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誘致合戦が繰り広げられていたスカイツリー

東京スカイツリー
(2015年撮影)

 明日(5月22日)、東京スカイツリーは開業からちょうど10周年を迎えます。
 高さ634mの電波塔はすっかり東京のランドマーク的存在として定着しています。

 墨田区の業平橋・押上地区にそびえ立つ東京スカイツリー。実は誘致合戦が繰り広げられていました。

 東京タワーに代わる新しい電波塔(以下、新タワー)の構想は2000年代から始まり、東京23区内の各地域で新タワーの誘致活動が行われました。
 その誘致活動に名乗りを上げたのがさいたま市。さいたま新都心に新タワーを建設しようと誘致活動に積極的でした。
 一方、東京23区内の各地域で繰り広げられていた誘致合戦は墨田区の業平橋・押上地区に決まり、新タワーの誘致合戦は墨田区とさいたま市の一騎打ちとなりました。

 しかし、新タワーの影響による電波の受信障害のエリアが広くなることやその対策費用が巨額になることがネックとなりさいたま市は落選。最終的に新タワー(現・東京スカイツリー)は墨田区の業平橋・押上地区に建設が決定しました(2006年に決定)。

 さいたま市のさいたま新都心で新タワーの建設予定地であった街区は、現在「さいたま赤十字病院」等の医療施設として活用されています。

 東京スカイツリーが開業するまで、このようなドラマがあったという今回の記事でした(私の地元さいたま市が絡んでいたので)。


<参照サイト>


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