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劇作に向けた龍潭譚の分析(7)

第7章 九ッ谺

うつくしき女に添い寝してもらい、少年は柔らかな布団で眠る。龍潭譚の中で、ぼくがもっとも好きな場面のひとつだ。

「一ッ谺(ひとつこだま)、坊や、二ッ谺といへるかい。」
「二ッ谺。」
「三ッ谺。四ッ谺といつて御覧。」
「四ッ谺。」
「五ッ谺。そのあとは。」
「六ッ谺。」
「さうさう七ッ谺。」
「八ッ谺。」
「九ッ谺ーーここはね、九ッ谺といふ処なの。さあもうおとなにして寝るんです。」

この子守唄のような、数え唄のような、何の意味もない会話。やけにテンポだけがいい会話。さらに続けて、次の描写。

背に手をかけ引寄せて、玉の如き其乳房をふくませたまひぬ。露に白き襟、肩のあたり鬢のおくれ毛はらはらとぞみだれたる、(中略)垂玉の乳房ただ淡雪の如く含むと舌にきえて触るるものなく、すずしき唾のみぞあふれいでたる。

ここでは、母への恋慕の念とエロティシズムとが、少年の幼さの原野に混在している。おそらくこの心象こそが、少年をして異界へと引きつけたのだろう。

ここで、ふいに屋敷の天井裏に化け物の気配が現れる。

うつくしき女は「今夜はお客があるんだから、いけません」と天井にむかって一喝し、ひとふりの守刀を手箱からとりだしてきて少年を安心させる。ここでは女は完全に少年の守護者である。では、夜中に天井裏に現れたあの化け物は、いったい何であろうか。女は、物ノ怪たちを相手とする娼婦なのだろうか。

女に守られて安心した少年は眠りにつこうとするが、すっかり目が冴えて眠れない。少年は顔を上げ、おずおずと自分をやさしく抱いて眠る女の寝顔に触れようとする。しかしどれほど指を伸ばそうと、その指先が女の顔に触れることはない。女はまるで靄のように、その存在が不確かである。面影のなかの母がそうであるように。

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