クリスチャン・ラデフさんによる『この世界の片隅に』レビュー全訳
以下の文章は、英国のクリスチャン・ラデフさんによる『この世界の片隅に』のレビュー全文をきしるなお(twitter:@xylnao)が翻訳したものです。
http://vulturehound.co.uk/2016/11/an-ode-to-stolen-moments-in-this-corner-of-the-world-film-review/
奪われた時間たちに捧げる詩〜『この世界の片隅に』映画レビュー
2016年11月29日 クリスチャン・ラデフ
この映画を紹介してくれたアニマツ・エンターテインメント重役のひとりジェローム・マザンダラニは「すべてが糞だった2016のような年だが、『この世界の片隅に』があるぞ」と言った。まったくその通りだった。
『この世界の片隅に』では1933年、広島での浦野すず(能年玲奈)の幼年期から話が始まる。そこでは幼いすずの笑いと家族愛、そして暇さえあればあたりの絵を描くすずの芸術的才能を垣間見ることができる。実生活と同じく至福の時間は飛ぶように流れ、1943年には19歳のすずは会ったことすらない、広島から山を越えた小さな街、呉に住む北條周作(細谷佳正)からの求婚を受け入れる。新しい家族に迎えられたすずは家事に勤しみ、新たな環境にどんどん馴染んでゆく。ほどなくしてすずは夫、姑(新谷真弓)、姪(稲葉菜月)、そしてついには口やかましい小姑(尾身美詞)と情緒的な親密さを築いていく。だが1945年、すずは単なる新しい家族を超えるものを受け入れざるを得なくなる。日々は戦争によって蝕まれ、ついに空襲が呉に達し、第二次世界大戦は最高潮を迎える。
戦況にもかかわらず、我々がスクリーンで目にしたものとは裏腹に映画の真に描き出そうとしたものが見えてくる。色彩あふれる手書きの美しいアニメーションは戦争映画には輝かしすぎると思えるほどだ。爆発する爆弾ですら、すずのよく描く空のキャンバスに黒い絵の具をつけた筆を叩きつけたものにすぎない。実際、戦争が必要以上に禍々しく描かれることはない。といっても恐ろしいほど満ち溢れていることに変わりはないのだが。国家の没入している紛争の動機や本質と市民の生活がどれだけ乖離しているかを反映して、装い、動き回り、喜びにあふれた登場人物たちは、その意に反して2次元の描かれた世界に押し込められているかのように見える。
本作がところにより間延びして感じられるとしたら、それは戦争の激化に身構えている我々観客が肩すかしを食わされるからにすぎない。従来の戦争映画に観られるような1938年を境とする根本的な変化といったものはない。登場人物たちの生活の原動力となる背景や状況はあるにせよ、『この世界の片隅に』が描き出そうとするのは第二次世界大戦のために起きたことではなく、戦争にもかかわらず起きているできごとである。乏しい物資で家族全員を楽しませる食事を用意するといったすずの職人芸にあらゆるシーンが傾注している。着物を針と糸で仕立てる優美な静けさ、食料の配給を巡る近隣とのどたばた、そして生真面目なシーンもある。登場人物たちは戦争の危機に振り回されるのではなく、かいくぐっていくのだ。まさにこのおかげで、この映画のあらゆる細部が心に食い込み、奪われた時間たちへの畏怖の念を我々に抱かせることができるのだ。
だが、映画の終幕が迫っても、やむことのない空襲と戦慄すべき原爆のあとでは登場人物たちの慰めとなるの勝利が訪れることはなかった。最終的に打ちのめされたすずは「報われるはずだったのに!勝つはずだったのに!」という政治よりも実際の生活に根ざした慟哭を漏らす。そのとき我々観客は日本を枢軸国として知っていてもなお胸の潰れる思いがする。悲劇は登場人物たちが最初からそのような運命を背負っていることを我々が映画の始まる以前から知っている、という点にある。だが話は戦争のなりゆきについてだったろうか?我々にとってそうではないし、結局、すずやその家族にとってもそうではない。この映画が戦争についての映画ではなく単に戦中に設定されているにすぎないのとちょうど同じで、すずの生活のほうがそれを規定している環境よりも優先する重要な位置にあるのだ。
消耗し切った、大人にならざるを得なかった、最愛の家族を何人も失った我々のヒロインは呉にとどまる決意を固める。とはいえそこには人生を変える啓示も性格の劇的な変化もない。戦争の虚しさは戦中も戦後も明白である。爆撃はたしかにすずがそれまでずっと親しんできた風景を描く能力を奪ったかもしれない。だからといってその風景がもうないわけでもなければ,そこになかったことになるわけでもない。戦争に苛まれたからといって、すずが人生をまっとうしなかったということにはならない。タイトルが予言するように、この世界の片隅に見つけてもらえたのだ。結局「戦争しているというだけでセミが鳴くのをやめるわけではない」(訳注:Uri Avnryの小説「1948. A Soldier's Tale」 の表現を引用しているらしい)。結局、この映画が思い起こさせるのはこういうことだ:人生とは我々がその悲劇にかまけている間におこるできごとの数々だ、と。
評価:4/5
監督:片渕須直
脚本:片渕須直
出演:能年玲奈、細谷佳正、稲葉菜月、尾身美詞、小野大輔、潘めぐみ、 牛山茂、新谷真弓、岩井七世、澁谷天外
プロデューサー:丸山正雄、真木太郎
製作: 松原秀典、浦谷千恵
音楽:コトリンゴ
製作国:日本
上映時間:130分
「この世界の片隅に」の英国での公開日は現在未定。
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