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トンネル

 10代の頃、自転車で九州一周旅行をしたことがあって、そのときに昏いトンネルを通った。

 あれは鹿児島だったか宮崎だったか。たしかフェリーで沖縄に渡るまだ前だったから、熊本から南下した先の鹿児島県のどこか山奥だったはずだ。国道を走っていた。ぼくはあのとき、国道というものが何車線もある太く立派な道路から、山間を縫うひょろ長い道路へまで実にさまざまに変幻するものだと初めて知ったのだった。それはさておき、汗だくになりながらぼくは、うねうねと山の容貌にそっていつまでも続く坂道を自転車押しながら歩いていた。

 沿道から人家がなくなって、でも周囲の木々の背がそれほど高かった記憶はない。つまり森の豊かな山ではなかったのだろう。国道のアスファルトに照りつける日射をさえぎるものがなくて、とても難儀した。なにより記憶に濃く残っているのは砂ぼこりだ。道路も、木々も、陽ざしすら砂ぼこりに覆われていた。汗ばんで発熱するこのちっぽけな人体以外は、世界が干あがっていた。

 トンネルはふいに現れた。上り坂の傾斜がややゆるやかになって、カーブの先の国道のゆくてをふさぐ山体が、半月状にくり抜かれていた。くり抜かれた跡をざらざらしたコンクリートで固められ、照明灯のたぐいは壁面に一つも埋めこまれてなかった。ただ無造作にくり抜かれただけのトンネルが、山のうえに何年も、あるいは何十年も放置されていた。

 ぼくはそのことに慄いた。電気も通らず、人里からも離れ、世界から忘れさられた遺構が、こんな乾ききった山のうえにひっそり息をひそめていたなんて。しかも熊本から脈うち延びる国道の、日射と砂ぼこりを抜けたその先に。

 トンネルは長く、暗闇の遥か向こうに半月型の光りが小さく見えていた。ぼくは自転車にまたがって、ペダル踏みしめた。前輪の発電灯をつけるとタイヤの回りが重くなるので、疲労した足には酷だと思ってやめた。せっかくならこの暗がりを暗がりのまま走りたいという思いも働いた。とりつくしまもない真っ暗闇ならいざ知らず、向こうに小さいながら出口の半月は見えているのだから。

 ぼくは半月の光りめざして自転車を走らせた。でもすぐに怖くなった。目をもつ生物として正当な恐怖だった。ゆくてと背中に外界の光りは見えてるはずなのに、ハンドル握るぼくの両腕が、暗がりに塗りこめられてまったく見えなくなったのだ。

 ぼくも、自転車も、もはやどこにもなかった。そしてぼくは呼吸になった。今、この闇の遺構のなか、発火する息だけがぼくという存在で、その吸っては吐く熱い息、吐いては吸う熱い息は、ただひたすらにあの半月を目指している。

 突如、暗がりの底が震えた。そのすぐあとに瀑布のような轟きがあって、あっというまに息が呑みこまれた。背後から眩しいライトが暗闇裂いて、大型トラックが迫った。それと同時に影の合間からたち現れたぼくと自転車のフレームは、あわてて脇に寄ったおかげで難を逃れた。巨大な車体が身をふるわし通りすぎ、やや遅れてトンネル内に怒号のようなクラクションが響いた。

 そのとき、ぼくは、この闇の遺構のなかで人知れず地面に転がる車軸の折れた、かつて自転車だったものの残骸を想った。闇に沈み、息をひそめ、二度とは回りだすことのない車輪を想った。

 そこには当然ながら、もはや発火する息はなく、それゆえ存在もしない。ただ闇に溶けて安らかである。小さな半月の光りも瞬いている。いつ見ても目指すべき半月が遥か向こうでゆらゆら揺らめいている。それは海の底から眺めるみなものように、とてもまばゆく幸せそのものである。


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