M.M.S.T [La Douleur『苦悩』]の公演について

ぼくが上演テキストを書いた、M.M.S.T [La Douleur『苦悩』]の公演が終了しました。

観てくださった方々、キャスト、スタッフのみなさま、上演に際してご協力いただいたみなさま、本当にありがとうございました。

ぼくは土曜日の回を観たのですが、とても素晴らしい上演でした。いろんな演劇公演を観ていると、そのなかに、個人的に特別な公演――これは永く自分のなかに残り続けるだろうと予感する上演があります。

じぶんの嗜好とかそのときの生活環境とか心象が大きく作用して、その「個人的な特別」が生まれるのだと思いますが、今回の『苦悩』の上演は、ぼくにとってそういう上演でした。

観劇した方には、たぶん全員に共感してもらえると思うのですが、まず今回の上演は観るのにとても集中力を要する、観客にとってしんどい上演でした。ぼくなりに表現すると、「立方形の空間に封入された圧倒的読書体験」。そう、名目上は演劇公演(あるいはパフォーマンス)でしたが、あれはぼくにとっては本質的には「読書体験」でした。

テキストと俳優(パフォーマー)の身体がどのような関係で結ばれるのか。多くの場合、上演テキストは俳優(パフォーマー)の声として観客へ発せられるのが普通ですが、今回はその8割くらいを観客が読む、という形で上演されました。

その上で、俳優(パフォーマー)の身体ないし存在をつねに意識せずにはいられないような仕掛けがしてあって、「どう観ればいいのか」を掴むまでは正直戸惑ってしまうものでした。たぶん観客一人一人が、それぞれ折り合いのつく観方を探しながら観ていたんじゃないかと思います。ぼくは、じぶんの中で「読書体験」だと捉えました。すると映像が、音楽が、光が、字幕が、舞台美術が、そしてなにより俳優の身体が、鮮やかに記憶に残り続けるような読書体験をぼくのなかに形作っていきました。

これがたった二回の上演で終わるのは非常に惜しい。もっといろんな人にも体験してほしい、という思いがある一方で、でもちょっと、子供のときの宝箱みたいに、この体験を自分だけのものとしてひそかに隠し持っておきたい、という気持ちと、今は2つの気持ちが入り乱れている、そんな感じです。

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