七色のポエジー(書きとめておきたい古今東西の詩句)
第403回 智慧の相者は我を見て(蒲原有明)
智慧の相者(そうじゃ)は我を見て今日し語らく、
汝(な)が眉目(まみ)ぞこは兆(さが)悪しく日雲(ひなぐも)る、
心弱くも人を恋ふおもひの空の
雲、疾風(はやち)、襲はぬ先に遁(のが)れよと。
明治の詩人、蒲原有明(かんばら ありあけ、本名は隼雄(はやお)、 1875~1952)の「智慧の相者は我を見て」の第1連。仏教の知恵を備えた観相占いは、〝我〟の目の奥底が凶兆に曇っているのを見る。そして、心の弱さから恋の煩悩に囚われる前に逃走するよう警告する。
蒲原は東京、麹町で旧佐賀藩士の家に生まれた。国民英学会で学び、同人誌に詩を載せるようになる。巌谷小波の木曜会に入り、ダンテ・ロゼッティや上田敏の影響を受けた。1908年に掲出の詩を含む『有明集』を刊行し、象徴詩手法を確立した。
象徴主義は、感情をストレートに表現する抒情詩に対し、暗示によって微妙な心理や不可視の事物を表現しようとする。この後、明治40年代に入ると、一気に口語詩が広まり、文語定型の新体詩は姿を消していく。『有明集』は最後の新体詩集となった。
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