Mr.daydreamer番外公演『美々礼賛』観劇@古民家油や(公開ゲネ)

 面白かった。
 演劇ユニットMr.daydreamerの上演を観るのは、ぼくは今回が初めてで、しかも「番外」と銘打たれた公演なので、これまで上演してきた作品の系譜から何かを語るみたいなことは残念ながらできないが、ただ、上演時に配布されたリーフレットを見ると、団体の立ち上げ時から「現代悲劇をつくる」を理念として掲げているとあったので、そこから想像するに、おそらく今回の上演もこれまでの本公演に連なる正統な(?)系譜の作品なのだろうなと、勝手に推測している。
 上演時間としては60分くらいだったと思うけど、前述の配布リーフレットに「日本の蛇神伝説を参考に創作した」と書かれているように、ある種、神話的な大きな構えをとった作品だった。「ことば」そのものへの作家の問題意識を演劇の形に焼きつけて捉えようと格闘している作品、というふうに、ぼくは観た。蛇、桜(ソメイヨシノ)、花、毒、戦争……といったイメージを、ことばの言い回しや詩の引用、押韻といったギミックで次々に変化させていって、なにか大きな構造を描こうとしている、という点ですごく刺激的だった。
 ただ、これは自分も劇作をするのでよく判る(と、判ったような顔で言いたくなる)のだけれど、頭の中に渦巻くイメージをしっかり掴まえて、それらでもって何らかの「世界の構造」を描き出そうとすること――すべてのイメージが大きなうねりの中で、蠢きながらもただ一点に収束していくような、そんな瞬間を描くこと――は、作家のコントロールだけでできるようなことではなく、もうほとんど奇蹟のようなものじゃないか、と思っている。それができたら大傑作。その意味では、今回の「美々礼賛」は、その途上にある作品だと思った。
 60分という上演のボリュームも関係はあると思う。個人的には、途中、イメージが膨らみきらないままラストの収束に向かってしまったと感じた。じゃあどうすればよかったのかと聞かれたら、ぼくにも正直分からないし、「もっと奇蹟に向かって作家として格闘するしかないんだろう」みたいなことしか言えないけど、ただ直感的には、たぶん「ことば」の不在をもっと描く必要があったんじゃないだろうかとは思う。ことば以外の手段で。そうして、上演される「沈黙」にもっと観客が押しつぶされるような重みが出てきたら、それこそ大傑作になるんだろう、と、想像してみたりしている。
 今回、公開ゲネという形だったけど、この上演を観ることができてよかった。少なくとも、奇蹟に向かって格闘するだけの武器はふんだんに持っている作家だと(ちょっと羨ましくも)思ったので、今後もぜひ書き続けてほしいなと勝手に思っている。

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