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劇作に向けた龍潭譚の分析(3)

第3章 かくれあそび

迷子から生活圏に帰還した少年が足を踏み入れたのは、見覚えのある鎮守の社であった。俗世と神界のはざまに存在する神社という磁場が、ここで物語に作用する。さらにはそこで少年が出逢うのは、かくれあそびをする貧しい界隈の子どもたちだ。彼らは同世代という意味では少年と同類であるが、ふだんまったく交流のない(社会階級の)者たちという意味では、異物である。また、彼らの興じるかくれあそびとは、子らがヒトとオニとに別れ、不在と存在のはざまを遊ぶ児戯だ。

龍潭譚は、ひとりの少年が俗世と異界のはざまを行き来する物語だが、その端緒はすでに仕組まれている。あまつさえ刻は夕暮れ、昼と夜のはざまに少年は在る。

「お遊びな、一所にお遊びな。」そう貧しい子らに誘われた少年には、二つの選択肢がある。昼の気配が残っているうちに家に帰るか、彼らとかくれあそびに興じるか。そして少年は彼らの誘いに乗り、じゃんけんの末、かくれあそびのオニとなるのである。

もうひとつ注目したいのは、少年の子らへの差別意識だ。少年は貧しい子らにあからさまな優越性を感じており、それは、物語の後半で少年の社会的立場が反転する伏線ともなっている。ともあれ、この夕暮れの神社に一人とり残された少年は、この後、ふいに現れた「うつくしきひと」に出逢うのである。


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