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劇作に向けた龍潭譚の分析(9)

第9章 ふるさと

ぼくがこの龍潭譚という作品に心奪われた理由は、この章にあると云っても過言ではない。最初に読んだときは衝撃だった。なぜなら、神隠しから舞い戻ってきた少年の「きつね憑き」の心象を、内側から鮮やかに描きだしていたからだ。

老父に町の外れまで連れてこられた少年は、ようやく見知った場所(町の外れ)に解放される。ところが、このとき少年の精神状態は正常にはない。一つに、うつくしき人との別れに傷心していたためである。また一つに、彼女を通して母の面影に触れてしまったがゆえに、もう一度母を喪失してしまったためである。さらには、初めて舟に乗ったことから、身体的にも平衡感覚を失っていただろう。ふらふらと町をさまよう夢遊病者のような少年を見て、顔見知りのはずの町の人々は、誰も彼に声をかけようとしない。おそらく、神隠しにあった子どもの呆けた様子に、ある種の穢れを感じとったのだろう。

少年は、母亡きあとに後見人となった叔父に見つかり、手荒く家に連れ戻される。少年は「また庭に引出して水をやあびせられむか」と思って泣き叫んで暴れる。が、暴れるがゆえに屋敷の小部屋の柱に縛りつけられる。叔父は家の者たちに向かって云う。

「やつと取返したが、縄を解いてはならんぞ。もう眼が血走つて居て、すきがあると駆け出すぢや。魔(エテ)どのがそれしよびくでの。」

ここから「乖離」が拡がっていく。

少年が家にもどったことを知った姉が駆け寄り、さめざめと泣いて彼を抱きしめるが、笑ってみせる少年の表情は、薄気味が悪い印象を周囲の人に植え付ける。これまでどこにいたのかを問われ、経緯を話そうとするが、うまく話せず「心の狂ひたるもの」として扱われる。さらに、かつての友たちは、「気狂の、狐つきを見よや」と口々に言って、庭のそとから石を投げつけてくる始末。その酷い扱いに、少年の心は傷つき、気が狂いそうになる…という負のスパイラル。

こうして少年は、しだいにあの「九ッ谺」に帰りたいと心焦がれるのである。

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