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よのなかのこと

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私が世の中で思うことを示した記事たちです。
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2021年11月の記事一覧

二雙の舟

人は誰しも、もう1人の自分がいる。 もしかすると、もう1人どころではないかもしれない。 アニメなどに登場する、天使と悪魔のようなものだろう。 悪魔とまでは言わなくとも、緩急といったところだろうか。 これほどまでに単純であれば良いのだが、さまざまな側面・視点に基づくものだから、一筋縄ではいかない。 物事は単純化した方が理解が進むから、多少の危険性はあるが、自分の中に2人いるとしよう。 そして、常にこの2人は協力関係にあるとみてよさそうだ。 何をどう考え、どうするかは自分次

私の問題集はあなたにはたやすく見える

2人のカバンの中には違う問題集があるという。 代りに解いてあげたなら、代りに解いてくれるかな。 みんなが得意なあれこれが、あの子にゃ上手くいかない。 でも、あの子の得意なものはみな、誰もが出来ないこと。 あの子だけ、なんか違う。 いざ当事者となったときに、解き難い問題もあれば、本当に解けてしまう問題もあるだろう。 人に自分と同じことを求めないことだ。 もし、求めたいなら、相手ができることも自分ができている必要がある。 それは自分が求めることを「自分はできる」ということで

失せ物がありまして

失せ物がありまして、まだ探しています。 そこでまだ此処にいて、旅立てないのです。 失せ物は、どこで失くしたのか判らないものだ。 見当はつけられても、ここという確証は得られない。 もし、確証があるとすれば、それは失う覚悟か、失うことへの諦めをしたときだろう。 もとい、失せ物が何か判っているなら、まだ良い。 失せ物が判らないということもあるだろう。 それは、失ったということを気づかなかったか、気づいたときには何を失ったのか明確に判らないときだ。 失ってはじめて気づくことは、

社会貢献は特別なことでない

人は、みな、生きているだけで社会貢献している。 経済を回しているし、良くも悪くも周囲の人に影響を与えている。 どこか、ボランティアなどの特別なことをしなければ、社会貢献にならないような節がある。 プラスアルファでしないよりも募金、募金よりもボランティアのようなこともありそうだ。 これに加え、その行いに伴う影響度も関係してきそうだ。 そもそも貢献という言葉と組み合わせること自体が面白いことだ。 あたかも人は、ただ生きているだけでは社会にプラスを与えないかのような前提に立っ

いたましい事件を防ぐのは

社会的な不安が高まると、どんな人でも、少しの状況の違いで、心に傷を負ってしまうことがあるだろう。 多くの場合、心が健康、あるいは、まだ治癒するに耐えられるだけの傷で済んでいる。 その傷が、どうしようもなくなったとき、自分に向かうか、他者に向かうか。 社会的な不安というのは、今のような疫病の蔓延、経済の落ち込み、閉塞感などが原因となりそうだ。 通常、数字として見えやすいということもあり、失業率が指標になる。 誰しも手に職があって、職場も自身も健康で、必要最小限の文化的な生