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よのなかのこと

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私が世の中で思うことを示した記事たちです。
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2021年8月の記事一覧

なんてことない日

多くの人は、今日という日を”なんてことない日”だと思うことでしょう。 とりわけ外国の人や外国にいる人は、特にそう思うことでしょう。 いや、誰それの誕生日だとか、誰それの記念日だとか、誰それの命日だとか、およそ個人的な節目となる日の人も居ないこともない。 それはきっと、76年前の今日という日を生きた人々も、同じだったことだろう。 もちろん、今の感覚で当時をピンポイントで考えれば、”なんてことない日”なわけではない。 でも、当時の感覚からしたら、あれがなければ、もしかす

わたしは主人公

”わたしは主人公”というモチベーションは何をくれるのだろうか。 もれなく人は、「わたしは主人公」と思う生き物だと考えると、全てが楽になるのかもしれない。 おそらく、誰もが認める清く正しい人も、何かしらの”満足感”や”達成感”などの”やりがい”を感じて、それが次への原動力になっている。 その意味では、誰しも「わたしは主人公」と思っていると言えよう。 言い換えるならば、”自分を中心に考える”ということ。 こう言い換えると、とても品がないようにも思えるが、冒頭2行目の文面

対岸の火事せず

自分に無関係で、何ら苦痛もないこと。 「対岸の火事」は、しばしば「明日は我が身」という意味も含ませて使われるように感じる。 これでは少し具合が悪いので、ここでは、明日は我が身という含みも持たせるために、「対岸の火事せず」と言うことにしよう。 というか、往々にして「ではない」などの否定形とセットで使われている。 対岸の火事せず。 72年前、広島に人類史上はじめて人に対して使われたものがある。 72年前の今日、長崎にも同系のものの爆発が起こされた。 当時は、ラジオ放

生活の中に転がる石

よくチャンスは平等にあると謂われる。 これは、みんなチャンスは同じ数あるのだけれど、いくつ見つけられるかによることから、そう謂われるのだと理解している。 「見つけられるか」とは「気づけるか」ということでもある。 多くの場合、義務教育の過程や日々の暮らしの中で、「これを触ると熱いんだ」「こうすると怒るんだ」などと学んでくるものだ。 言葉・文章やデザインなどは、どうなのだろう。 一定程度は学校で教わるが、その大半は日常生活で得ていくものだと思う。 その能力の向上にはイ

加えるものと被るもの

厳密には違うのだけれど、国・国民が大切にしてきたものとしては、間違いではないのかもしれない。 そして、全国一斉にという意味合いとしても、そうかもしれない。 意味を考えれば、実はいつだって良いのかもしれないとも思える。 加えるものがあるならば、被るものもある。 相手があっての加えるものである。 相手があって被るものである。 それは一方通行ではなくて、相互のときもある。 むしろ、この場合は必ず相互である。 誰が最初かも重要だが、はじまってからは双方に責任がある。 その背景に