ブルーノ・フェイドゥッティ『ゲーム作家​​』『四本の腕で仕事をするということ』『栄えある海賊の歴史』

“ゲームもまたあらゆる先行作品から発想を刺激される  
参考や引用が行き交う文化的伝統の一員なのである”

好評第三回。ブルーノ・フェイドゥッティ『ゲーム作家』の全訳をお届けします。“The Games Jounral”の元記事はこちらです。

ゲーム制作に必要な資質は数学よりも歴史と文学によって育むものである——フェイドゥッティ氏の色濃いデザイナー論であり、また続く後半は豊富な経験に裏打ちされた共作論であります。氏と意見を異にする人であってさえ、こと共作歴において肩を並べられる人はまずいないでしょう。

以下、本文です。

ゲーム作家

私はゲーム発明家と呼ばれるのが好きではない。私にふさわしい肩書きは“ゲーム作家”であると訴えたい。ゲームを制作する人は発明家でもなければ探検家でもない。それはどこかに存在していたゲームを発見する人々を指す言葉だ。技師でもないので、遊戯の夕べを製造する機械の調整もやらない。ルールの最終稿の執筆がその根幹ではないとしても、その仕事は作家や文筆家の仕事に近いものだ。実際、ゲームの構造化は小説や映画の脚本のようにして行うものだ——少なくとも私や私とよく似た人たちは。私は映画業界の門外漢だがそれくらいは言える。

映画や小説のように、ゲームもまた物語を伝える。そしてその物語はゲームごとに変化する。映画や小説のように、ゲームもまた先行するあらゆる作品(本、映画、たいていの場合は他のゲーム)から発想を刺激される、参考や引用が行き交う文化的伝統の一員なのである。まさしくこれが、ゲーム化の形態のうちで間違いなく技巧性の最貧でありながら文学性と社会性で他を寄せつけない、ロールプレイングゲームこそがゲーム化の神髄であると私が見なす理由である。もちろんゲーム制作には技巧的で機械的な面もある。テストと調整がそれだ。しかしそれは映画や小説でも同じはずだ。そしてそのどちらも技術の産物とは見なされない。

ゲーム制作に複雑で数学的な計算が必要だとか、ゲームは数学の天才によってのみ作られるべきだとかいう偏見を持っているプレイヤーがしばしばいる。だがそれは真実ではない、たとえここ二十年で最も著名な二人——ライナー・クニツィアとリチャード・ガーフィールドのことだが——がともに熟練の数学者であっても。私を含めて作者の大多数はもっと文系気質であるし、文芸、劇場、ロールプレイングゲーム、テレビゲーム出身の人間もたくさんいる。ところで最後の分野ではより物語に特化した人が急増中だ。つまり小説執筆が好きな人が増えてプログラミングが好きな人が減っている。あなたたちの中には難解で数学的な“ゲーム理論”の資料を読む人がいるかもしれない。しかしこの数学的な概念はゲームの実体とさして関係がない上に、ゲーム作家の役に立つことはほぼない。

ゲームを考え出すのに知識人である必要はないが、やはりその開発のためには特定の技術的性向が必須である。少しの統計学、組み合わせ論、確率論は、カードを引いたりダイスを振ったりする際の結果分布を理解するのに欠かせない。しかしながら知識を深めることと数学の修士号を取得することとはまるで関係がない。そんなことは単に数個の道具についてどれだけ記憶しているかという問題にすぎない。ゲームに生命を吹き込めるようになりたければ、歴史か文学に精通するのが早道である。

文筆家の仕事のように、ゲーム作家の仕事は孤独だ。まずゲームを頭の中で検分し、次にその骨格を紙の上かコンピューターの画面の上で検分する。唯一、長い間アイデアを頭の中でこねまわし、そのゲームがプレイされるところを想像できたものだけが、アイデアを書き下し、カードリストとボードの概形を作製する過程に入ることができる。共同制作の機会は文芸よりゲームの方がはるかに多く、いつからかそれは私の特色になった。私が二〇〇五年に出した五つのゲームはすべて共作である。いずれも異なる作者が相手だ。これらの共作には二つの種類に分けられる——相手が商品になるまで仕事を続けたものか、ゲームの初期コンセプトを決める場に参加しただけのものだ。

四本の腕で仕事をするということ

(訳注:元記事にはここに歴代の共作を一覧する表がありますが、訳文では割愛しています)

