チョイスイズユアーズ
2024年11月3日、前日の荒天が嘘のような晴れ、気温も少し肌寒いがまぁ悪くない程度
外に出るにはうってつけの陽気で出かける予定もあり電車の乗換案内を調べてみたら、人身事故により遅延発生との注意書き
こんな最高な天気の日に誰かが怪我をしたもしくは死んだかもしれない、しかもまだ午前8:30、不本意な形での事故なら気の毒としか言いようがない
でも意図的なものなら何故こんな日にと思うと同時に今日しかなかったのかもしれないと思う、こんな最高な日は他になかったかもしれないと思う
ことを起こすには最適な日だったのかも、たまたまだったのかもどちらにしてもこちらの関係あることではない
選択し選びとったのはどこかだれかの知らない人だから
心中お察し、、、はできないがその選択どうか良いものでありましたようにとも思わずにいられないのはこちらの欲である。
ただ誰かが選択し選びとれたものだったらそれはどのような選択でも素晴らしいこと、どのような結果でも尊重されるべきこと
システムがハックされその選択は自ら選びとったことではなく選ばされたもので溢れているから
選択を間違えた気がする、その日予定の組み方、飯選び、仕事先など多々思う
大体そういう時はうまくいかないとき、うまくいってたら気にも留めない
結果次第で過程の評価がかわるので順番が逆、欲望のなれのはて
オーケー余裕大丈夫、、な時、全てうまくいくと思って選択したことさえ忘れてる
でも悩んだすえ選んだ飯が不味かったり、些細なことで思いだす決断の重さ
ではなく無責任な結果
あの時ああしてれば、あの選択が違っていたら、あの時の決断を変えていれば、上手くいってたのかな
思ったりするけど、結局その時上手くいってもどこかで躓くと思う。
どこで間違えたのか、なにを間違えたのか、今だにわからない、最初から全て間違ってた気もする
でもやっぱりあの時ああしてもこうしてもどうにもなってないと思う
過去は変えられないし未来はわからないので今しかない、今をやるしかない
あの時の正解は今の不正解、正しい道は違えた未知、やるべきことは何一つないけど生きてる「今」をやるしかない
死んだら今も後も先もない
全て間違えた先にある「今」
全部間違えたと思ってるに死んでない不思議
あの時ああしとけばといつも思う、あの時死んどけばと