雨傘屋「隣にいても一人」@Studio.in.K.
面白かった。
「夫婦」を巡る不条理喜劇。
でも一番面白いと思ったのは、ことばあそびの練度。雨傘屋を観るのは、「わが星」「禿の女歌手」「すなあそび」に続いて4回目で、ことばあそび自体は「禿の女歌手」がいちばん面白かったと思うのだけど、それを体現する役者の練度は(「禿-」よりもことばあそびがミニマムな分?)今回のほうが高く、とても心地良かった。
とくに開始10分間のやりとり。この公演の記憶として、たとえば数年後に真っ先に思いだすのは、あの10分間だと思う。
「夫婦になる」「夫婦である」ということばと実相の間にひそむ異物感。それがこの作品の肝だと思った。けれども、前述のことばあそびと、それを契機に闖入してくる妄想(3人のイイジマさんとか)が、その「作品の肝」にたいして、貢献ないし機能している、というふうには感じなかった。
なぜ感じなかったかというと、「夫婦になる」というときの異物感には静かなおぞましさを感じるけれど、ことばあそびとあの妄想には、同種のおぞましさを感じられなかったから。
ことばあそびについては、途中からは孤立したことばあそび(ことばあそびの為のことばあそび)に思えて、ちょっと飽きてしまった。妄想の闖入については、ただただ単純に楽しかった。
まったく異質の「不条理」、いわばオトナの不条理とコドモの不条理が混在する面白さはあったかもしれない。でもそれはとても好意的な見方という気もする。ぼくはどちらかというとコドモの不条理が大好きなので、だったらやっぱり100%のコドモ不条理を観たいなと思った。
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