後者の場合がもっとも多い。というのはそうした方がせっかちな作家(新しい仕事に突入したくて手持ちの仕事を片付けるのに熱心な人種)がよりすばやく、効率的で、楽しく(少なくとも私の場合)、働けるからだ。私が一緒に仕事をする場合、合衆国在住のアラン・ムーン、ドイツ在住のミハエル・シャハト、はてはブルーノ・カタラそしてセルジュ・ラジェでさえ(訳注:両名はフェイドゥッティと同じくフランス在住である)、共に働くのにそれぞれの所在をまもっている。ブルーノ・カタラは電話が大好きなので、よくいっしょにプロジェクトについて議論するのだが、それほどおしゃべり好きでない作家が相手のときはEメールやルールやボード画をやりとりするのが常となっている。インターネットができてからこの種の仕事の間口は大きく広がって、昔なら絶対にできなかったような共同制作ができるようになった。作者はそれぞれの側で自分のテストプレイヤーたちとテストを行い、その後に印象やコメントを伝えあい、テスト中に見つかった小さな問題の解決を見込んだ試案を交換する。こうした定期的なやりとりは単独の作業と比較してゲーム制作の進行をずっと速く変動の大きなものに変える——そして一般によりよい結果につながる。二人の作者と二つのテストプレイヤー集団による承認がないとデザインが終わらないからだ。作者同士が同じ席に着くこともいっしょにプレイすることもないままゲームが出来上がることも——出版されることさえ——まるで珍しくない。

もうひとつあるのは、ある作者が見込みのありそうなプロジェクトを前にしながら停止してしまい、機械を再起動させるアイデアもテーマもメカニズムも浮かばなくなってしまう状況である。ひとつの解決策はそのプロジェクトをしばらく寝かせて置くことだ。プロトタイプを棚にしまい、パソコンのファイルをハードディスクの遠く隅に追いやって、その間ずっと閃きを待つのである。しかしながらそんな閃きが毎度毎度訪れるはずもなく、ありうる結末ではその将来性にも拘わらずプロジェクトは月日とともに記憶の靄の向こう側へ消えてしまう——私はよく箱一杯のポーンやカード、図などを見つけるのだが、それをどうしようとしていたのかは微塵も思い出せたことがない。こうならないためには、プロジェクトに新たな目線を持ち込んでくれたりプロジェクトをすっかり引き受けたりしてもらえる共同制作者を見つけることだ。

栄えある海賊の歴史

ポール・ランドルス——『海賊の入り江』(訳注:プレイヤーが海賊となってカリブ海に浮かぶ六つの島を舞台に財宝と名声を争うゲーム)の作者の一人——は『宝の島』という続編を作っていた。それは前作同様、黒髭のカリブ海世界を舞台とするアクションものだったが、時代は二三世紀進んでいた。もはやプレイヤーたちの役職は海賊の団長ではなくなり、海底を攫うトレジャーハンターとなって、金貨や宝石を満載したまま沈没したガレオン船(訳注:十八、十九世紀に盛んに作られた大型帆船。海賊船と聞いてみなが思い浮かべる造形はこれである)やスキフ(訳注:小型船舶一般のほか、特に海賊が使う小型モーターボートの意味がある)の残骸を探し求める。数ヶ月後には末期の病気との闘いに明け暮れることになったポールにはこのゲームを完成させる十分な時間がなかった。出来上がるのが非常に楽しみなゲームだったにも関わらずである。そこでポールは世を去る少し前にそのゲームを別のアマチュア海賊に預けた。マイク・セリンカー、スパニッシュメインの海賊団で働いていた男である(訳注:スパニッシュメインはカリブ海沿岸のある地域を指す)。マイクがたくさんの要素を加えて最終調整を行った結果、ゲームは戦術性とブラフに富むものになったが、コマ類のせいで準備やプレイが少々厄介なことになっていた。私がこのゲームをプレイするよう頼まれたのは『アランムーンの友の会』(訳注:『エルフェンランド』『チケット・トゥ・ライド』などのデザイナーであるアラン・ムーン主催による招待制のゲームイベントのことらしい)の時だ。私はすぐに、ボードとトークンとポーンによる表現物がカード一つでまかなえることに気がついた。この提案によって私はこのプロジェクトに第三の車輪として加わることになった。数週間が経った後、私はすでに島に酒場を組み込んでいた。行動計画のシステムをわずかに修正し、すでに三人の作家の足跡がしっかり刻印された作品に最後の手を入れた。ポール・ランドルスの初期制作版から残るものさえ例外にはしなかった。こうして出来上がったゲームは、デイズ・オブ・ワンダー社からの出版を逃した。続いてアミーゴ社からも。しかしティルジット社からこの秋に登場することになっている。おそらく『宝の島』と呼ばれるだろうが、もしかしたら『サルガッソー』と、あるいは『キーラルゴ』と呼ばれるかもしれない——全世界の人間が沈んだ財宝を思い起こすことのできるタイトル案を歓迎する(訳注:すでにお気づきのように『キーラルゴ』になった。割愛した表にその名称で記載されているので、ある種のユーモアだと思われる)。

——ブルーノ・フェイドゥッティ
(フランス語からの翻訳はフランク・ブランハム)

(初出『Des Jeux Sur un Plateau 』マガジン)

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