天津神、国津神、零落神、妖怪・・・

いつの時代も、そういうモンだよね?と思うのだが、勝った者の天下。
天孫降臨があって、日本が統一されました。
その途中で帰順した者は国津神とされ、生き残りました。
そうでない者は、零落神、妖怪という扱い。

日本で最多の総理大臣を出している山口県にしたところで、明治維新に勝者側だったから、そういう結果になったのであ・・・いけね、私も山口県人。
敵を近くに作る気はない。身近に例があったから挙げてみただけ。

第二次世界大戦の後、GHQがした事、条約締結の隙間を狙って北方領土を、などと書くと人それぞれ主張があるし、まだ生々しいから・・・

はるか昔(と書いて責任逃れ)、「常陸風土記」には中央文化から切り離された人々がのんびり暮らしていたらしい。
それに対して、相当に偏見をもって、極悪人の群れであるかの様に記述して「支配される」という意味すらもわからないまま、皆殺しにしたと記されている。

この、元々その土地にいた人々にとっては、襲撃する側が魔物であり、襲撃する側からしたら、滅ぼした先住民が打ち倒すべき魔物たちだったという解釈になる。
仲良くなって、一緒に料理を食べ、酒を酌み交わせば良いのに、などど私は思ってしまうのだが・・・

「自分たちと違う者たち」に対する人間の根源的な「滅ぼそうとする」感覚は、あちこちにみられる。
北海道に松前藩が置かれ、いつの間にか先住民のアイヌ(アイノ、がより正しいらしい)の皆さんが追いやられている。
日本だけの話ではない。アメリカ合衆国にしても、先住民をどれだけ犠牲にした事か。そしてマイノリティへの・・・

まぁ、そういうワケで民主主義ですとか言いつつ、
「数が多い方が、少ない方を傷めつける事が理にかなっている」
というのは、文明人としていかがなものか?

そういう事だから、ちょっとした気配りで今でも見られたはずの、今や希少動物になってしまった獣たちや、絶滅危惧種の昆虫、鳥その他・・・
もうコンピュータグラフィックでの画像再現でしかお目にかかれない、動物だっている。ステラ大海牛などなど

そのうち、彼らの祟り(?)がつのって、人間が滅びるかもしれない。
しかも、表面上は人間の手で、自らの種の首を絞める形で。
それ程に、人間の業は恐ろしいと、人間である自分が思う。

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