescence-』は、そんな少年期の喪失感を丁寧に写した漫画作品だ。

音に対する繊細な感受性を持つボーイソプラノ・蒼井由多香(あおい・ゆたか)が、ある海沿いの地方都市に引っ越して来たところから物語は始まる。中学入学と同時に合唱部に加わったゆたかは稀に見る歌声で周囲を驚かせ、歌の世界に引き込んでゆく。――やがて訪れる変声を惜しまれながら。

一言で表すのなら、合唱ものの青春群像劇となる。
けれどこの作品は“いずれ失われるボーイソプラノ”という題材をいわば反対側から照らしている。

天才は悩まない。
などということはないが、凡人はみな悩む。
本作の語り手を務める少女もまた“うたうりゆう”に悩んでいる。
町屋翠(まちや・みどり)。2年生。合唱部副部長。ゆたかを部に誘った張本人である。
ゆたか曰く“こだまなひと”。
哲学書の類いは小5で読破、常に一歩退いた立ち位置から皆をまとめ、大人びた物腰と舌鋒で教師をもたじろがせる早熟な少女だ。

みどりはゆたかに自分を誘った理由を訊かれ、こう答えている。

「興味があったんだ。君の、ソプラノに」(2話)

傍白が語る本心はこうだ。

“興味があるんだ。いずれ失われていくものについて――”

これはもちろんボーイソプラノのこと。
続いて、

「私はきっと、その中に歌う理由を探してる」

とキメ顔で告げて去ってゆく。
そのくせ内心で「我ながら中二病満点であった」と己を客観視してしまう。
町屋翠とは、そんな女の子だ。

“無限の可能性と選択肢を持つ私たちは、どうして有限の時間の中に生まれたんだろう”(7話)

この問いの中に、みどりとゆたかは出会い、交わる。

ゆたかはよく泣いている。きれいな音も汚い音も隈なく吸い込んでしまうゆたかの純粋さは、脆さと常に隣り合わせだ。

「僕はここにいるとさびしくないんだ」(5話)

プロに並ぶ実力を持ちながら学校の合唱部に居場所を求める、ゆたかの“うたうりゆう”だ。

それでも足並みを乱されることを不安に思う部員に対し、みどりは「同じほう見て歩いてるならそれでもう大丈夫なんじゃないかな」と鷹揚に答える。
思いのほか合唱の懐の深さを信じているのかもしれない。

しかし“恥ずかしげもなく歌う”ゆたかの姿に羨望を抱きながらも、みどりはどこか別の方角を見ている様子だ。

“止まらない時の中、自分の中に揺るぎない価値を見つけた人は幸福――だと思う”(7話)

ひとり道端の堤防で腹式呼吸に励んでいたり、初めて入った音楽喫茶の内観に頬を染めたり、“「合唱きもい」って笑ってた男子を謝らせ”たりするくらい歌に惚れ込んでいるくせに、みどりは頑なに自覚を拒み、「私は合唱が好きなんだろうか」と自分を疑う。

硬質な外見に、煮え切らない内面。半熟卵のような少年性が少女の今だ。

不確かなまま過ぎる時間を“青春”という言葉で括ってしまえるのかはわからない。
けれどその不確かさこそが少年少女の体に詰まったリアルなのだ。

最後に。
各話のを彩る合唱シーンと、その繊細な楽曲表現について触れておきたい。
といってもこればかりは説明不能で、実際に目で見てもらうしかないのだが、例えば1巻のターニングポイントである3話では、音楽喫茶〈ミューズ〉の店内で歌好きの大人たちに請われたゆたかがソロを披露する。
“宇宙の音がする”というその場所でゆたかが歌うのは合唱曲の定番〈COSMOS〉だ。

  “ひかりの声が 空高くきこえる”

本を閉じてもまだ聴こえている。




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作品案内

『少年ノート』鎌谷悠希(モーニングKC・講談社)

公式サイトで試し読みができます。→http://morning.moae.jp/lineup/105

既刊7巻は全国の書店または電子書籍ストアにて販売中。
最終8巻は7月23日発売です。

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