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第6回せんだい短編戯曲賞最終候補作品を読んだ感想

毎年のことだけど、今、第6回せんだい短編戯曲賞の最終候補作品が、大賞発表までのあいだ期間限定で公開されている。

↓ココ↓
http://www.gekito.jp/?pg=1532159831 (現在は作品公開終了)

ここ数年、大賞発表までに最終候補作品を全作読み切ることがなかなかできなかったんだけど、今年はなんとか間に合って、奇跡的に10作品とも読了した。
自分史上すごいことである。
そこで、それを記念してひとつ感想を書こうと思い立った。

ところがプロフィール欄にも載せてる通り、ぼく自身も劇作をする身である。
そうすると、こういう場でヒトが劇作したものにアレコレ言うと、その「アレコレ」がそのまま自分の戯曲に跳ね返ってきたりする。「エラそうなこと言ってるくせに、実際お前が作ったのはコレか」みたいな。
なので「ここから書く感想は、じぶんのことは完全に棚上げして好き勝手に云々」みたいな言い訳を先にしとこう、と思った、のだけれど、考えてみたら「エラそうに言ってたわりに実際コレか」という反論は至極フェアなので、言い訳やめてエラそうに開き直ろうと思う。

まずは10作品を読み通した感想。
さすが最終候補に残る作品なので、それぞれにいろんな景色を見せてくれる。
町案内にたとえると、「へえ、この町にこんな隠れた名所があったのか」とか「あ、こんなルートでこの通りに出るのか」とか「この時間帯だと、見慣れた町並みがこんなふうに見えるのか」みたいな、それぞれに趣向が凝らされていて楽しかった。

でも。(※注意!ここからがエラそうです)

その町案内が終わったとき、真っ先に感じたのは「その先にきっとあるだろう、まだ見たことない景色が見たかった」という思い。そういう感想をもった作品が多かった。「その角を曲がったその向こう」「その坂を上りきった先にひろがる景色」「その高い壁の向こう側」みたいなところまで連れていって欲しかった。

そんな中で、好きだと思ったのは、山本正典さんの『一人多い家族』と、ピンク地底人3号さんの『わたしのヒーロー』と、國吉咲貴さんの『朗読劇』の3作品だった。

『朗読劇』は、最初は不条理だと思っていたものにSF的な合理性が付されて、思考実験の白い箱(施設)の中、みたいな世界に連れていかれる。会話の途中に差し込まれる独白が面白い。でもぼくはあの会話のリフレインは利いていないと思った。あの一言一句おなじことを繰り返すリフレインは、「不条理」とは親和性が高いけど、そこに合理的な説明をするのなら、もっと(せめて後半は)崩れていかないとおかしいと思う。ナマっぽさが欲しいと思った。

『わたしのヒーロー』は、時系列をいじくってパルプフィクション的な面白みがある。そしてなんといっても会話が面白かった。「敬語です。私は敬語を喋るんです」とか。関西弁を操れる劇作家は、それだけで「ズルイな」といつも思う。とくに会話劇では、関西弁というだけでナマっぽさが出る。
ラストについては、1回目読んだときは完全に蛇足だと思った。2回読んだら、そんなに蛇足感はなかった(テーマは通底してるし、まあ分かるか、という感じ)。でもぼくは1回目の読後感のほうを信じる。1回目のときのぼくは、最後にあの景色を見たいとはまったく思わなかった。その感覚は、信じるに足ることだと思っている。

『一人多い家族』はバリバリの不条理劇として読んだ。で、これについては面白かったという読後感以外、まったくよく分からない。たぶん不条理劇にも、数をたくさん読めば「良い」と「良くない」とがあって、その評価軸で見れば優劣があるのだろうけれど、そのものさしは、ぼくにはまだない。ただ、ホラーと悪ふざけを同時に見るみたいな世界観は最後まで一貫していて、今回の最終候補作のなかで完成度はいちばん高いと思った。笑えば笑うほど、おぞましさが増す、みたいな。

以上、いろいろ書いたけれども、実際の大賞発表は10月末の予定。
ここに挙げなかった作品が大賞をとっても、もちろんちっとも不思議じゃない。上記3作品はたんなる好みです。
ちょっとでも気になった方は、ぜひ実際の作品に目を通してみて欲しいと思います。以上。


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